第2話 旅立ち 1
ささやかな誕生日会、家族3人とまもなく産まれてくるお腹の中の赤ちゃんを含めた家族だけの会、
食事を済ませた3人は余韻に浸ることなくさっさと食器を片付け始めた。
昨日まで使っていた物をボストンバッグに詰めているよっ子を感慨深げに2人は見つめる。
真紀子は部屋を見渡し、よっ子を支えに生きてきたこの部屋に思いを馳せ、旅立つ娘の
成長に寂しさを感じていた。
「よっ子、そろそろ帰るわ」
「そうね、もう9時だしね」
「母さん明日来るからね」
「僕も来るからね」
「
「明日は、休みにしたよ。真紀ちゃんひとりで来させるのは心配だし」
「そうね。母さんが心配なのね」
よっ子は目を細めて幸二を睨み見ると幸二は「あはは」と頭をかいて真紀子を抱きしめる。
「だってね。真紀ちゃんに何かあったら大変だもん」
「あっそう!別にいいのに、会社の先輩も来てくれるし、引越しセンターの人が来て、積み込んでくれるんだから」
「ずっと2人が暮らしてきたアパートだよ。最後にさ、3人で、いや、4人でさよならしないと」
幸二は真紀子のぽっこり出たお腹を愛おしそうに撫でながらよっ子を見やる。
こういう幸二の優しい性格も好きなところのひとつだ。
よっ子はふとあの日の事を思い出した。
ある日の帰り道、商店街を歩いていたら、いきなり白衣を着た幸二に声をかけられて、思わず告白をされるのかと一瞬、身構えた。
『好きなんです』
やっぱり告白だ。と思ったよっ子は、照れくさくなり『えっ……いきなり』なんて思いながら、初めての告白に胸を張った。
『あの……君の……えっと……好きっていう
か……えっと……君の、君のお母さんのことが……好きなんです。君のお母さんの事が好きなんです!』
『えっ?……母さんの……ことが……好き?それも2回も言った?』
『僕の事をお父さんにしてください。そしてお母さんを紹介してください。よろしくお願いします』
『紹介?』
と握手を求められ、思わずその手と握手してしまったがため、真紀子を紹介した。
それからあっという間に5年が経った。
「ぷっ!」
「よっ子どうしたの?もしかして思い出し笑い?」
「よっ子ちゃん、やらしい〜んだ」
「なに?」
「思い出し笑いするのって、やらしい子がするんもんなんだよ」
「さっき、自分のこと父さんなのだ!とか言っといて、娘にやらしい〜とか言う?」
まだまだ子供みたいなところのある幸二を父さんと呼ぶにはほど遠い。
「真紀ちゃん、階段気をつけて」
幸二は真紀子と手を繋ぎ、よっ子は真紀子をの後方でサポートするように階段を下りる。
帰っていく2人に手を振って見送った後、夜空を見上げた。アパートの周りをぐるりと見渡す。
「なんだか、母さんがいないと変な感じ」
部屋に戻って、昔からの傘つき蛍光灯が裏悲しくて、ふと胸に手をあてた。
絶対卑屈にならずに生きるんだと強く心に刻み込んだのもこの部屋だ。辛い時はこの窓から外を眺めた。見つめる先は墓地、
「小さい時、このお墓は怖かったよね。幽霊が出てきたらどうしようって思ってた。ふふっ、ここから見る墓地も最後なのね」
墓地の塀の外灯の下に黒い影が浮かび上がった。『なに?まさか!幽霊〜』怖くなって思わず窓とカーテンを閉めた。
よっ子は眉間に皺を寄せ息を止める『最後に幽霊もお別れにきたって事』とカーテンを少しだけ摘んで外を見た。
「いない……まじ幽霊〜」
ほっとしていると突然ドアをノックする音が部屋に響いた。
「えっ、今、誰かノックした。うちじゃあないわよね。お隣さんよね」
トントン、トントン。
「もしかして、うちなの、嘘……」
よっ子はあっちこっち見て武器になるものを探す。とりあえず掃除機のノズルを持って本胸の前に構えて三和度に立った。
「だれ?」
「よっ子、俺、涼平」
「りょうへい……どこのりょうへい」
「藤井涼平、覚えてないの?」
「藤井……涼平」
よっ子はハッとしてカギを外してドアノブを回してゆっくりドアを開けた。そこには少し大人の面持ちになった紛れもない藤井涼平が立っている。
「涼平君、どうして?」
よっ子は掃除機のノズルを隠すようにダンボールの隙間に押し込んだ。
「それ、掃除機の……もしかして怖かった」
「うん、ちょっと怖かった」
「ごめん、いきなり来て、その、昨晩、母さんが、よっ子んち引っ越すって聞いたから、俺、スーパーとか本屋とかで、よく、よっ子を見かけたたんだ。だけどいつも声掛けそびれてしまって、もしかして、遠くに行ってしまったら、二度と会えなくなるんじゃないかと思ってさ、それで、来たんだ」
「そう、だけど、部屋はこの通りで、お茶も出せないの」
部屋の中を見つめる2人、
「コンビニで買ったお茶、持参」
「そうなんだ。どうぞ」
「お邪魔します」
居間として使っていた6畳間は座るところもなく、よっ子は寝室に使っていた四畳半の部屋に通した。
「その椅子しか座るところないの。ごめんね。見ての通り、持っていくものと捨てるものでいっぱい」
「じゃあ、ここに」
涼平はぎこちなく椅子に腰を下ろす。その姿を見てるとあの頃の気持ちが段々と蘇ってきて、同時に脈も早くなっていく、
よっ子は敷いてある布団のその上に正座して涼平を見るとコンビニ袋から麦茶を出して差し出され、手を伸ばす。
「よっ子、この麦茶……好きだっただろ」
「あっ……うん、覚えてくれてるんだ」
8年ぶりの再会でなんとなく2人ともぎこちないし涼平は黙ったままだ。
『なにか話してよ』
よっ子は心の中で呟きながら、ペットボトルの蓋を開けた。
「いただきます」
それでも涼平は段ボール箱を見つめたり、お茶を飲むのかと思ったらボトルを口に突っ込んで目だけあっちこっち動かしている。
大人になった涼平にうっとり見惚れてしまったよっ子、くっきり二重の目でじっと見られて思わず目を逸らした。
「背が伸びた?」
なにを話せば良いのかわからない。
「うん、あの頃から13センチ伸びたかな」
「あれから13センチも伸びたの凄い!あの頃何センチあったっけ」
「あの頃って高校の頃だよな。170……くらいかな、お前、相変わらず小さいな」
「ほっといてよ。だって中学から全然伸びなかったんだもん!」
「……」
また会話が止まった。
どうしようかと気が焦せってしまう。思わず、ずっと気になっていた事、気にしないようにしていた事が口から出てしまった。
「香菜……元気?」
「香菜……香菜って誰?香菜……ああ、あの子、元気かどうか知らない」
「だって、卒業して香菜と付き合ったんじゃなかった?」
「付き合ったってなに?」
ぷくっと膨らませたよっ子の頬を見て、
「なんだよ。その顔……確かに、告られたけど、付き合うって事になったと思うんだけど、俺、大学とかバイトとかいろいろ忙しくて、それで、なんだろう。デートとか全然しなかったし」
「どうして?」
「だって、別に好きとかなかったし」
「好きじゃなかったって?どういう事」
「どういう事って訊かれても困る」
「香菜の事、好きになったんでしょ」
涼平が黙って俯いた。しばらく沈黙が続いて、涼平は重い口を開く、
「どこに、引っ越すの?」
「わたし……私は、勤め先の寮みたいなところ」
「寮があるって大手なの」
「一応、大きいかな。うん、おっきい」
「そうなんだ。遠い?」
涼平は浮かない顔をして言った。
「そんなに遠くないよ。元気ないね。何かあったの?久しぶりだから、涼平君てどんな人だったか忘れちゃった『ほんとは忘れてなんかないけど』どうしたの?」
涼平は下唇をぎゅっと噛み締めた。
「ねえ、何しにきたの?引っ越すから挨拶だなんて言われても……8年ぶりよ。挨拶って言われても。なんだかピンとこないの」
喋れば喋るほど、
「どうして、よっ子はあの時、あんな事言ったんだよ」
「あの時?」
「そう、あの時」
あの時と言われたよっ子はどの時なのか思い出せない。
涼平の目が少しだけ鋭くなってよっ子を睨んだ。
「どうせ、お前は覚えてないんだろ」
「ごめん、あの時って、いつの時」
「よっ子って、その」
なにかを言おうとして口籠る。
「なあ、よっ子」
「なに?」
「香菜とは高校出てからも相変わらず一緒なのか」
「もしかして、香菜の事、聞きたくて、来たの?」
「いや、そうじゃない。香菜の事なんか訊きたいわけじゃないから」
よっ子は困った。眉を寄せて唇を尖らしている。
「なに、その顔、別に香菜の事を訊きに来たわけじゃないんだ。俺、小学校の時のダチって今、全然付き合いないから、よっ子はどうなのかなって思ってさ」
「香菜とは、高校卒業してから、たまに会ってたよ。でも、もう会ってないの」
「どうして?」
「いろいろあって」
「そうなんだ。それより、スマホ買ったんだな」
枕元に置いてあるスマホを見て言った。
「あっ、うん、自分で買えるようになったから」
「お前、偉いよな。あのさぁ、俺と……俺と番号交換できる?」
「うん、できるよ」
涼平はボディバッグからスマホを出してQRコードを出した。交換した事を確認していると気まずそうにバッグの中から何かを取り出してよっ子に見せる。
「これさあ、あの時、渡し損ねたプレゼントお前の……その、よっ子の8年前のやつなんだけど、誕生日プレゼントの四葉のクローバーの栞」
2人は互いに見つめ合って、よっ子はその栞を手に取った。
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