第11話

「んっ……」


 予想外だった。

 まず隆子がそういう行動をするとは思っていなかったし。

 そもそも、わたしが誰かとキスをするなんて、思っていなかった。

 せめて頬にして、と願ったのだが、隆子の唇は、まっすぐわたしの唇にあたった。

 柔らかい。

 初めての感覚。率直にそう思った。

 数秒間、お互いに無言のまま(当たり前だが)時が過ぎ、わたしはこのままではいけない、という気持ちになって、隆子をどうにか振りほどこうとした。

 ところが、また予想外のことが起こって、わたしは力が入らなくなった。

 舌が、入ってきた。

 自分の口の中に、他の人の舌が入ってくるなんて。

 もちろん、知識としてそういう行為のことは知っていたが、自分がそんなことをするとは全く思っていなかった。

 隆子の舌が、わたしの舌をぐるぐると、螺旋状にからみつけるように、包んだ。


「んっ……んんっ……」


 わたしは、当たっているのは舌だけだというのに、全身が、特にお腹の下のあたりが、きゅっと締め付けられるような感触を覚えた。それから急に、締め付けられたお腹を中心に、温かいものが体中へ広がっていった。

 前世を含めて、感じたことのない体の変化だった。

 予想もしていなかった、新しい体の変化にわたしは抵抗を覚えた。とても普通の状態ではなかった。でも隆子はわたしの下顎をしっかり指で固定していて、逃げられなかった。

 結局、数十秒の間(わたしがそう感じただけで、実際はもっと短いかもしれない)、わたしはされるがままになっていた。

 隆子が唇を離してくれるまで、目を閉じて、じっと新しい感触に耐えていた。

 やっと唇を離してくれた時、おそるおそる目を開けると、雲の糸のような細くて白い線が、わたしの唇から隆子の唇へつながっていた。


「続き、していい?」

「えっ?」


 続き?

 これ以上何を続けるというの?


「服、脱がせてもいい?」


 そう言われて、わたしはやっと隆子の意図に気づいた。

 女どうしでも『そういう行為』に至る可能性はある。前世の時に読んでいた小説で、そのことは知っている。自分がそうする日がくると、思っていなかっただけで。


「だ、ダメ、ダメだよ」


 わたしは力いっぱいに隆子の肩を押して、体を遠ざけた。ずっと近くにいたら、頭がおかしくなってしまうような気がした。

 

「……ごめん」


 隆子は、わたしから離れてベッドに座り直した。

 わたしも体を起こすと、瞳に溜まっていた涙が軽くあふれた。今、とてもひどい顔をしていると思う。さすがにこんな顔では、隆子も続ける気にはならないだろう。


「びっくりした?」

「……うん」

「ごめん。みゆきち、可愛かったから」


 こんな時にかわいいなんて言うのは、ずるい。

 なぜかわたしはそう思った。


「ぼくのこと、軽蔑してる?」

「……どうして?」

「いや、ほら。女の子どうしでこういう事、普通しないじゃん」

「タカシは、こういう事、したことあるの?」

「ないよ。みゆきちが初めて。女の子どうしでは、だけど」


 じゃあ、男子とはした事があるのか。わたしと違って活動的だから、不思議な事ではないが。


「急に、こんなことするのはやめて」

「ごめん。次はちゃんと許可取ってからにするよ。次があれば、だけど」


 隆子は、悪びれてはいないようだった。どこか慣れたような感じで、わたしのことを子供のように見ている。


「許可してくれるの?」

「……」

「さっき、すごくかわいい声出してたよね」

「……」

「キスだけで、感じちゃうんだ」

「か、感じるって……」


 さっき感じたあの感触のことを、『感じる』というのか。

 心では拒否しようとしても、全然抗いようがなかった。

 隆子のことを好きだというわけでも、ないと思う。いい子だとは思っていたがそれ以上ではない――と言いたいのだけれど、そもそも誰かを好きになったという経験がないので、いま隆子のことをどう思っているのか、という点については、自分でも自信がなかった。


「気持ちよくなかった?」

「……知らない」

「本当に嫌だったら、普通にきもっ、て思うはずだよ。中年のおじさんにあんなことされたら絶対拒否するでしょ。でも今はそうじゃなかったよね?」

「……」

「あはは。ごめん。ちょっとからかいすぎたかな」


 隆子はキッチンへ行き、冷たいお茶を入れてくれた。わたしは、一気にそれを飲みほした。まだ口の中に残っていた感触を洗い流したかったからだ。一瞬、隆子の唇の味(なんともいえない、金属のような味)が、お茶を飲み込む瞬間にまた現れて、体がどくり、と反応した。

 

「ごめん。もしかしたらそういう趣味の人なんじゃないか、って勝手に思ってたんだけど」

「勝手ね」

「ごめんって」

「このためにわたしを家へ入れてくれたの?」

「ううん。こんなことするなんて思ってなかった。ただ一緒に、テレビでも見てればよかったんだよ」


 隆子はこの時、子供のように笑った。

 いつもつんとしていて、あまり表情を崩さないのに。心からリラックスしている、という事だろうか。


「また来てくれる?」


 それから急に寂しそうな顔へ戻って、わたしにそう聞いた。


「……暇だったら」


 ここでもう来ないと言ったら、隆子との関係が全部壊れてしまうような気がした。

 隆子がいきなりわたしに触れたことは、まだ受け入れられない。でも今は、隆子とここで終わりになってしまうのが一番怖かった。わたしにとって、女子の友達はそう簡単に作れるものではない。最初から友達だと設定されていなかったら、たぶん誰とも友達にはなれない。それを壊したくなかった。


「そっか。みゆきちが嫌なことは、しないからさ」

「……うん」

「あと今日のことは秘密にしとくからさ」

「当たり前でしょ、言える訳ないじゃない」

「はは」


 乾いた笑い声をあげる隆子のことが、少しだけ輝いて見えた。

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