第13話 ⚠盗撮は犯罪です

「どうだ、ここがリビングだ!」


 真っ暗な部屋の中央で両手を広げ、俺は得意気に眉毛を2回持ち上げた。


「暗くて何も見えないわよ」

「あっ、そっか」


 俺はポケットからスマホを取り出し、ライトをON! まるで魔法のように部屋がパッと明るくなると、瞠目するゆかなが視界に映り込む。


「それてっアッポー社がアメリカで発売したって話題になってた携帯!?」

「……スマホだけど」

「スマホ……?」


 あ、そうか。

 第一世代のiPhoneが発売されたのは2007年6月29日だったのだけど、日本で発売されたのはその一年後だったと記憶している。

 ゆかなは本物のスマホを直接見るのがはじめてなのか。


「ゆかな、ちょっといいか?」

「……なによ?」


 俺はカメラアプリを起動、ゆかなの肩に腕をまわしてパシャリッ! 記念に一枚撮った。

 すかさずロック画面とホーム画面に二人のラブラブツーショットを設定する。


 それを満面の笑みでゆかなに翳した。


「………まあ、それくらいなら別にいいけど」


 あとでこの写真を付けて彼女自慢のツイートをしよう。


「ねぇ、これなに?」


 ゆかなは例の木箱――宝箱を指さしていた。


「ああ、教会でちらっと話したろ? そこにこれが入ってたんだよな」

「黒いナイフ?」

「このナイフを握るとアクション俳優みたいに何でもできるんだよな」

「ちょっと見せてもらってもいい?」

「構わないぞ」


 ナイフを手渡すと、ゆかなはナイフの腹に刻まれた刻印に視線を走らせる。


「ねぇちょっとここ、そのケータイで照らしてくれない」


 俺は言われた通りスマホのライトでゆかなの手元を照らした。


「これって……」

「どうかしたのか?」


 左手で左の耳朶を触るゆかな。

 彼女がこの仕草をする時は、大抵がなにか大切なことを考えている時だ。


「あんた異世界こっちに来てすぐにコレを手に入れたのよね?」

「そりゃ詫びアイテムだったからな」

「何か体に異常はない?」

「何かって?」

「例えば……このナイフを持ってから無性に人を傷つけたくなるとか」

「ないけど」

「……そう」

「あ!」

「やっぱり何かあるわけ?」

「そんなに大したことじゃないんだけど」


 早く言いなさいとゆかなが詰め寄ってくる。


「さっき言ったように運動神経が跳ね上がるのはもちろんなんだけど」

「けど?」

「そのナイフを握ると不思議と落ち着くんだ」

「落ち着く?」

「うん」


 俺は一昨日この世界に来てすぐ、はじめて人を殺したことをゆかなに話した。


「それがどうかしたわけ?」

「殺人が日常的に行われる世界で生きてきたゆかなには分かんないかもだけどさ、俺ははじめてだったんだよ、人を殺すの。でもさ、罪悪感とか全然感じないんだよな。死体は、なんというか15年前に大量に見ていたから慣れてたって言ったら変だけど。さすがに人殺しても何も感じないのは……。俺って実はサイコパスだったのかなって思ったりさ」


 当初は精神耐性とかストレス耐性がこの黒いナイフに付与されているのだと思っていた。だから殺人という大罪を犯しても罪悪感を感じない。あるいは感じづらいのだと。


 しかし、俺は2億の借金に煩わしさを覚えている。これからの返済が非常にストレスだった。

 大袈裟でもなんでもなく、借金のことを考えるとストレスで禿げてしまいそうなほどだ。


 だがそうなると、このナイフにはそもそもストレス耐性や精神耐性といった類の力は付与されていないのではないか。というのが俺の見解。

 であるなら、なぜ俺はこの黒いナイフを持つとこんなにも心が落ち着くのだろう。


「日本生まれ日本育ちのあんたの順応性は確かに目を見張るものがあるわね」

「だろ!」

「でも、あんたが人を殺めても罪悪感を感じなかったのは、あんたがサイコパスだったからじゃないわよ。きっとこの魔剣のせいよ」

「………魔剣っ!?」


 信じられない事だが、ゆかなは俺の黒いナイフが魔剣だと言い切ったのだ。


「ここを見て」


 ゆかなは武具屋の店主でも分からなかった刻印を指でなぞった。


「これは悪魔文字よ」

「悪魔文字……?」

「魔剣は遥か昔、力を欲した魔族の王が悪魔に頼んで作らせたものよ。魔剣の数は全部で七つ。一振り一振りが世界を滅ぼすほどの力を秘めてると云われているわ」


 これが世界を滅ぼす魔剣!?

 にわかには信じられん。

 運動神経は抜群になるけど、世界を滅ぼすほどの力があるとは思えなかった。


「つーかなんでそんなこと知ってんだよ」

「昔ママから教わったのよ。いつか必要になる日が来るから、悪魔文字だけはしっかり学びなさいって」

「なんでそんな物騒な文字が必要になるんだ?」

「それは教えてもらえなかったのよ」


 なんだよ、それ。

 にしても……。


「これが魔剣……か」

「アタシも本物の魔剣なんて初めて見たわよ」

「で、これはなんて書かれているんだ?」

「怠惰な剣」

「怠惰……」

「ある意味ニートで引きこもりのあんたにピッタリの剣よ」

「………」


 そう言われるとちょっと恥ずかしい。

 顔がほのかに熱かった。


「魔剣なんて物騒なもんを持っていていいのかな?」

「魔剣は魔剣自らが所有者を選ぶってママから聞いたことがあるわ。一体誰があんたに魔剣を託したのかは分からないけど、状況だけ見れば魔剣の所有者にあんたが選ばれたとも言えるんじゃない? 選ばれた魔剣の所有者だったからナイフを握ると落ち着くのかもしれないし」

「でもなんで俺なんだろ?」

「引きこもりニートだったからとしか思えないわよね。それって凄く怠惰なことだと思うし」


 引きこもりとかニートとかって、自分で言う分には全然いいけど、他人に、それも好きな女の子から言われると、意外にくるものがあるんだな。


「で、問題のあんたの部屋に続く階段ってのはどこにあるわけ?」

「それならこっちだ」


 俺はゆかなを二階の部屋に案内した。

 6畳程の部屋の奥に、入り口とまったく同じ木製の扉がある。ゆかなは扉の前で立ち止まり、お馴染みの仕草で何やら考え込んでいる。


「開けても平気なのよね?」

「ああ、ただの階段だからな」


 ドアノブに手を掛け、ゆかなはとても慎重に扉を開けていく。立て付けが悪いのか金具部分が錆びているのかは不明だが、ギィギィと耳障りな音が小さく鳴る。


「な、ただの階段だろ。強いて言うならこの階段、一段一段の高さが結構あるくせに、すっげぇ急なんだよ。だから上るのめっちゃ大変でさ」

「それはあんたが単に運動不足なのよ」

「いやいやいや、ちゃんと見てくれよ! これどう見ても高いだろ! いいか、一般的な階段の一段辺りの高さは18cm~20cmとされている。ところがこれは40cm〜50cm――」

「そんなこと今はどうでもいいでしょ」

「なっ!?」


 全然どうでも良くない。

 一段が高いから上るのが大変なわけであって、決して俺の運動不足が関係しているわけではないということの証明になる。


「先が見えないわね。それに暗い」

「この階段めっちゃ長いぞ」

「長いってどのくらい?」

「測ったわけじゃないから正確には知らんが、ビルの1階から10階くらいまで上ってる感覚だな」

「それはたしかに疲れるかもね」

「だろ! そうだろ! 俺が運動不足だから疲れるわけじゃないだろ!」

「もぉーわかったわよ。アタシが悪かったわよ。あんたが運動不足なのは変わらないけど、この階段は運動不足じゃない人でも上るのは大変。これでいい?」

「………」


 なんか違う。

 全然訂正された気にならない。

 むしろ複雑な気分なんだが。


「あんたのケータイで足下照らしてもらえる?」

「それは困る」

「は?」

「あっ、いや、じゃなくて」


 俺は部屋の隅に置いてあった懐中電灯を取り、ゆかなに手渡した。


「準備いいのね」

「まあな」

「……なによ、じっと見て。またちゅーしろとか言うんじゃないでしょうね」

「まさか、言わない言わない。言うわけないだろ」

「あんたがそんなだと、なんか気味が悪いわね」


 俺はにっこり微笑み、どうぞどうぞと手のひらを階段のほうに差し出した。


「……あんたなんか変よ?」

「そうか? ゆかなに好かれるために紳士になってるんだよ」

「……まあいいわ」


 長く伸びた階段の先を懐中電灯で照らす彼女の後方で、俺は素早くカメラアプリを立ち上げる。それから暗闇でも綺麗に撮影できるナイトモードに設定する。


「お先にどうぞ、レディーファーストってやつだ」

「なら先に行くわよ」


 ゆかなが階段を上り始めた。

 されど俺はまだ動かない。

 ある程度距離をつくり、完璧な角度になるのを待つ。動かざること山の如しだ。

 そしてじっと耐え忍んだ者にだけ、シャッターチャンスは訪れる。


 Congratulation!!


 やはり思った通り。

 頼りない布は前貼り。

 つまり後方、彼女のお尻を隠すものは何もない。


 白い小鳥のような丸いお尻が暗闇にぷかりと浮いている。

 なんと滑らかなお尻なのだろう。

 思わず手を伸ばして触りたくなる衝動を必死に押し殺し、俺は夢中でシャッターを切った。


 パシャッ、パシャッ、パシャッ、パシャッ、パシャッ、パシャッ、パシャッ!


 Oh〜Jesus!

 最高だ。

 これぞパーフェクトピーチ。

 桃太郎さん桃太郎さん、お尻に付けたきびだんご、お一つわたしにくださいな。

 さすれば俺は犬でも猿でも雉にでもなれると思う。


 興奮を抑えられない俺の視界からお尻が消えた。


 あれ……?


 どこに行ってしまわれたのだろうと思った次の瞬間には、


「――――ッ!」


「――――ゔぶぅぐっ――――」


 とてつもない衝撃に俺は吹き飛んでいた。

 側頭部に蹴りを叩き込まれた俺は壁に頭を打ちつけ、急な階段を派手に転げ落ちた。


「……あ゛あ゛ぁ……ゔぐぅっ…………」


 見事な回し蹴りでした。

 全身を強打した俺は瀕死の重傷を負い、意識が朦朧としていた。


「あんた死にたいわけぇッ!!」

「ご、ごめん……なざぃ………」


 俺は死にたくないと手を伸ばした。


「母なる大地に満ちたる命の躍動よ、汝の傷を癒せ――ヒール!」


 ああ、生きかえる。


「正座」

「……はい」


 その後15分程こってりと絞られた俺は、彼女の見ている前で盗撮画像を消すように言われた。


「どうしても消さなきゃダメか?」

「あんた死にたいわけ?」

「……消します」

「早くしなさい」


 悲しかったけれど、俺はゆかなのお尻を削除した。


「今度やったらもう助けないから」

「死んでしまいます」

「なら死ねッ!」


 たかがお尻を盗撮しただけで殺されるとか、マジでどんな世界線だよ。


 しかし一方でスマホを壊されなくて良かったとホッとする俺もいた。

 スマホ本体さえ無事ならば、いくらでも復元は可能なのだから。ぐふふ。


「ほら、足下照らしてあげるからあんたから上りなさい」

「え……」

「なにか文句でもあるわけ?」

「ないです」


 もう一度ゆかなの生尻が見たいから後ろがいい、なんてことは口が裂けても言えない。

 言ってしまえば多分、俺は本当にゆかなに滅せられておぎゃーと異世界転生を果たしてしまうだろう。


 命あってのスケベ心。

 ここは一旦諦め、俺は先に上ることにした。


「良かったら手を貸そうか?」

「もぉー、いちいち振り返らなくていいからさっさと上る!」


 ゆかなは先程の事をまだ起こっているのだろうか。意外と根に持つタイプなのかもしれない。


「ゆかな出口だ。押し入れが見えてきたぞ」

「早く上りなさい!」


 珍しくゆかなも興奮した様子だった。


「あっ、ちょっ」


 急かされるように背中を押され、俺は押し入れから飛び出した。




 ◆◆◆◆◆




「……うそでしょ」


 俺の部屋にハーフエルフに転生した幼馴染みがいる。そんなことを果たして誰が信じるだろう。


 しかし、異世界で生まれ変わった逢坂ゆかなはたしかにこの部屋に実在する。

 彼女は乱雑な部屋の中心に立ちすくみ、瞬きすることも忘れて呆然と部屋を眺めている。


「夢じゃ……ないのよね?」

「うん、違うよ」


 夢などではないと彼女に伝える一方で、俺もまた白昼夢を見ている気がした。

 もう二度と会うことはないと思っていた彼女が俺の部屋にいる。それもハーフエルフとして。それだけで見慣れた部屋が、非現実的で空想的な空間に変わっていた。


 まるで雲の上にいるかのようにふわふわしていて、現実感がなかった。


「あっ、俺のコレクション」


 おもむろに歩き出した彼女は雑然と積まれた同人誌を蹴り飛ばしながら、引き寄せられるように窓に近付いた。そしてカーテンに手を伸ばして動きを止め、自分を落ち着かせるように大きく息を吸って吐いた。


 それから覚悟を決めたように、彼女は一気にカーテンを開けた。


「――――」


 膝から崩れ落ちた彼女がどんな表情をしていたのかは分からない。

 俺も夜に浮かぶ月が無性に見たくなって、窓の外を見つめていたから。

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