#5 治療3日目 

「治療3日目ですが…今日は起きたまま眠ってもらいます」


 起きたまま眠る…いまいち想像ができない。


「フフッ…想像通りのリアクションです」


 女医は、ひとしきり笑うと、にこやかに話しかけてきた。


「本当は、もっと時間をかけて治療をおこなうのですが——あなはどうやら見込みのある御方ですので、早めに処置を致します」


 処置?不穏な言葉に身体をブルリと震わせる。


「おっと…こちらの話ですので、お気になさらず——さっそく治療を始めますね——まずはわたしと目を合わせてください」


 言われた通りに女医の目を見つめた。綺麗な目だと思った。


「まずはおさらいをしましょうか——あなたは不眠症で悩んでいた——そうですね?」


 声を出そうとして、女医の指が唇に当てられる。


「喋らなくて大丈夫です——答える時は、頷くか、首を横に振ってください——わかりましたか?」


 コクンと頷く。


「よろしい——では、つづけましょうか。あなたは不眠症を治すために、病院を転々とするも、効果的な治療法はなく、不眠症という症状は悪化していくばかりだった——この話に矛盾はありますか?」


 首を横に振る。


「よろしい——不眠症は日に日にあなたをむしばんでいった。はじめのうちは市販の睡眠薬が効いたのでしょう、しかし徐々に睡眠薬に身体が慣れていき、効かなくなっていく——体中をむしばまれた、あなたは職場を追い出され、路頭に迷ってしまった——そして…何の因果か…わたしと出会った」


 *


 雨がポツポツと降っている。


 街には人通りが少ない。


 冷たい雨に濡れながら男は傘もささず立ち尽くしていた。


「あなた…そんなところでどうしたの?」


 男が振り返ると、深紅の傘をさして、綺麗に整えられた銀髪を携えた女性が立っていた。


「…随分とお疲れのようね。そんなところに居たら風邪をひいてしまうから、とりあえずわたしの家にいらっしゃい」


 女性は、にこやかに微笑むと男の手を掴んで歩き出した。


「ほら、もっと近づいて。雨に濡れてしまうわ」


 女性は男の肩を抱いて傘に入れて、身を寄せ合った。


「狭いけど我慢してね、家はすぐそこだから安心して」


 女性の言う通り、すぐに着いた。


「ここがわたしの家——ま、家というか職場というか…曖昧あいまいだけどね」


 男はうつろな目で女性の家の近くに建てられた看板に目をやる。


「あれが気になる?——そう、わたしは医者なのよ。担当は心療内科。今、話題の催眠療法士っていう国家資格を持っているエリートなの」


 男は消え入りそうな声でポツリと呟く。あなたは僕を治せますか、僕を助けてくれますか、と。


「…深刻そうね——他の医者はどうか知らないけど、わたしは患者を見捨てない。あなが変わりたいと思うのなら、いらっしゃい」


 男は差し伸ばされた手をしっかりと掴んだ。


「歓迎するわ、迷える子羊ちゃん」


 *


「——さ…××さん…」


 気がつくと目の前で不思議そうな顔でこちらを見つめていた。


「意識が戻ったみたいね、良かった。それでいかがでしたか?——あらあら、懐かしいわね…あの時のあなたは何というか…捨てられた子犬のようだったわ。それが…今ではすっかり血色も良くなって…医者としても嬉しい限りです」


 にこやかに微笑む、女医に改めて礼を言った。今の自分があるのは、間違いない彼女のおかげだ。


「礼なんて要らないわ、医者として当然のことをしたまでよ。わたしとしてもデータを取ることができて好都合よ…フフッ」


 そういえば、さっきまで何をしていたんだっけ。意識が飛んでいたせいか、記憶が曖昧あいまいになっている。


「ん?さっきまでの記憶がない?——意識が飛んだことによって、軽い記憶障害が起こっているようです。この程度であれば、体調に支障をきたすことはないので、ご安心を…」


 女医はそう言うが、いまいち信用できず、もやもやとした気分で女医の次の言葉を待った。


「それで、どこまで話をしましたっけ…あぁ…そうでした——デートの話でしたね」


 デート?まったく意識にのぼらない話題に困惑していると、女医に額を軽く小突かれた。


「言ったでしょ——軽い記憶障害だって…フフッ」


 薄れゆく意識の中、一瞬だけ…女医が別れた彼女の面影と重なって見えた。





































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