第3話 旅立ち 2
「これ」
よっ子は栞を受け取り涼平を見るとあの日の記憶が蘇ってきた。
※※※
よっ子は学校を出て、十五分ほど歩く、アパートの手前を右折し、そこから一キロ程歩いて踏切を渡り、線路沿いを十五分歩いたところにある歩道橋の階段を上がりかけて中段あたりに藤井涼平の姿を見つけて立ち止まった。
「涼平君、こんなところでなにしてるの」
よっ子の姿を見ると、気恥ずかしそうに立ち上がる涼平、
「よっ子、お前、これからおばさんの見舞いに行くんだろ」
「うん」
「おばさん、どう?」
「うん、ベットで起き上がって座れるようになった」
「そうか、母さんが見舞いに行きたいって言ってた。でも、もう少ししてからの方がいいよな。その……本当、助かってよかった。ほんと良かったね」
「うん……うん」
よっ子は震える唇を噛み締めた。みるみるうちに顔は歪み一気に涙が頬を流れ落ちていく、
「大丈夫か?」
よっ子はこくんと頷いた。
もし真紀子が死んでしまったらひとりぼっちになってしまう。
ぎりぎりの気持ちがずっと続いていた。
いろんな思いが十七歳のよっ子を苦しめる。
よっ子は頷くことしかできない。張り詰めていたものが胸を詰まらせて声にならない。
声にならない想いは幼い時から積み重ねてきた強がりの積み木、
ガラガラガラと音をたてて崩れてしまった。
「お前、大丈夫か」
「うん、大丈夫。こんくらいでへこたれるよっ子さんじゃありませんから」
と絞り出す声によっ子は子供のように泣き出した。
「うぅっ……」
涼平は足元に目線を落とすと階段を下りてよっ子の後ろ頭に手を回してよっ子の顔を自分の胸に押し付けた。
しばらく黙ったまま、よっ子を優しく抱きしめる。よっ子は学生服をぎゅっと掴んだ。ひとりで背負った錘を涼平の胸に預けた。よっ子は涙でぐしゃぐしゃの顔をぬぐう。
階段を上がって行く通行人のおばさんやサラリーマンがチラリと見ては目を逸らし通り過ぎて行く、そんな事も気にせずよっ子を抱きしめたままの涼平、
「おばさんが入院してるから、お前ひとりぼっちじゃん。お前の誕生日、祝ってくれる人いないだろうなって思ってさ、だから、俺が祝ってやろうかなって、なにか欲しいものある?」
「気持ちだけで十分だよ」
「そう言わずにさ、せっかく俺が祝ってやるって言ってんだぞ。超人気者の俺様に祝ってもらえる女なんていないんだから、今のお前は特別だぞ」
と頬を赤らめながら言った。
「人気者って、自分でいう?」
涼平は文武両道で性格も良く男子にも女子にも人気がある。思いやりがあり、優しく、あったかい男だという事をよっ子は小さい頃から知っている。
「お前、俺と一緒で読書好きだったよな。本に必須なものってなーんだ」
「しおり」
「正解!どんな栞が欲しい?」
「栞、そうね。四つ葉のクローバーが好き。だから四つ葉のクローバーの栞かな」
「わかった。それプレゼントするよ。だからもう泣くなよ、泣きたい時は、また俺に言って」
と笑った。
「うん、ありがと。ごめん鼻水ついたかも」
「汚ねえな。じゃあな。おばさんによろしく」
※※※
「あの時、プレゼントしてくれるって言ってた。しおり?」
「ああ、誕生日にプレゼントするために、河川敷に四つ葉のクローバー探しに行ったんだ。あんなにクローバー生えてるのに四つ葉ってなかなか見つからなくてさ、お前にプレゼントするって約束してから毎日、必死に探したんだぞ」
「これ、四つ葉のクローバーじゃないよ。双葉のクローバー」
涼平「はぁぁ」とため息をつくと真剣な眼差しをして、カバンの中からもう一枚の栞を出して見せた。
「それも、双葉?」
「お前って、ほんと、超鈍感女」
よっ子の手から栞を取って自分の栞と並べてみせた。
「揃うと……四つ葉の……クローバーに、なる」
「そうだよ」
よっ子は涼平の瞳を覗き込むと涼平もよっ子の瞳の奥を覗き込んだ。
「これが、俺の気持ちだった。だけど、これを渡そうとした日、お前は、俺になんて言ったか覚えてるか」
なんとなく声が怒っている。
「香菜っていい子だよ。付き合ってみたらって言ったんだ」
よっ子は目を閉じて大きくため息をついた。
※※※
『よっ子、ありがとう』
※※※
あの時のあの香菜の言葉を思い出した。
「香菜と付き合う事にしたのって」
「お前が付き合えって言ったから」
「その事、香菜に」
「ああ言った。お前が付き合えって言ったから付き合おうって」
『そんな……こと』
胸が張り裂けそうだった。
「これ、渡したかったんだ。別に今もあの頃のままの気持ちなんだとか言わない。あれから8年も経ってるし。俺たちも大人になった。ただ、俺、自分の気持ちに蹴りをつけたかったんだ。今となってはただの栞だから、今日、誕生日だろ。あの日、渡せなかったプレゼント、どうしても渡したくて、俺のケジメなんだ。受け取ってくれるよな」
涼平は栞を枕の上にそっと置いた。
「じゃあ、俺、帰るわ、カギちゃんと閉めろよ」
そう言って涼平はアパートから出て行った。ドアの閉まる音はまるで、永遠にさようなら、と告げたように聞こえる。
よっ子は玄関ドアのカギを閉めると、そのまま三和度にしゃがみ込んだ。
『好きだったのは小学生までじゃない。ずっと好きだった。ずっとずっと好きだったの。忘れた事なんてない。忘れたくても忘れる事なんてできなかった。私の支えは母さんと涼平君だったんだから』
よっ子は泣いた。涙で顔がぐしゃぐしゃになっても、あの時みたいに優しく包んでくれる涼平はいない。
あの頃の純粋に優しかった季節には戻れない、よっ子はやっとの思いで立ち上がるとベットの枕の上の栞を手に取って鼻をすすり何度も深呼吸をした。
高校を卒業してから、何もかも初めてのことで戸惑うことばかりだった。
人との関わりかたもわかってきたころ、先輩の意地悪も厳しい上司も自然と受けいれられた。
あの日、涼平の優しさによって崩れてしまった積み木はいつのまにか簡単に崩れなくなっている。
どんな時でもふと思うのは涼平の顔、寂しい時も疲れた時も泣きたくなる時も卒業アルバムの中の涼平が支えてくれていた。
『涼平君……』
よっ子は栞を胸に抱きしめて、
この夜、何もかも
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