第15話 お前ってノーパンなの?
翌朝、起きるとやはり体のあちこちが痛かった。硬い床の上で寝たことが原因だと思う。
俺は朝の一服をしてから一階に降り、家族がいないことを確かめてからリビングにゆかなを呼ぶ。
「おばさん達は?」
「親父は仕事で母さんはパート、妹は学校だな」
「唯ちゃんだっけ? 赤ちゃんだったのにもう高校生なんだ、なんか感慨深いわね」
あの頃生まれたばかりだった妹は、気がつくとあの頃の俺達の年齢に近付いていた。俺がおっさんになるわけだ。
「早くお前のことを家族に紹介できりゃいいんだけどな」
「……ねぇ、恋人を紹介するみたいなノリで言わないでもらっていい?」
「婚約者の間違いでは?」
「してないから!」
「またまた」
「あんたと婚約なんていつしたのよ!」
「結納金2億は収めたぞ」
「ベルフェゴールのおっさんにでしょうがっ!」
「でも1億のうち15%はリフルちゃんの美人ママに支払われるんだろ。俺が払ったみたいなもんじゃん」
「だからって結納金にはならないから!」
「またまた」
「そのまたまたってのウザいからやめて!」
すっかりいつもの調子を取り戻したゆかながシャワーを浴びている間に、俺は朝食を作った。といっても火をかけたフライパンに卵とベーコンを落としただけ。あとはゆかながシャワーから上がったらオーブンに食パンを放り込むだけなのだ。
何々、お前のくせに風呂を覗きに行かないのかって? もちろん行ったさ。んっで殺されかけたから、こうしておとなしく朝食を作っていたというわけだ。
「いい匂いじゃない」
生まれてはじめてシャワーを浴びてご機嫌なゆかなは、さっきの事を赦してくれているのだろうか。赦してくれているといいな。
ちなみに彼女が今着ている服は妹の服だ。
大きめの白い無地のTシャツが短パンを隠し、何も穿いてないみたいに見えて少しえっちだ。前世ではかなりのお洒落さんだったゆかなを気遣い、アクセなんかも大量に渡した。
最近はこういうギャングみたいなゴツいのが流行ってるんだと不思議そうにしていたが、ちゃっかり身に付けている。出掛ける際はバケットハットで耳を隠せば誰も彼女がハーフエルフだなんて気付かないだろう。
どこからどう見てもをめちゃくちゃ可愛い外人さんだ。にしても本当にハリウッド映画から飛び出してきた女優さんみたいだな。
「食べたらすぐ行く?」
「俺にもシャワーくらい浴びさせてくれ」
「ならそのあと?」
「だな」
ゆかなはまるで週末、ようやく動物園に連れて行ってもらえる子供のように落ち着きがなかった。
朝食を終え、シャワーを浴びる俺は少し不安になる。
彼女は逢坂ゆかなとして住んでいた家を見れることが嬉しいのだろうけど、そこにもう彼女の家族はいないのだ。分かっているとは思うが、落胆しないか心配だ。
「靴は妹のエアフォースを履いてくれ、サイズは大丈夫か?」
「ばっちり! アタシ唯ちゃんと相性抜群かも!」
「姉妹仲がいいのは喜ばしいな」
「……はぁ………」
ため息を吐き出したゆかなが可哀想なものでも見るような眼で俺を一瞥、そそくさと外に出て行ってしまった。
「そういえばあんた31歳なら車とか運転できるんじゃない?」
かつて逢坂家だった場所に向かって歩いていると、隣を歩くゆかなが無神経な事を口にする。俺は尖った上唇を下唇にかぶせて、半泣きの烏天狗みたいな顔つきになってしまう。
「……何よその顔は」
「お前は引きこもりのニートが自動車免許なんて持っていると思うか?」
「聞いたアタシが馬鹿だったわ」
「なら聞くなよっ! お詫びにちゅーしろ!」
「また始まった。いい加減警察に突き出すわよ」
「こっちに帰って来たからって現代ムーブすんじゃねぇよ」
「へぇー、そういう態度なんだ」
立ち止まり周辺を見渡したゆかなは、通りすがりのおばさんに「あの〜」突然話しかけた。
「お巡りさん呼んでもら――」
「――――なんでもないですっ!?」
「……?」
こいつはアホかっ!
いきなり見ず知らずのおばさんになんてこと言ってくれてんのじゃ!!
俺は頭にクエスチョンマークを浮かべるおばさんを置き去りに、ゆかなの腕を掴んで全力疾走。
「正気かお前はっ!」
「一回痛い目に遭わないとあんたのセクハラは止まらないと思ったのよ」
「だからって見ず知らずのおばさんに警察呼んでくれはねぇだろ! あやうくマジで変質者として留置所送りになるところだったわァッ!!」
「頭を冷やすためにはそれも有りかもね」
「無しだ! 無しに決まってんだろ! こんなこと言いたかないけどな、俺は性奴隷を買ったんだぜ。しかも2億でっ! これって詐欺みてぇなもんだと思わないか?」
「それをお巡りさんに言ったら?」
「違うんですよお巡りさん、実はこの娘俺の性奴隷なんです。ちょっと異世界行って2億で買ってきまして、なんて言ってああそうなんだってなると思うか!? 俺が警察なら即刻薬物検査からの精神病棟に放り込むね!」
「あんたニートやめてピン芸人にでもなったら? 中々いい線行くかもしれないわよ」
「俺は真剣に話してんだよっ!」
「あっ、あそこのコンビニ寄っていい?」
「聞けよ! 俺の話を聞けよ!!」
「15年ぶりにガリガリ君食べたくなっちゃった! 向こうにはアイスがないのよね」
この野郎完全にシカトしてくれていやがる。
「ほら、早くあんたも来なさいよ」
横断歩道を渡った先でおいでおいでするゆかなは、悔しいが怒りも吹き飛ぶほど可愛すぎた。
「そりゃ行くけどさ」
まだ金貨売ってないからあんまり金がないんだよな。足りるかな?
財布の中身を確かめた俺がこっそり、ガリガリ君一個が限界だと耳打ちしたことは内緒だ。
「はぁ……残金36円になってしもうた」
大至急質屋に向かいたいのだが、その前に約束通りゆかなを旧逢坂邸に連れて行く。
◆◆◆◆◆
「……15年経ってるんだよね」
「ああ」
「全然変わらないね。此処だけ時間が止まっちゃっているみたい」
ゆかなは旧逢坂邸をただじっと見つめていた。
事件以来すっかりやって来ることがなくなってしまったその家は、本当にあの日のまま変わらずそこに建っていた。
今にも制服を着た幼馴染みが玄関から飛び出してきて、「蒼炎が迎えに来るの遅いから遅刻しそうなんだけど!」そんな理不尽な言葉が聞こえてきそうだった。
けれど、もう二度とあの玄関から天真爛漫な笑顔で駆けてくることはない。
表札には「逢坂」ではなく「鈴木」と書かれている。
かつて通いなれたこの家は、もう俺の幼馴染みの家ではないのだ。
「……行こっか」
「もう、いいのか?」
「……うん」
彼女の両親がもう、そこに住んでいないことは告げていた。それでも彼女は生前家族と住んでいた家を見たいと言った。
彼女の蒼い瞳はなにを映し、何を想ったのだろう。
苦しそうに吐き出された二文字に、俺の小さな胸は張り裂けてしまいそうだった。
「で、次は質屋だっけ?」
「……ああ」
「なんであんたまで暗くなるのよ」
「別に暗くねぇよ」
「暗くないんだぁー」
俺なんかよりずっと辛いはずなのに、ゆかなは場を和ませようと明るく努めている。その優しさに不覚にもうるっとしてしまう俺に、「へぇー、ふーん、そうなんだぁ〜」口にしながら歩く速度を落とした彼女がぴったりと横にくる。
「話が変わるんだけど」
「なんだよ?」
「金貨を売ったらアタシもいくらか欲しいんだけど」
「は?」
このセンチメンタルな状況で、2億も借金をしている俺から金を奪い取ろうというのか!
こいつは一体全体どんな神経してるんだよ。
「5万くらいあればいいから」
「ご、ご、ご、ご、5万だと!?」
この女は5万円という大金を、5万くらいと軽々しく口にする。
それは俺のお小遣い10ヶ月分であるということをこいつは知らないのだろう。
故になんの苦労もせずに、俺から10ヶ月分のお小遣いをぶん取ろうとするのだ。
俺が2億も借金をしている異世界借金王であることを知りながら、こいつは大切な借金返済資金を寄越せというのかっ。
「無理に決まってるだろ! ガリガリ君が欲しかったらまた買ってやるからそれで我慢しろ」
「ガリガリ君買ってくれるのは嬉しいけど……そうじゃないのよ」
「そうじゃないってなんだよ? 大体5万も何に使おうっていうんだよ。5万だぞ、5万!」
それだけあれば憧れの巨大フィギュアだって買えてしまう。夢のソープにだって行けてしまう。えっちな事をまったくさせてくれない彼女にほいそれと大金を渡せるほど、俺はリッチでもなければお人好しでもない。
「女の子には色々と必要な物があるのよ」
「なら大銀貨をやる。それでいいだろ?」
銀貨や大銀貨はこっちでは換金することができないただの鉄屑だが、異世界では立派な通貨になる。何もわざわざ希少価値の高い円で購入することなどない。今まで通り異世界で入手すればいいだけのこと。
「異世界のじゃあ、その……嫌だから言ってるのよ」
「15年間も異世界ので事足りて来たんだろ? ならこれからだって向こうので十分だろ」
「こっちに帰ってこれたんだから、性能や肌触りがいいこっちの世界のやつが欲しくなるのは当然でしょ!」
「わざわざ贅沢をする必要なんてないって言ってんだよ。お前俺が死ぬほど借金あること分かってんのか? 向こうで手に入れた金貨を換金するのだって、簡単じゃねぇんだよ。下手すりゃそこから色々と足がつく可能性もあるから、一店舗に付き数枚が限度なんだよ」
「それは分かるけど、でも本当に必要なのよ!」
「却下! なんと言われても却下だ!」
俺はいい加減にしろと声を張り上げ、歩く速度を上げた。
俺は以前どうしても欲しいフィギュアがあった。しかしその価格は2万円、当然俺のお小遣いでは買えない。限定ものだったから4ヶ月お小遣いを貯めて買える代物でもなかった。
時間が経てば経つほど確実に値が上がることは容易に想像がついた。だから俺は両親に頭を下げ、お小遣いを上げてほしいと言った。
結果は惨敗。
烈火の如くキレた親父の勢いに負け、俺は渋々諦めた。
俺は不思議なことに、あのときの親父の気持ちが少しだけ分かったような気になっていた。
「下着が買いたいのよっ!!」
「――――!?」
一陣の風のように背後から突き抜けてきた大声に、俺は思わずその場で足を止めてしまう。
錆びた機械人形のように、俺はゆっくり彼女へと振り返った。
真っ赤な顔で俯いたゆかなが、おトイレを我慢する幼女のようにモジモジしている。
「あっ、あんた服は妹ちゃんの貸してくれたけど、下着は貸してくれなかったじゃない!」
「!?」
なっ、なんだと!?
たしかに俺はゆかなに妹の服を貸したが、さすがに下着までは貸していなかった。
いや、ちょっと待て!
そもそも他人の下着を借りるというのはどうなのだ。それって有りなのか?
服の貸し借りは一般的だが、下着の貸し借りなど聞いたこともない。
あーあ、ずぶ濡れになっちゃった。
本当に! ありがとう。
こういうのはゆるゆる日常系アニメなんかで観たことあるけれど……。
あーあ、パンツまでずぶ濡れになっちゃった。
本当に! ありがとう。
聞いたことがない!
そんなシーンは観たことがないぞ!!
いやいや待て待て。
深呼吸をして一度落ち着くのだ、俺。
今は他人の下着を借りるのが有りか無しかなんてどうでもいいはずだ。
問題は彼女がノーパンノーブラだという事実! それだけなのだ。
「お、お前……いま――」
「――口にしたら本気で警察に突き出すからっ!」
「……」
「………っ」
元々前貼りだけだったのだから今更な気もしなくはないのだけど、そこは現代ファッションに身を包み、現代の景色に溶け込むことによって想像が一億万倍に膨らんでしまう。
めっちゃエロくない?
おヘソの辺りで手をこねこねしながら、太腿をすり合わせる仕草が彼女のエロさを増々にしている。
恥じらい、それはエロにもっとも必要なスパイス。今の彼女はまさにスパイシーだった。
「な、なるほどな。そういうことか」
けれども、それならそれで非常に気になる事がある。
「あのさ、異世界では、その……どうしてたんだ?」
「――――ッ」
うげっ!?
すげぇ睨まれた。
「違う違う! いやらしい意味じゃなくてだな、純粋に異世界の下着事情が気になっただけだ本当だ!」
「普段は……穿かないわ」
「普段は……?」
どういう意味だ。
下着を着用する時としない時があるということか? なぜ常に着用しないのだろう。
「しょ、勝負の時だけ着けるのか?」
「違うわよ、バカッ!」
「いや、だって分からないじゃないか!」
「そもそも無いのよ」
「無いとは何がだ?」
「下着を穿く文化がないのよ!」
それはおかしい。
なぜなら今しがた着用する時としない時があると、自分で言ったばかりじゃないか。
「穿く時もあるんじゃないのか?」
「……そりゃ、あるわよ」
「下着を穿く文化がないのに?」
「だからそうだって言ってるでしょ!」
何をそんなに怒っているのだろう。
今は本当にいやらしい気持ちなど少ししかなく、単純に気になるから聞いているのに。
「なんでパンツを穿く文化がないのに、パンツ穿く時があるんだ?」
「………言いたくない」
拗ねた子供みたいにそっぽを向いてしまった。
「なら俺も金はやらん」
「なっ!? あんたそれはいくらなんでも鬼畜だと思わないわけっ!」
「15年間も穿いてこなかったんだから、今更だろ」
ノーパンノーブラでずっと俺の隣を歩くと考えれば、マジで最高だしな。
「10歳の頃に前世の記憶が戻ってからは、落ち着かないのよ!」
「スースーしてか?」
「……」
「やっぱりスースーして落ち着かないのか?」
「……っ」
「どうなんだよ? やっぱりノーパンだとスースーするものなのか?
「……あ、あんたねぇっ」
「誤解しないでくれ。俺はお前と違ってノーパンで外を出歩いたことがないから、ノーパンだとスースーするのかしないのか分からないんだ」
「……くぅッ」
「で、どうなんだ? やっぱりスースーしているのか?」
「ええ、そうよっ! ノーパンだとスースーするから落ち着かないって言ってんのよっ!!」
「……」
うわぁ……。
大音声でノーパンであることを公言するもんだから、通行人が一斉に彼女へ振り返っていた。
「で、なんで穿く時と穿かない時があるんだ?」
異世界の不思議をまだ聞いていない。
異世界系のラノベでも、パンツを穿く時と穿かない時があるなんて設定は聞いたことがなかったので、非常に気になっていた。
「……え、なんて?」
先程までの大声が嘘みたいに、真っ赤な顔を帽子で隠しながら、彼女はゴニョゴニョと何かを呟いている。
よく聞こえなかったので近付いて耳を近付けると、
「女の子の日は……布を穿かないわけにはいかないじゃない」
「ああ、生理だと血を垂らしながら歩くことになるもんな」
――――パンッ!
住宅街に乾いた音が鳴り響き、俺のほっぺたが倍ほどに腫れたことは言うまでもない。
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