第9話  サイレンスマンション

「これで。引越し完了です。ありがとうございました」


「こちらこそ、お世話になりました」


 業者の二人にお礼を言うと、帽子を脱いで二人揃って頭を下げ、トラックに乗り込みエンジンをブルブルとふかし走りだした。そのトラックが見えなくなるまでよっ子は見送った。


「ありがとう。筋骨隆々な男たち」


 よっ子は気取った感じで呟くと、


「うはっ!」と吹き出し笑った。そのよっ子の姿をマンション入り口から眺める一輝いっき


 次郎丸時貞の言う通り周囲は一戸建ての民家ばかりが建ち並んでいる。けれどただの一戸建てとは違う、一軒一軒がかなり大きな屋敷で奥ゆかしさある日本家屋、見事な洋館の建造物ばかりである。辺りはシーンと鎮まりかえり、あまり人通りもなく声などひとつも聞こえてこない。


 三階建のマンションは特異な感じがして忌避されるのがなんとなくわかる。けれどその景観を損なわないようマンションの白壁には樹木の絵が描かれていて若葉の色が初々しく鮮やかである。『これぞ!隠れ蓑の術』よっ子はそう思った。樹木の絵を描くことによってその景観に溶け込もうとしているのがわかる


「芸術的ね。こういうの好き」


 鳥の鳴き声しか聞こえてこない。


「おい、よっ子」


 一輝もかなり気を遣っているよで聞こえるか聞こえないかの小さな声で呼ぶ。


「なんですか」


 よっ子の声も微妙である。


「そんな蚊の鳴くような声だと聞き取れねえ」


「そっちこそ!」


 二人の声は鳥の声に負けている。ふと二人は同時に宙を見上げた。


「お前、なに思った?」


「鳥の鳴き声にはクレームつかないのかなと思って」


「俺も思った。うるせぇんだよ。鳥!」


 よっ子はうんうんと頷き二人は声を出さずに笑った。


「昼飯だけどよ。社長が食わせてくれるって」


「社長?」


「ああ、社長!」


 一輝はよっ子近づきながら、


「壁に耳あり障子に目ありだとかなんとか、言葉使いは気をつけろってな。兄貴がね」


「兄貴……って、大介さんのこと?なんだか先輩、しおらしいの、似合わないの」


「うるさいね。君!」


「気持ち悪っ!」


「おめえ、犯すぞ!」


 一輝はいつもの大きな声で叫んだ。


「しっ!」


 よっ子は一輝の口を塞ぎ、手をぎゅっと一輝の顔に押し付けた。


 息ができない一輝はよっ子の手を避けようともがいている。


 その時、ひとりの男が犬を連れて二人の前を看過し通って行った。二人はその犬連れの男を目で追っていくと、男は隣の立派な日本家屋の屋敷に入って行った。


「先輩、見るからにお坊ちゃま風でしたね」


「ああ、見るからに、ぼんぼんだな」


「お金持ちの息子さんって感じでしたね。犬を連れてスマートで、しゅっ!としていて、汚れを知らないみたいな。知ってる人ですか」


「知るわけねえだろ!貧乏人のダチはいても分限者ぶげんしゃにはダチはいねえ」


分限者ぶげんしゃ?」


「ところでよ。昼飯中華だってよ。親父の行く店は、ほんまもんだから美味えぞ!」


「親父って言ってますけど」


「あん?誰もいねえし」


「さっき、自分で言ったでしょ。壁に耳あり、障子に目ありって」


 一輝は頭をぽりぽり掻いて、


「俺、こんなとこ住めやしねえよ。やっぱ親父が言った通りだな」


「なにを言われたんですか?」


黙祷もくとうし続けろ!」


「黙祷ですか、サイレンス、なるほど」


 マンションのエントランスに掲げる表札に刻まれた。


ーサイレンスマンションーー

沈黙、無言、話をしない事という意味である。


「このマンションはうちの奴らじゃ、哲さんや丈、以外住めねえだろな。まったく、家で声出せねえって、ありえねえ」


「そうですね。サイレンスですものね。三階は哲也さんと丈治さんが住んでいて、今度、私が住むじゃないですか、五階と二階には誰が住んでるんですか」


「幹部」


「幹部って?」


「そのうちわかる。会ったら挨拶だけはきちんとしとけよ」


「はい」


 よっ子は一輝と共にマンションを見上げた。


 道路沿いには花壇が設けられ、その季節によって多年草と一年草の花が植えられる。マンションの車両入り口は一方通行で時間になると常時いる管理人が開閉するため外に出てくる。


 マンション下には車両一台分の幅の車道がある。エントランスで停車して住民を下ろすと車両はそのまま裏口から出て行く仕組みとなっていて、住人の車両はそのままマンション下の駐車場に停められる。1階にも部屋が2部屋あり、ひとつは管理人の部屋、もうひとつの部屋はゼロと表示されていて誰もその中を見た事がない。


「あっそうだ。管理人の岡部さんに面通ししておくぞ、出入りするのに顔知ってもらってないと後々めんどくせぇからな」


「はい、でも、挨拶用の手土産買ってきてないです。忘れてました」


「そんなもんいらねえよ。岡部さんはうちの社員だから」


「そうなんですか」


 2人は管理人の岡部清彦に挨拶をするため管理室に出向いた。


「大体の事は舎弟頭から連絡来ておりますし、昨夜一文字さんからもお話し伺ってますから」


「橘よっ子です。よろしくお願いします」


「こちらこそよろしくな」


「そんじゃあ、岡部さんまた後ほど」


「組長によろしゅうな」


「うん、多分また親父、顔出すんじゃねえかな。そんじゃ!」


 2人は管理人室を出て会社の車に乗り込んだ。


「見た目おっかねえだろ」


「はい」


 時貞を訪ねてくる強面の極道が事務所を出入りしているが岡部のような影のある組員はまだ会った事がない。なにか心に秘めてるような得体の知れない男である。


よっ子は『影のある人間こそ奇妙という言葉が似合っている。奇妙であるからこそ、もっと深く知りたくなるのである』という作品のフレーズを思い出した。








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