第7話

 日曜日。私は久しぶりに一人で地元の町を歩いていた。一週間後に桜の誕生日があるので、プレゼントを買おうと考えていた。


 去年はお菓子の詰め合わせをプレゼントしたが、結構喜んでいたので、今年も何かお菓子の類をプレゼントするつもりである。


 しかし、デパートの中を歩いていると色々なものがあって、どうしても目移りしてしまう。


 不意に、流行りのお菓子を販売している店が目に入った。和洋折衷のクリームチーズどら焼きだとか、台湾カステラだとか、春原皐月が好きそうなものが多く売っている。


 彼女は甘いもの全般が好きだと前に言っていたが、流行りものにも敏感そうである。何かお土産として買っていこうかと考えた時、背後から声が聞こえた。


「卯月? 卯月だよね!」


 振り向くと、そこには旧友の夏川菜月が立っていた。


「久しぶりじゃん! 中学卒業してからだから……二年ぶり!」


 彼女は嬉しそうに私に近づいてくる。

 心がぴりぴりした。


 小さい頃、彼女とはとても仲が良かった。しかし、私と人々の常識の乖離が明らかになるにつれ、私の周りからは人が離れていった。彼女もその一人だ。喧嘩したとか、何か仲が悪くなるような事件があったわけではない。


 ただ緩やかに、私が普通の人間と一緒に生きていけないことが判明して、その結果それまでのように仲良くすることができなくなった。それだけなのだ。


「うん、久しぶり。変わらないね、菜月は」

「卯月こそ!」


 彼女はにこにこと笑っている。古い知り合いに会ってテンションが上がっているのか、疎遠になる前と同じように私に接してくる。


 それが私には痛くて、苦しい。

 私は息の仕方を忘れそうになりながら、彼女といくらか世間話をした。随分と長く話したような気がしたのだが、スマホで時間を確認すると十分しか経っていなかった。


「そうだ! 今度春原さんも入れて三人で遊びに行こうよ!」

「……え?」


 菜月の口から飛び出した名前に、私は一瞬固まった。なぜ、彼女の名前を菜月が知っているのだろう。中学校は同じでないし、菜月と春原皐月は高校も違うのだから、知り合う機会などないはずだ。


「あれ、知ってるよね?」


 菜月は不思議そうに首を傾げた。


「うん、知ってるけど……二人、知り合いだったんだ」

「え、何も聞いてないんだ」


 彼女は少し驚いた様子である。春原皐月の口から菜月の名前を聞いたことはない。一体二人は、どのようにして出会ったのか。


「前に声かけられてさ。卯月の友達だよねーって。それで色々話すようになって、友達になったってわけ」

「前って、どのくらい?」

「え? うーん……一年前くらいかな」


 一年前、私はまだ春原皐月と出会っていない。だが、彼女はすでに私のことを知っていて、しかも菜月が私の古い知り合いだということも知っていた。それをどこで知ったのだろう。


 彼女は何を隠しているのか。それを知る必要はないのかもしれないが、やはり気になる。だが、聞いてもいいのだろうか。


 思考がぐるぐる回る。私は自分の足が地面についていることを忘れそうになった。


「どうしたの?」

「ううん、何でもない。意外な組み合わせだと思って」

「そう? とりあえず、今度また連絡するね!」

「うん、じゃあね」


 彼女は大きく手を振って人混みの中に消えていった。

 残された私はしばらく呆然と立っていたが、こうしていても仕方がないと思い、桜へのプレゼントを探し始めた。


 その間も、頭には疑問が渦巻いていた。春原皐月が私に何を求めていて、何の目的があって近づいてきたのか。私のことをいつどうやって知ったのか。


 聞きたいことが山ほどあって、胸が苦しくなった。

 彼女の本当の目的だけは、知っておくべきかもしれない。これから先彼女とどれだけ長く一緒にいられるかは、わからないけれど。



「上がって上がって。自分の家だと思ってくつろいでくれていいからね」


 後日、春原皐月に少し話がしたいと提案したところ、彼女の家に招待された。彼女の家は古くからある日本家屋といった様子で、その広さに私はやや圧倒されていた。自分の家だと思ってくつろぐなんてできそうにない。


 客間と思しき部屋に案内される途中、廊下から一つの部屋が目に入った。

 祭壇らしきものが部屋の真ん中に鎮座していて、そこだけ他の部屋と雰囲気が全く違う。幾何学模様が刻まれた板がいくつも立てかけられていて、死者を祀っているとは思えないものである。


 私は祭壇について聞くのも憚られて、何も言わずに彼女の後ろをついていった。


「座ってくつろいでて。お茶入れてくるから」


 私は彼女に促されるまま、ソファに座った。体が沈みこんで、力が抜ける。私は手土産の袋をテーブルに置いて、部屋の中を見渡した。何畳あるのかわからないが、広い。家の中は和室と洋室が混在しており、ここは洋室になっている。

 木のフローリングが少しひんやりとしていて、私は思わず身震いした。


「はい、お茶」

「ありがとう。これ、手土産」

「お、気が利くね」


 私は彼女に手土産を渡して、息を吐いた。青い瞳は、今は私に向けられていない。


「これは……フルーツ大福! それも、糸で切るタイプのやつ! わー、テンション上がるなぁ」

「そう? なら良かった」

「ちょっと写真撮っていい?」

「いいよ」


 彼女はポケットから取り出した自撮り棒を伸ばして、私の隣で写真を撮り始めた。


「……フルーツ大福の方を撮りなよ」


 わざわざ自撮り棒を持ってきているということは、最初からこうするつもりだったのだろう。私は呆れ返り、抗議の意味を込めて彼女を見つめた。


「いいじゃん。二人で写真撮ったこと、今までなかったし」

「人に見せちゃ駄目だから」

「えー、何で?」

「私たちが仲良さげにしてるところを見られると、色々面倒でしょ」


 グループ間には見えない壁があって、それを勝手に破ると面倒なことになるのだ。普通に生きていくためには、波風立てず、すでに出来上がっているグループの人間以外とは極力関わらないようにする方がいい。それは、彼女もわかっているはずだ。


「私は別にいいけどね、どうなっても。だって、私たちが仲良いのは事実だし」


 一通り写真を撮り終えると、彼女は私の正面に座った。


「……事実?」


 私たちの関係を「仲がいい」などという言葉で表していいのだろうか。何か違うように思うが、彼女は私の言葉に憤慨したように柳眉を逆立てた。


「事実でしょ! そう思ってるの、私だけなの?」

「だったら……」


 そう言うのなら、隠し事をしないでほしい。言いかけて、やめる。今そんなことを言うのは得策ではない。もっと機会を窺うべきだろう。


「だったら?」

「何でもない。それより、食べようよ、大福。話題の店で買ったやつだから、多分美味しいと思う」

「……いいけどさ」


 彼女はどこか不満そうに大福を取り出し、手際よく二つに切っていく。慣れた様子で大福の写真をとった彼女は、木のようじに突き刺したそれを私の方に差し出してくる。


「ほら、食べて」

「いや、自分の分食べるよ」

「いいから」


 有無を言わさない口調である。ウサギというより、これでは雛鳥である。私は眉を顰めながら、大福を口に入れた。


 キウイの入った大福は、白餡のまったりとした甘みと果実の酸味が合わさり、絶妙な美味しさだった。


 真正面から見つめられているため、私は気まずさを感じながら大福を咀嚼することになった。この行為に、何の意味があるのかはわからない。だが、彼女は満足そうに笑っている。その顔を見て、まるでおままごとをしている子供のようだと思う。


 無邪気なようで、歪んでいるようにも見える笑み。それが本来の彼女の笑顔なのだろう。だが、本当にそうなのだろうかと、心のどこかで疑問が浮かび上がっていた。


 本当であろうとそうでなかろうと、どうでもいいはずなのだ。私は別に、彼女と愛を育むつもりはないのだから。


 そう思っても、奇妙な気持ち悪さは拭えない。

 私は複雑な気持ちを誤魔化すように、大福を飲み込んだ。


「美味しい?」

「うん」

「じゃ、私にもちょうだい」

「……何この餌やりシステム。恥ずかしいんだけど」

「いいじゃん、これくらいさ」


 そう言って、彼女は口を開ける。仕方なく、私はもう片方の大福を彼女の口に運んだ。その間も、彼女の瞳は私をまっすぐ射抜いていた。見ないでほしいと言ったら、どんな反応をするのだろう。そう思いながらも、私は全く別の言葉を口にしていた。


「どう?」

「美味しいね。流行ってるだけある」

「そっか。良かった」


 小さくため息をつく。私はどうしたいのだろう。

 彼女の秘密を知って、嘘を暴いて、それで……。それで、どうなるのか。


 私は確かに、まだ彼女と一緒にいたいと思っているし、彼女のことを知りたいとも思っている。だが、その先に何があるのかはわからない。


 一緒にいたいと思うと同時に、死に向かっている私は彼女とこれ以上一緒にいるべきではないとも思う。心はぐちゃぐちゃだった。


 人の本当の気持ちなんて、知ったところで何ができるわけではないはずだ。なのに知りたいと願うのは、なぜなのか。


 彼女を信用できないことが妙に気持ち悪いのは、今の私が彼女を信用することを望んでいるからなのだろうか。


 わからない。私は自分が一番よくわからない。こんな気持ちになるのは初めてだし、そもそも私は普通になるために自分を殺してきたのだ。今更自分の気持ちに素直に向き合えるはずもない。


 捨てたはずの自分に首を絞められている。そんな感じがした。

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