第10話

 部活を続けるかどうか、という課題について、隆子はその場で結論を出さなかった。わたしが決めてあげられる問題でもないし、あまり深く言及しようとは思えなかった。

そもそも、親の敷いたレールを走ることしか許されなかった前世のわたしには、今の隆子のように、何かを選択する権利すらなかった。自分の行動を選択する、という視点で考えたことがないのだ。

 だから、隆子が部活をやめるかどうかについて、わたしが結論を出すことはできなかった。ただ、家庭の、どうにもならない事情で阻害されていることは、少しは共感できるので、隆子の辛さは想像できた。

 もしかしたら隆子は、そんなことでわたしが共感するとは思わなかったのかもしれない。この世界のわたしは両親が離婚しておらず、経済的な余裕もある。スポーツクラブくらいなら、わたしが行きたいといえば通わせてくれるのではないだろうか(運動が好きな訳ではないし、行きたくはないけど)。隆子からすればわたしは別世界の人間で、何の悩みもないと思えるだろう。

 結局、カフェでの会話はぎこちない形で終わり、わたしたちは店を出た。まだ昼過ぎで、行動力は余っていた。


「うち来る?」

「えっ」


 いきなり自宅に呼ばれると思わなかったわたしは驚いた。前世では、友達の家に行くことは母親によって禁じられていた。相手の親に迷惑がかかるから、という理由で。実際には、自分がわたしを通じて他の子の親と接触したくなかったのだろう、と今は考えている。恵まれた子の多い進学校だったから、シングルマザーというだけで気が引けていたらしい。


「今日、お母さん夜勤だから誰もいないよ。遠慮しなくていいから」

「そ、そう」


 わたしは迷った。隆子はとても好意的だ。しかし隆子の家に行って何をするというのか。なんとなく一緒にいて、なんとなく雑談するという過ごし方を全く知らないわたしが、隆子と二人きりの時間に耐えられるだろうか。もしかして、わたしが普通の女子高生ではない、転生した存在だとばれないか。それが心配だった。


「遠くないの?」

「こっから歩いて五分くらい。嫌ならいいけど」


 遠慮しようとして言った、最後の質問も意味をなさなかった。

 わたしは迷ったが、隆子の少し寂しそうな顔が気になった。もしかしたら、日頃から家に一人でいる機会が多くて、寂しいのかもしれない。


「行ってみても、いい?」

「ん」


 わたしは隆子に任せることにした。

もう少し、彼女のことをよく知ろうと思った。

 隆子の家は、駅から少し歩き、矢那川という小さな川を渡ってすぐの場所にあった。三階建てのアパートで、間取りは1LDK。ワンルームが母親の部屋で、締め切られている。リビング側が隆子のスペースで、ベッドと小さな勉強机が置かれていた。それ意外はさっぱりと、片付いていた。

 ベッドに二人で座った。窓の外に、矢那川という小さな川が見えて、景色は良かった。


「いい眺めね」

「そう? 春は桜が咲いて綺麗だけど」

「独り占めできるじゃない。羨ましいな」

「みゆきちの家みたいにちゃんとした一軒家の方がいいな」

「そっか」


 わたしは、前世では一軒家に住んだことがなく、高層マンションや独身用のアパートといった集合住宅にしか住んだことがなかったので、隆子の家ではむしろ落ち着いていられた。

 

「別に、綺麗にしてる訳じゃないから、くつろいでいいよ」

「う、うん」


 二人になっても、やっぱり話すことは出てこない。

 ふと勉強机を見ると、参考書が転がっていた。看護学校の入試対策らしかった。


「タカシ、看護学校志望なんだっけ?」

「ん。話さなかったっけ」

「ごめんなさい、わたし最近物忘れがひどくて」

「いや、多分まだちゃんと話してないよね。看護師ってさ、正看護師と准看護師っていうのがあって、正看護師の方が偉いんだよ。お母さんは、准看護師で給料も待遇もあんまり良くなくて、だからあんたは正看になりなさい、って言うから。勉強すれば何とか手が届きそうだし」

「よく考えてるのね、将来のこと」

「みゆきちは、四大だよね」

「うん。まだ、どこに行くかは決めてないけど」

「みんなそんなもんだよ。ぼくみたいに、最初から進路決めてる方が珍しいから」

「看護師以外の進路は、興味ないの?」

「なくはないけど。うち、お金ないし。勉強して、ちゃんと稼げる仕事ならいいよ。お母さんが看護師だから、どこの看護学校がいいとか、情報も仕入れられるし」

「そっか」


 正看護師になれるくらいの学力があるなら、おそらく四年制大学への進学も可能だろう。一般には、専門学校よりも大学生活の方が、遊ぶ時間が多くて歓迎されるはずなのだが。

 やはり、経済的な制約が強くて、そういう考えには至らないのだろうか。もっとも、親が進路のことをよく知らないまま、子に強制してくるよりはずっとましだと思うが。


「みゆきちってさ、彼氏できたことないんだよね?」


 しばらく何も言わずにいたら、隆子が唐突にそう言った。

 やはり、女子だけで集まったらこの話題しかないのか。わたしにはよくわからない感覚だけど。


「うん。ないよ」

「じゃあ、キスもしたことないんだ」

「それは、そうなるけど」

「セックスも、ないよね」

「あるわけないでしょう、そんなの」


 前世を通じて、そのような経験は一切ない。


「なんでだろうね。普通にかわいいのに。告白とかされなかったの?」

「ないかな。わたし、男子とはあまり話さないから」

「話したくなくても、そんなに可愛かったら向こうから寄ってくるって」

「うーん。わかんないな」


 その時、隣にいた隆子が、わたしの手の甲に自分の手を重ねた。


「もらっていい?」

「え?」

「初めてのキス」

「え? え?」


 何を言っているのか、本気でわからなかった。


 返事をする猶予もなく、わたしは隆子に押し倒された。

 

少し笑っている、隆子のハンサムな顔が、わたしに近づいてきた。

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