第9話 永遠の安息を1

「じ、自殺!?  ストラ……何を言ってるの……?」

(何を言ってるんだ? 僕の頭が理解できていないだけなのか?)

 そんな訳は無いと、理解していながらも混乱と動揺がクロヌシの頭を支配した。


「はぁ……君ーこんなことも知らないなら将来大変だよー。俺が君ぐらいの年でもこれぐらいは流石に知ってたよ。無知な君にもわかるようにこのエスピアさんが教えてあげるよ」

 丸々とした男は気持ち悪い笑みをクロ主の方へと向けた。男の態度は妙に神経を逆なでするような口調であり、自分が上だという感情が表情からにじみ出ている。

 

「もし、寿命を削る代わりにその間にするはずだった仕事の分だけお金が手に入るんだったら君はどうする? 意味も無く、目的も無い。ただ働いて生きるだけの人生に価値があると思うか?」 

 エスピアは入り口から家の中に入り歩き始めクロヌシの眼の前で止まった。

 そしてクロヌシへ顔を近づけてこう言った。

「俺はそうは思わない。この制度は意味の無く生きる者たちの為に竜王アザトース様が作ったとっても慈悲ぶかーい制度の一つだ。虫も人も動物も皆が平等に受けられる制度。人生はあまりにも長いだろ? いつまでもそんな自由もなく、楽しみもない時間が大半を占める人生なんて苦しいだけだろぉ? はっきり言って無駄、無価値、いらないんだよそんな人生。だからこの制度使って金貰って死んじゃおう! って制度だよ」


 地獄のような制度……とも言い切れない。ただ、生きていくことだけの人生に価値を見いだせなくなることはよくあることだ。その心のスキを狙うようなものだ。だが、それによってきっと救われる者がいることもきっと事実だろう。一側面だけを見て悪だとは断言できない。


「査定っていうのは肉体の等級のことさ。顔が良ければ愛玩動物、頭が良ければ奴隷、健康であれば実験動物や臓器提供、そして誰でもオッケー安楽死。査定のランクが高ければ好きなところに行けるんだ。でも、安楽死が一番一般的だね。どうだ? 素晴らしい制度だろ? 死にたい人、誰かの役に立ちたい人、そして金が欲しい人。皆の要望を叶えた完璧な制度だ」

 エスピアは自信満々な笑みをクロヌシの方へ浮かべた。

「どれも社会の皆の役に立てるものだ。そして人生売却制度の利用者はそこで貰ったお金を使って残りの人生を楽しむと。利用者も社会も両方得をする仕組みなんだ。勿論条件はあるけどね」

「なんだよ、それ……」

 社会の皆の為に死ぬことが「役に立つこと」なのかよ。一度の人生を捨ててまで使うものなのかよ。


「そこの彼女は最高のS判定でー……」

 エスピアは手下の一人から資料を受け取り何かを探すようにパラパラと捲った。

「それでいて最高額希望だから愛玩動物、つまりはペット行きだね」


 丸々とした男はストラへと視線を向けてチュルチュルと言う音を鳴らす。それは人がジュルリと舌を鳴らすような音のように聞こえる。

 クロヌシの頬はピクピクと意図せず痙攣するかのように動いてしまう。

(不快だ)

 こんな虫が蔓延る世の中でストラがペットにされればどんな扱いがされるか想像に難くない。人権など無く、理不尽に扱われるだろう。そんなのは嫌だ。だけど……どうすれば?


「おー怖い怖い。でもざんねん。これは彼女の決めたことだよ〜。君は他人の決めたことにケチをつけるのかい? なんとも迷惑なやつだねぇ~」

 エスピアはストラの後ろへ周り、ストラを盾にするように立った。

「俺も蟲者インセクターになってから人間の感覚がよく分かるようになったから気持ちはよく分かるよ。この子可愛いもんね。ま、舐め回したくなるぐらいにはね」

 ストラの肩に小指から人差し指までを順番に置いて、首へと大きな顔を近づけた。

「クソ野郎!」

 クロヌシは勢いのあまり、杖を構え魔術を発動させ、エスピアを吹き飛ばす――筈だった。


「おぉぉぉぉ!!」

 クロヌシよりも早くおじさんが飛び出した。走る姿はあまりに弱々しく体のバランスも上手く取れていない。だが、一直線に走る姿が見えた。

 そして一本の弱々しい腕を大きく振りかぶってエスピアを殴りつけた。

「あ?」

 弱々しい打撃音すら無く、おじさんのかすれた叫び声がその場を支配した。

 殴りつけたおじさんの拳にはエスピアの肩から腕にかけて生えた棘が刺さっていた。

 エスピアはおじさんの手を振り払い、おじさんを突き飛ばした。

「おじさん!」

 ストラの叫びが部屋に広がった。


「ふっ、お前。蟲者インセクターにも成ってないただのガガンボが、ジャイアントテキサスキリギリスの俺に勝てるわけねーだろ」


(馬鹿な!? ジャイアントテキサスキリギリス……だと!?) 


 ジャイアントテキサスキリギリスは腕に付いた沢山の棘と、強靭な顎と足を持った大型のバッタ。別名「赤目の悪魔」。不用意に触れば人間の皮膚も簡単にに噛みちぎる。

(それが本当なら、この大きさで存在して居るなら。人を殺すなんて一瞬だ。僕も、ストラも今はこいつに主導権を握られているんだ。こいつの気分次第では全員死ぬ可能性も……ある。今は絶対に怒りを買ってはダメだ)

 

 死ぬかも知れないという恐怖を考えると手が震え始め、汗が流れる。ここで余計なことを言うのは愚策かもしれない。だが、言っておかなければならないという。先んじた後悔とも言える感情がクロヌシから言葉を引きずり出す。


「ストラ、本当にこれでいいの? おじさんとはもう二度と会えなくなるかも知れないんだよ?」

 クロヌシが喋ってからほんの数秒の間であったが沈黙が訪れた。 しかし、クロヌシにとってこの数秒はストレスで押しつぶされそうになりそうな程長かった。  

「クロヌシさん。なんか色々ごめんね……これは私が決めたことなの。貴方に言われる筋合いは無い」


 まるで初対面の人と話すかのような距離感にクロヌシは突き飛ばされたような虚しさを感じた。そして

クロヌシは自分が冷静でないことに気付かされた。

(遠い、いや初めから近くなんて無かったんだ……ストラは惰眠ちゃんじゃない……別人なんだ最初から。それに、僕はさっきのストラからの提案を断ったばかりじゃないか。初めからなんの関係もない僕が彼女を止める権利なんて……ある筈がないだろ)

 どうにも出来ない悔しさと今ある問題を解決できないもどかしさがクロヌシの手に力を込めさせた。


「おじさん、お金は後で役所の人が持って来てくれるから、それで病院に行って腕を治して貰って、できるだけ早くなるように取り計らってもらうから」

 倒れた込んだおじさんへ向かって声をかけるストラに再びクロヌシは問いかけた。 

「ストラはこんな状態のおじさんを一人置いていってもいいの? 君が居なくなったら誰がおじさんを助けてあげるんだよ!」

 ストラが惰眠ちゃんではないと分かっていてもどうしても重ねてしまう。それに、これじゃあ自分の腕を売ってまでストラに無理をさせないようにしていたおじさんの頑張りは何だったんだ。

「クロヌシさん、虫の地位が高いこの国で一番下で生きてる虫はどんな扱いを受けると思う?」

「……」

 クロヌシは沈黙で答えることができなかった。

 

「答えはいじめられること。下から登って来るものは見下して、上から落ちてくる物は軽蔑するの。でも、貴方はそんな素振りが一度もなかった。たとえそれが繕っていただけだったとしても、今の私には貴方に願うしか思いつかない」

 ストラの頬には一度手で拭った涙が再び流れ始めていた。

「自分勝手でごめんなさい。だけど……おじさんをお願いします」

 ストラはクロヌシへと腰を折って頭を下げた。


 クロヌシは彼女の頼みを聞いて思い出す。彼女は最初から一緒に暮らそう・・・・・・・とは一度も言っていなかった。ただ、ここで暮らそう・・・・・・・と言っていた。そこに彼女の存在は最初から入っていなかったのだ。

「そんな……」

 ここで彼女を無理にでも引き止めることに意味があるのだろうか。人には人それぞれの生き方があって死に方がある。彼女の覚悟を踏みにじってまで僕は自分の醜い願望を彼女に押し付けるのか。ただ、惰眠ちゃんに似ているだけと言う理由で……


「さようなら」

 彼女は自身の腕を掴みながらそう口にすると、ゆっくりと後ろを向いて歩いてゆく。エスピアと名乗った男が連れてきたものたちと共に。未だに彼女を引き止めたいという感情が残る無力なクロヌシの手は、無意識に彼女の方へと伸びてしまう。無意味だと理解していながら。

 数十秒もせずにストラは居なくなった。まるで初めから居なかったかのように。ポッカリとクロヌシの心に穴を開けて。


 そうして最後に残ったのは勇気もなくただ見ることしか出来なかった一人の少年と、ひっそりと息を殺すように泣くおじさんの声だけであった。

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