第14話 世界はそれを愛と呼んでいたんだぜ

「少しは落ち着いたか?」

「……ええ」


 俺は兎のように真っ赤に目を腫らしたゆかなをベッドに座らせた。そのまま俺も隣に座って彼女の頭を抱き寄せる。

 いつもならここで怒られるのだけど、何も言われない。

 全然怒られないのだ。


 試しに軽く頭をポンポンと叩いてみるが、やはり反応がない。

 ふと視線だけをゆかなの方に目を向けると、虚ろな表情の彼女がいる。


 ゴクリッ。


 とても無防備な彼女の横顔に、もしかして今なら勢いに任せてやれるのではないか。最低な考えが脳裏をよぎってしまう。


「……っ」


 無論頭を振って邪念を払いのける。

 今の彼女がどんな気持ちなのかはさっぱり検討もつかないが、スケベなことをするような気分ではないことだけは確かだ。


 俺はバカでスケベなDTだが、人の心が分からないDTではない。

 何より、今はこうして彼女の頭をポンポンできるだけで幸せだった。


「ありがと、でももう大丈夫」

「……あ、うん」


 とても名残惜しかったけど、ゆかなが俺から離れていく。温もりが消えた左側には、ほのかに女の子特有の甘い香りだけが漂っていた。


「なんか飲み物とか食い物持ってくるわ」

「……うん」


 しおらしい彼女を見ると、なんだかこちらまで調子が狂ってしまう。


 部屋を出た俺は一階のリビングの扉を開ける。リビングには母と父、それに年の離れた妹がいる。時刻は20時、ちょうど夕飯時だったようだ。


「あんた昨日からなんにも食べてないんじゃないの? ご飯食べる?」


 昨日は異世界あちらに行きっぱなしだったため、一度もリビングに下りて来なかった。そんな俺を母は心配してくれているのだろう。


 あの事件以来、両親に取って俺は腫れ物なのだ。


 2年4組惨殺事件はセンセーショナルな事件として日本中に衝撃をもたらした。

 イジメを受けていた同級生の男の子が、サバイバルナイフと自作の拳銃でクラスメイト達を次々に殺害。31名いた2年4組の生徒のうち、30名が死亡。加害者だった生徒は朝の教室で29名を殺害後、その場で自らの首を切り落とし自殺。唯一の生存者となった俺の家には、心無いマスコミ達が連日のように押し寄せた。


 一部のネット民からは、本当の黒幕は唯一生き残った俺なのではないかという陰謀論まで飛び出した。


 その事に拍車をかけるように、週刊誌は加害者少年と唯一親しかった俺ならば事件を未然に防げたのではないかと誌面で言及。

 合同で行われた2年4組の告別式では、週刊誌の記事を鵜呑みにした一部被害者の親から、どうして助けてくれなかったのだと泣きつかれ、責められた。


 しかし、あれからもう15年……。


 父はいい加減過去を引きずるのはやめろと言い、25歳を過ぎた頃から働け働けとうるさくなった。


 思春期に突入した妹は、ニートでヒッキーな俺を毛嫌いしている。昔はいつでも家にいて一緒にゲームしてくれるから好きだと言ってくれていたのに、今では俺と兄妹だと思われることが恥ずかしいという。


 友人達に俺の事でからかわれたりするのが耐えられないのだと、2年前一度だけ泣きながら怒鳴られたことがある。


 母は相変わらず俺には甘い。

 その優しさが時々憂鬱で、胸の内側が痛くなったりもする。いっその事このゴミクズ息子と罵ってくれたほうがマシなのに……。

 そんな風に自己中心的な思考に陥ったりもする。


 こうして俺がリビングに顔を出すだけで、母は取り繕ったような笑顔を顔に貼り付け、妹はあからさまに不機嫌になり、父は眉間に焼印のようなしわを刻みつける。

 先程まで聞こえていた笑い声も、今はまったく聞こえない。


「ううん、大丈夫」


 俺という存在はこの家では異物であり、病原菌のようなものなのだ。そこに居るだけで家族を不快にしてしまう。


 俺は2Lのペットボトル(お茶)とコップ、それに電気ポットで湯を注いだカップラーメンを二つ手に持ち、リビングをあとにする。

 母はなぜ二個なのだろうと首をかしげていたが、その事に突っ込んで来ることはなかった。


 部屋に戻るとゆかなが中学時代の卒アルを見ていた。そんなもの何処から引っ張り出してきたのやら。


「この頃は良かったよな」


 カップラーメンを差し出しながら声を掛けると、彼女は「うん」と頷き「味噌がいい」と言った。俺は逆の手に持っていたスーパーカップ(味噌味)を渡した。


「ほら」

「ありがと」


 本当は俺も味噌が良かったのだけど、おもてなしの精神は大切にしたい。


「こんなのしか無くて悪いな」

「ううん。すっごく美味しい。向こうにはカップラーメンはもちろん、ラーメンなんてないから」


 言われてみれば確かにそうだ。

 ラーメンのない生活などきっと今の日本人には想像がつかない。日本人がもっとも食している料理の一つがラーメンなのではないかと思うほど、スーパーにもコンビニにもラーメンは所狭しと並んでいる。


 15年ぶりに食べるカップラーメンは、確かに格別なのかもしれない。


「こう見ると、あんたって31なのにあんまり変わらないわよね」


 卒アルと俺を見比べた彼女が言う。

 たしかに俺は昔から童顔だった。


「未だにコンビニで煙草買おうとすると二十歳未満と勘違いされるしな」

「ウケる。てか煙草吸うんだ」

「……まあな」

「へぇー、大人じゃん」


 意外だったのだろうか、わずかに彼女が眉毛を持ち上げる。


「昔……前世の頃はさ、煙草吸ってる男の人に憧れてたんだよね。何かカッコよくて。――って、食事中に吸おうとすなっ!」

「ダメか」

「せめて食べ終わってからにしなさいよね。あと、窓は全開にして外向いて吸いなさい」

「はい」


 時代に逆行するように煙草を吸ってて良かったと本気で思った。


 彼女とこうして部屋でだべっていると、15年前にタイムスリップしたような不思議な感覚になって、よくわからない感情がグワッーって込み上げてくる。


 愛しいなんて気持ちも感情も俺には分からないけど、なぜかサンボマスターのあの名曲が頭の中に流れた。


「どうかした?」

「いや、なんでもねぇ」


 口ずさみたくなる衝動を抑えるように、俺は麺を啜った。


「ねぇ……」

「……ん?」


 カップの中の麺をかき混ぜていた箸がふいに止まると、改まった顔つきのゆかなと目が合う。


「なんだよ?」


 カップを床に置くと、彼女は耳朶に触れる。視線は左上を向いていた。


「こっちのパパとママはどうしてるのかなって」


 ああ、そういうことか。

 そりゃ真っ先に気になることは家族のことだよな。


「アタシが殺されて……大丈夫なのかなって。元気にしてるのかな?」


 ご近所さんということもあり、うちの親とゆかなの親は仲が良かった。

 けれど、俺は今現在の彼女の両親のことを何も知らない。


 というのも、ゆかなの両親は事件の一年後に引っ越してしまったのだ。

 きっと大切な娘が殺された場所に住み続けるのが辛かったのだろう。

 俺は隠さず、その事をゆかなに話した。


「そっか、引っ越しちゃったんだ」


 それっきり彼女は黙り込んでしまった。

 食事を終えた俺は言われた通り窓を開け、夜空に向かって紫煙を吐き出す。

 すっかり元気がなくなってしまった彼女をちらっと見やり、「明日見るだけ見に行ってみるか、前世の家」俺はこの重苦しい空気を取っ払うように口にした。


「行きたい!」

「……別の人が住んでるから、中には入れないぞ?」

「それでもいい! 連れて行って!」

「うん、行こう」


 そのあとで質屋に赴き、少しだけ資金を得ようと思う。

 忘れてはならないこと、それは俺に2億の借金があるということ。毎月白金貨5枚の超高額返済を行うためにも、物資を購入するための資金が必要なのだ。


 なんたって俺はニート。

 貯金なんぞ皆無なのだから。


 明日の予定を話し合い、今日はもう就寝することにした。


「そっち、行ってもいいか?」

「……死にたいならどうぞ」


 いい感じになれたからワンチャンあるかもと思ったのだけど、全然そんなことなかった。彼女はいつも通り鉄壁の女だった。


 当然のようにゆかながベッドで寝て、俺は床で寝た。

 少し背中が痛かった。

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