第8話
「ねえ」
彼女の声が、静かに耳を打つ。私は彼女の瞳を、正面から見つめることになった。
「話って?」
自分から彼女に話がしたいと言ったのだ。逃げていても仕方がない。私は観念して口を開いた。
「菜月。夏川菜月のこと。どうしてあの子とあなたが知り合いなのか、知りたい」
彼女は驚いたように目を見開いて、微かに笑った。
「……聞いたんだ、私のこと」
「偶然だけどね」
「そっか。……疎遠になったって聞いたから、油断してた」
彼女は低い声で呟いて、わざとらしい笑みを浮かべた。
「話すよ。でも、お茶が終わってからね。ほら、次のやつ食べようよ」
彼女の言葉は軽い。だが、どうにも心が重くなるような響きを持っていた。私はそれ以上何も言えず、お茶を続けた。
私の重い気持ちとは裏腹に、彼女はどこか楽しそうだった。先ほどのように互いに餌やりを繰り返して、ついに大福がなくなったのは三十分も後のことだった。
私はどっと疲れていたが、彼女の話を聞くまでは帰るわけにもいかず、話し始めるのを待った。
「さっきの話だけど、ちょっと場所を移して話そう」
二人の湯呑みからお茶が無くなった後、ようやく彼女はそう言った。私は立ち上がる彼女の背中を追う。どの部屋で話をするのかは、見当がついていた。
予想通り、彼女は祭壇のある部屋まで歩き、畳の上に座った。
「一つだけ約束して。……私の話を聞いても、引いたり怒ったりしないって」
珍しく、彼女は不安そうな面持ちで言った。今更な約束だと思い、私はすぐに頷いた。
「約束する。だから、話して」
「わかった」
彼女は真剣な表情で私を見た。私は微かに視線をずらしてから、彼女の顔を正面から見つめた。
「まず、私が夏川菜月に接触した理由だけど……それは、彼女が星の夢を知覚できる存在である可能性があったから」
淡々とした口調で彼女は言う。私は首を傾げた。
「古い話になるけど、昔、日本には星の夢を知覚できる家が四つあったの。春原、夏川、秋空、冬野の四つ。冬野が本家で、その他の三つは分家」
「え」
嘘でないということは、彼女の表情からわかる。だが、あまりにも突拍子もない話だった。
「四家は星を夢から覚めさせて、世界を正常に戻す役割を担ってた。だけど、星は人間と同じで、いつかは眠らないといけない存在なの。だから、どれだけ頑張って目覚めさせても、それは束の間の延命措置に過ぎない」
私は何も言わず、彼女の話に耳を傾けた。
「自分達がどれだけ頑張って星を起こしても無駄だし、それは人類のエゴにすぎない。だって、眠って起きてを繰り返すのが人間にとっても星にとっても正常だから。……それを悟った昔の四家は星を目覚めさせるのをやめた」
星を無理に起こし続けたら、どうなるのだろう。人間だって睡眠をとらなければ死んでしまうのだから、星も同じなのかもしれない。
だとしたら、星を夢から覚めさせるという行為は、悪なのかもしれない。
「初めに諦めたのは本家の冬野。次が夏川で、秋空……」
私は胸に手を置いた。遠い先祖がどんな思いで生きていたのか、少しだけ理解できるような気がした。
「三家は星の夢を知覚する能力をなくすために、積極的に海外の血を取り入れた。その結果は、私たちが知っての通り」
菜月は星の夢を知覚できない。いや、菜月だけではない。彼女の両親もそうだし、私の両親だってそうだ。それは、先祖の努力の結果らしい。
「春原は最後まで諦めなかった。冬野の屋敷も星の夢に関する資料も貰い受けて、最後まで星を起こそうとし続けた」
彼女の言葉には感情がこもっていない。だが、それも当然だろう。全ては昔のことなのだから。
「でも、最後には折れて、他の家と同じように海外の血を取り入れようとした。でも、遅過ぎたみたい」
彼女はここでようやく笑みを見せた。だが、その笑みは嘲笑に似た、見ていて苦しくなるようなものだった。
「春原の子供だけは、星の夢を知覚する能力を持ち続けた。今までずっと。……私のお父さんもそう」
私は何も言えなかった。
「それでね。お父さんは三年前に死んじゃったの」
やはりそうか、と思う。彼女は至って平然と父親の死を口にしているが、ここに至るまでに苦労があったに違いない。自分の全てだった父親を失って、平然とこれまで生きてきたはずはないのだから。
「それから私は、星の夢を知覚できる人がいないか探し始めた。家の資料を漁って、近所の人にも色々聞いて、春原以外の家を探った」
それで、菜月や私に行き着いたということか。納得がいった。愛によって星を起こすというのも、家に残された資料で知ったのだろう。
「それで見つけたのが、私ってこと」
「そう。正直見つかると思ってなかったから、びっくりした。夏川さんから卯月の話を聞いて、運命感じちゃった」
私の両親が星の夢を知覚できないことを考えるに、冬野が能力を失ったのはかなり昔なのだろう。少なくとも祖父母からも星の夢の話は聞いたことがない。私は運悪く先祖返りを起こして、嫌な能力を得てしまったということになる。
「で、卯月のことを知ってからは、どんな人間か一年観察して、今年ちょうど同じクラスになったからアクションかけたってわけ」
なるほど、と思う。彼女が菜月と知り合って、私に接触してくるまでのことはわかった。だが、まだわかっていないことがある。
「どうして星の夢を知覚できる人に会いたかったの? 寂しかったから? 苦労話をしたかったから? それとも……」
父親の代わりがほしかったから?
流石に、そこまでは口にできなかった。しかし、意図は彼女に伝わっているのだろう。彼女は自嘲的な笑みを浮かべて、私に少し近づいた。
「知りたかったから」
「何を?」
「星の夢を知覚できる人の、愛を」
思わぬ台詞である。愛という言葉はやはり、彼女にとって大きな意味を持つものらしい。
「お父さんは、私を置いてお母さんと心中した」
息を呑んだ。彼女は憎しみすら感じさせる表情で、目を伏せた。
「お母さんは普通のヒトだった。私たちが愛せるような存在じゃない。そのはずなのに、お父さんはお母さんのことを愛していた。私よりも」
今までに聞いたことがないほどに暗い声だった。その声が、彼女の父親に対する愛の深さを物語っていた。
「遺書には星の夢のせいで生きるのが辛くなったことと、愛するお母さんと一緒にこの世を去ることが救いだってことが書かれてた。……私には、ごめん、だけ」
彼女が人間のことを害虫扱いする理由の一端は、彼女の母親にあるのかもしれない。私はそう思いながら、話の続きを待った。
「分からなかった。どうして常識を共有できない人を愛するのか。私だけじゃどう考えても分からなかったから……星の夢を知覚できる人が、愛に対してどう思ってるか知りたかった。それを知れば、お父さんのことを理解できるかもしれないって思ったの」
「理解、できた?」
彼女は小さく首を振って、私の胸に額をくっつけた。
「できなかった。卯月はお父さんにちょっと似てるけど、お父さんじゃないから。どれだけ仲良くなっても、お父さんが私を置いてお母さんと死んだのがどうしてなのかなんて、分からないまま」
私は彼女の頭を撫でた。今彼女に抱いている感情が憐憫なのか共感なのかは分からない。ただ、こうしたいと思ったのだ。
「……卯月のこと、好きだよ」
唐突な言葉だった。その言葉をどう受け止めるべきか、私は迷いながら彼女を撫で続けた。
「うん」
「私のために怒ってくれるところとか、なんだかんだ言って私に付き合ってくれるところとか。……意外と子供っぽいところとか」
「子供っぽいは余計」
そう簡単に、人のことを好きになるものだろうか。好きという感覚を思い出せない私には、疑問に思うことしかできなかった。
「でも、心臓に悪いことするところは嫌い」
「それはお互い様。ビルから飛び降りた時、何事かと思ったし」
「……あはは、そうかも」
くぐもった声が体を揺らす。私は小さく息を吐いた。
「……でもね。卯月の好きなところとか、嫌いなところとか、見つける度にわからなくなる。お父さんの気持ちが」
胸に刺さっていた棘が抜けていくような感覚がした。その感覚の理由は、まだよくわからないが。
「やっぱり、自分と見てるものが同じ人しか、私は愛せない」
それは、つまり。星を夢から覚めさせれば、彼女は普通の人間を愛せるということになるのではないか。だとしたら、やはり私と彼女は真逆ということになる。
「知ろうとすればするほど遠ざかる。でも、卯月のことが好きになる。……私は、どうするべきなのかな」
私は彼女がこれまで抱いてきた感情の大きさを、正確には理解していない。共感はできるものの、完全に理解するのは不可能なのだろう。だから私は、彼女の頭を撫でながら言った。
「さあ」
「さあって……」
彼女は顔を上げて、私を睨んだ。私はふっと笑って、彼女の前髪を弄った。
「だって、私は春原さんじゃないからわからないよ。春原さんはお父さんじゃないし、本当の意味で理解することなんてできるわけない」
彼女はきょとんとした表情を浮かべている。まるで、幼子のようである。私は目を細めた。そうか、と思う。これこそが、彼女の本質なのかもしれない。きっと、彼女の心はまだ幼くて、これから先どうとでもなる成長性を秘めているのだ。
「だから、自分の中で区切りをつけるか、答えを見つけるしかないんじゃない。どれだけ現実とは異なっていても、自分の中で間違いないと言えるような答えならそれでいい。私はそう思う」
他者を本当の意味で理解するなんて、不可能だ。私の見ている私と彼女の見ている私が違うように、必ず齟齬が出る。しかし、彼女はその青い目に映っている、彼女の知っている私を好きになったのだ。
彼女の好きな私は、本当の私ではないのだろう。だが、彼女の心の中には確かに存在している。ならば、それでいいのだろう。
事実より、自分の中にある真実を信じればいい。私は彼女と関わる中で、そう思うようになった。心が読めない限り、完全な理解はあり得ないのだから。
「私の中ではこうなんだって決めつけちゃえ、ってこと?」
「そうだね。答えがない問題なんて、それでいいと思う」
「……なんか、卯月らしい答え」
「どういうこと?」
「馬鹿っぽいってこと」
「叩くよ」
「そういうとこだよ」
彼女はそう言って笑った。その顔は少しだけ明るくなったように見える。私の持論が彼女にどれだけの効果をもたらしたのかはわからないし、知る必要もないのだろう。
私は彼女の青い瞳を見つめた。この瞳は、能力をなくす過程で自然と生まれたものなのだろう。そう考えると、現実にあるものだと信じられるような気がした。
「……ごめんね、卯月」
「何が?」
「黙ってたこと」
「いいよ。出会ったばっかの時聞いても、信じなかっただろうし」
ずっと、私は彼女のことを信用できなかった。いや、今も完全に信用しているとは言えないのだろう。しかし、少しずつ彼女のことを自分なりに理解して、信じるようにはなっている、と思う。
「愛が世界を救うってことも信じてなかったもんね」
「それはまだ信じてないけど」
「……まあ、愛に限らずとにかく大きな感情をぶつければいいっていうのが真実ではあるけど」
「やっぱり、そういう感じなんだ」
「でも、強い感情の筆頭は愛だから、嘘ではないでしょ?」
「嘘ではないけど、情報操作でしょ、それ」
「ちょっと違うような気がする。ちなみに、ここが星を夢から覚めさせる儀式の間だけど……まだ、だめそうだね」
「愛が足りない?」
「うん」
私たちはぽつぽつと会話を続けた。いつも以上に中身のない、浮かんでは消えていくような会話である。
「……卯月の鼓動、速くなることってあるの?」
「前に春原さんに驚かされたときは、多分速かった」
「そっか」
話題は何度も変わり、消えていく。
私たちはそのまま、日が暮れるまで短い会話を繰り返した。
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