第21話 ゴブリンの巣穴

 一度自宅に戻って準備を整えた俺は、ソフィア率いる殲滅隊と共に森の中を慎重に進んでいた。目印となる足跡は南東方面に伸びている。

 できることなら陽が落ちる前にゴブリンの巣に辿り着きたい。


「で、なんでお前までこっちなんだよ。付いてくるってことはちゃんと戦えるんだろうな」

「ククッ、我の代わりに貴様が戦うのだ蒼炎よ!」


 この場に似つかわしくない恰好でぬいぐるみを抱きしめるソフィアが、高らかに言い放つ。


「はぁ……」


 一体何しに来たんだよと嘆息してしまう。


「ウチだって本当はベッドでぐーたらしたかったんやもん。だけどアニーがこういうのは領主の務めだって無理やり……」


 幼馴染みのアニーはソフィアの体面を気にしての提案だったのだろうが、当の本人はめちゃくちゃ不服そうだ。そのアニーはというと、村に残って警備に尽力をつくしている。


「蒼炎様、あそこです」


 村の青年がゴブリンの巣を発見したようだ。俺は体勢を低く保ちながら、茂みに身を隠す青年の元まで歩み寄る。


「洞窟か……。でもなんであそこがゴブリンの巣だって分かるんだ?」


 一見なんの変哲もないただの洞窟。素人目から見ればあそこがゴブリンの巣かどうかは判断できない。


「よく見なさい。入り口に動物の骨が掛けられているでしょ? ゴブリンはああやって自分達の棲家を主張するのよ」


 たしかに不自然に動物の頭蓋骨が掛けられている。


「うむ、では我らはしっかり周囲を見張っておく。あとは頼んだぞ」

「………は?」

「何を素っ頓狂な声を上げておるのだ?」

「なんで俺一人でゴブリンを討伐することになってんだよ!」

「そんなもん我らは戦えんからに決まっておる。そのために貴様を呼んだのだ。村長は貴様が了承していると言っておったぞ?」

「了承……?」


 そんなのいつしたんだよと思ったのだが、今朝方村長から自警団に入ってくれと頼まれていた。

 ひょっとしてあれがそうだったのかと考える。

 俺はてっきり「マッチ一本火事の元――」ってな感じで夜の村を徘徊するだけだと思っていた。ニュアンスからしてもそんな感じだったと思う。


「蒼炎様、よろしくお願いします!」

「い……っ」


 喉元まで出掛かった嫌だという本音も、青年達彼らに期待の眼差しを向けられてしまえば吐き出すことを躊躇ってしまう。


「ま、まぁ、ゴブリン程度俺一人で何の問題もない」

「「「おおおおっ!!」」」


 歓喜に沸く青年達と顔を引きつらせた俺を見やり、ゆかながフードの奥で盛大に嘆息する。


「ちょっと来なさい!」

「――あっ!?」


 ゆかなに強引に腕を引っ張られて草むらに連れて行かれる。気が付くと俺は巨木に背をつけていた。そのままフードを被った彼女が巨木に手をつき俺の顔を覗き込んでくる。


「!?」


 遂にちゅーされるのではないか!

 突然のサプライズに俺はドキドキしてしまい、まばたきをすることも忘れてしまう。そのままゆかなは顔を近付けてきたが、あと少しで唇と唇が触れる寸前で止まった。


「あんたバカなのっ!」

「え……」


 思っていた展開と全然違った。


「なんであんたはすぐにそうやっていい格好しようとするのよ。大人になってもいい格好しぃなところは全然変わってないわね」

「仕方ないだろう。男には男の、年上の威厳ってやつがあるんだよ」

「15年間ニートな引きこもりだったんだから、いい加減くだらない見栄は捨てなさいよね。とっくに見栄を張る必要なんてないんだから」

「わかってないなぁー」

「なにがよ?」

「いいか? 見栄を張る必要のない人間はそもそもニートや引きこもりになんてならないんだ。どんな仕事であっても我武者羅に働くことができるからな。でも見栄っ張りはそうはいかない。あいついい歳してバイトなんかして、プークスクスと笑われるんじゃないかと考えるだけで躊躇してしまう。だから俺はニートな引きこもりだったんだよ!」

「そんなに偉そうに言うことじゃないわよ! つーか分かってんなら直しなさいよ」

「人の性格や習慣はちょっとやそっとじゃ直らないものさ。それにあれを見ろよ」


 俺は安心が顔に笑みとなって浮かぶ青年達を横目に見た。


「あんなに喜ばれて期待されたら、少しは頑張ってみようかなって気にもなるだろ?」


 15年間誰からも必要とされず期待もされなかった俺だけど、今は違う。少なくとも彼らは俺を必要としてくれている。ならちょっとくらいその期待に応えてやりたいじゃないか。


「良いように使われてるだけの気もするけどね」

「だとしても、俺はお前のために頑張るよ。それでお前が変な責任を感じなくて済むならさ」

「〜〜〜〜〜〜〜っ!」


 ん……?

 なぜ俯くのだろう。


「あ、安心しなさい! あんただけじ不安だからアタシもついて行ってあげるわよ」

「おおっ! さすが俺の嫁! ゆかなが一緒なら百人力だな!」


 そもそも風魔法の達人とも呼ぶべきゆかなが一緒だからここまで来たようなもんだしな。


「言っとくけどあんたのお嫁さんになった覚えはないからっ!」

「またまた」

「これからだってなるつもりないからっ!!」

「またまた」

「あんたのそのまたまただけは本当にウザいっ!」

「またまた」

「もっー、なんなのよっ!」


 地団駄を踏む姿すらキュートな彼女に、俺はニヤニヤが止まらなかった。


「蒼炎よ、お前達は一体そんなところで何をしておるのだ」


 しかめっ面のソフィアが早くゴブリン退治に行けと言わんばかりに詰め寄ってくる。


「お子様のお前ではわからんのも無理はない。ゆかなは戦いに行く前に大好きな俺に愛の告白をしていたんだよ」

「あ、愛の告白だと!?」

「しれっと嘘をついてんじゃないわよ! つーかあんたも信じないっ!」

「なっ!? 我に向かってあんた呼ばわりとは無礼だぞ! ……ん? そういえばお前達は兄妹ではなかったのか?」


 あーぁ……そういう設定にしたんだったか。

 興奮しすぎてつい忘れていた。


「しかし兄妹で愛し合ってはイケない道理などどこにある? お兄ちゃんしゅきしゅきする妹をかわいいかわいいする兄が居てもいいとは思わないか?」

「ちょっとこんな小さな子供になんてこと言ってんのよ! それにその言い方だと変な誤解が生まれるでしょ!」

「我は小さな子供などではない! こう見えても我は悠久の時を生きておるのだ。人族の貴様なんかよりもずーっと長生きで偉いのだ!」

「いやいや、それはさすがに無理があるわよ。どこからどう見てもチンチクリンの子供じゃない」

「チ、チンチクリンだと!?」


 目尻を吊り上げるソフィアと、納得のいかないと言いたげな顔のゆかな。俺は「これでもソフィアは15歳なんだ」こっそり伝えた。


「嘘っ、同い年なの!? アタシてっきり10歳くらいかと……」

「誰が10歳だ! 貴様はなんと失礼なブラコンなのだっ!」

「だっ、誰がブラコンよ! 何なのよこの失礼なロリっ娘はっ!!」

「ロリっ娘言うなっ!」


 言い争いをはじめた二人を引き離すように、俺はゆかなの腕を引っ張りゴブリンの巣へと向かった。ソフィアのことは青年達に任せることにした。


「本当に何なのよあのロリっ娘はっ!」

「そんなに怒ることないだろ」

「元はと言えばあんたが適当なことを言うのが悪いんでしょっ!」


 怒りが収まらない様子のゆかなを宥めながら、俺は薄気味悪い洞窟の中を見渡した。


「暗いな」


 俺は背負ってきたリュクを地面に置き、安全第一と書かれたヘルメットを着用する。ヘルメットにはLEDヘッドライトが装着してあり、暗闇でも両手を塞ぐことなく視界の確保が可能である。


「そういうところだけは準備がいいわね」

「一応発炎筒も持ってきてるぞ」


 こういう事もあろうかとAmazonsで買っておいたのだ。


「俺が先に行くから、ゆかなは何かあったら後方から風魔法を頼む」

「それは分かってるけど、大丈夫なの? なんならアタシが先に行くわよ?」

「バカ言えっ! もしも万が一お前に何かあったらどうするんだよ!」

「〜〜〜〜〜っ!?」


 例え負傷したとしてもゆかなが無事なら回復魔法で治療も可能だが、逆なら俺にはどうすることもできない。恐ろしいけどリスクヘッジのためにも、ここは俺が前衛を務めるしかない。

 それに、恐怖心もどうせ魔剣こいつを握れば消え失せる。


「ん、どうかしたか?」

「べ、別に何もないわよ」

「そうか」

「……なんでちょくちょくカッコよくなんのよ」

「おーい、置いてっちまうぞ」

「今行くわよ」




 ◆◆◆◆◆




「臭っ!?」

「オーバーよ」

「えぇー。めちゃんこ臭うと思いますけどー」

「慣れよ、慣れ」


 洞窟内は湿度が高く、じめじめしている上にちょっと臭う。風通しの良い入り口付近でこれなのだ、このまま奥に進めば悪臭で鼻がもげてしまうだろう。

 俺は新たにリュクからガスマスクを取り出した。Amazonsで購入したポイズンブレス対策用の装備だ。


「一本目投げとくか」


 ガスマスクを装着した俺は用心をとって発炎筒を投げる。

 するとまたたく間に辺りは赤一色に染まった。想像以上の明るさだ。


「これなら急襲の心配もないわね」

「こちらのこともゴブリンあちらさんにモロバレになるけどな」

「急襲されるリスクに比べたら全然いいわよ。……それより何か聞こえない?」


 耳を澄ますと確かに、奥の方からうめき声のようなものが微かに聞こえてくる。男性のものではなく女性の声だ。


 けど、なんでゴブリンの巣穴から人間の声が聞こえてくるのだろう。

 俺は身構えるように魔剣を鞘から引き抜き、洞窟の奥へと目を細めた。


「アタシ達以外に居るわね」

「居るって、なにが?」

「……捕まった人間よ」


 ゆかなの顔には凄まじい怒りが眉の辺りに這っていた。彼女は聞こえてくる声に強い不快感を感じているのだろう。


「ゴブリンは凌辱を好むモンスターなのよ」


 つまりこのうめき声はゴブリンに乱暴されている女性の声ということか。


 しかし、俺の心は一切動じない。澄んだ水のように揺るがなかった。

 俺は思わず黒いナイフに視線を落とす。


「……」


 相変わらずこの怠惰な剣は恐ろしいほど俺を冷静にする。恐怖や悲しみといった負の感情を俺から切り取り、一瞬で俺をイカれた殺人鬼に変えてしまうみたいに。


 サイコパス――今の俺にもっとも相応しい言葉。


 それと同時に頭の片隅で思ってしまう。

 俺はいつかこの異常とも言える黒いナイフに心を喰われてしまうのではないかと。

 できることなら今すぐにでも魔剣なんて捨てた方がいい。そのことも重々理解している。


 けれど、思うだけでそんな気は一切ない。

 魔剣これがなければ俺はゆかなの事も、俺自身の事も守れないのだ。

 自分がバケモノになっていく事を分かっていながらも、この弱肉強食の世界で生き抜くためには、魔剣を手にするしかないのだ。

 たとえそれが悪魔の作った剣だとしても。


「急ぐわよ。まだ助けられるかもしれない」

「……うん」


 俺には彼女のような正義感も、助けたいという人間らしい気持ちもなかった。

 一つだけ思った事があるとすれば――


 ……めんどくせぇー。


 ただそれだけだった。




 ◆◆◆◆◆




「……くっ」


 苦しげな声が近付くと、ゆかなにライトを消すように言われた。

 素直に従った俺は壁に身を預け、ゴブリンが女性に乱暴を働く光景をぼんやり見ていた。


 10代後半くらいの女性が一人と、20代くらいの女性が二人、12匹のゴブリンに犯されている。近くには食い散らかした牛の残骸も確認できた。


 が、それらを眼の当たりにしても、俺には特にこれといった感情は生まれなかった。

 初めて女性の裸体を生で見たというのに、何も感じないのだ。


「……」


 不安な気持ちに駆られることはなかったが、無意識に自身の股間に視線を落としてしまう。

 もしも一度も使わずにEDになったとかなら、きっと俺はあとでガチ泣きすると思う。

 そもそも凌辱プレイは趣味じゃないので、俺の息子も反応しなかったのだと思いたい。


「赦せないっ」


 そんなどうでもいいことを思案する俺の隣で、彼女は奥歯を噛みしめている。

 きっとこれが一般的なリアクションなのだろう。


「すぐに助けるわよ」

「分かった。俺が突っ込むからゆかなは援護を頼む」

「……ねぇ」


 そのままゴブリン達の元に行こうとしたのだけど、彼女に肩を掴まれた。

 どうしたのだろうと振り返れば、不安げな表情の彼女と目が合う。


「あんた……大丈夫?」

「……なにが?」


 ゆかなは一瞬困ったように眉を八の字に曲げ、すぐに顔を横に振る。


「ううん。あんたが平気ならそれでいいの」


 このむごたらしい現状を見ても恐怖や怒り、悲しみといった感情がまったく表情に表れない俺を見て、彼女は何かを感じ取っていたのだろう。


 実際、俺も自分自身を少しばかり奇妙に感じていたのだ。


「……そっか」


 初めて異世界で人を殺したあの時よりも、感情が抑え込まれているような気がしたけど、今は気にすることなく眼前のゴブリンに集中する。


「――――ッ」

「ゴブゥゥウウウウウウッ」


 魔剣を片手に飛び出した俺は、獲物に襲いかかるチーターの如く素早い動きで音もなくゴブリンを斬りつける。


 刹那、壁と言わず天井と言わずまるで噴霧器で吹き飛ばしたような血しぶきがゴブリンの体躯から噴き上がる。

 仲間のゴブリンが奇襲を受けたことに気が付いたゴブリン達は、一斉に俺へと襲い掛かってくる。


「――ウインドッ!」


 二匹、三匹と飛びかかって来るそばから、真っ二つに引き裂かれたゴブリンが地面を赤く染める。後方に控える彼女で嫁さんでクールな相棒が、ビリー・ザ・キッドばりの早撃ちでかまいたちを繰り出していた。


「ひゅー♪」


 その圧倒的な光景に俺は思わず胸が踊り、ガキの頃に憧れていた西部劇のガンマンのように口笛を吹いた。


「ウチの嫁はやっぱり最強だな!」

「だから、誰があんたの嫁なのよっ!」


 ゴブリン達の雄叫びと、犯されていた女達の悲鳴が飛び交う中を、俺は魔剣を振るいながら駆け抜けた。


 ――楽しい。


 そんな風に感じていたのは魔剣のせいだったのか、それとも俺という人間の本質だったのかは定かではない。


「あっははははは―――」


 ただ、込み上げてくる笑いを抑えることができなかった。

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