第9話
土曜。わたしは隆子へ会いに、木更津へ向かった。
木更津へは、蘇我駅から電車で三十分ほど。といっても駅と駅の距離がとても離れていて、いつになったら次の駅に着くのだろう、と郊外の電車にほとんど乗ったことがなかったわたしは少し不安になった。電車が南へ進むにつれ、乗客は少しずつ減っていった。木更津へ着く頃には、同じ車両にほとんど誰もいないくらい空いていた。お昼すぎの、空いている時間帯だというのもあったけれど。わたしはのんびりと車窓を眺めながら、まだ行ったことのない木更津という町についていろいろ想像していた。
駅に着くと、改札をでてすぐ近くのところに隆子がいた。
「おっす」
「えっ……?」
のだが、学校やこの前遊びに行った時とイメージが違っていて、わたしは驚いた。
隆子は半袖の、真っ白なワンピースを着ていた。長身で体が細いから、とても大人な感じで似合っている。胸も、いつもより大きく、くっきりと見えた。
わたしだけでなく、道行く人が駅の片隅でスマホを触りながら立っている隆子に振り向いてしまうほどに、隆子は美しく、輝いて見えた。
「ん。なんか変だった?」
「あ、いや……ワンピース、着てるだなんて思ってなくて」
「似合わないかな」
「そんな事ない! いつもと違ってちょっと驚いたけど、すごく似合ってて羨ましいよ」
「そっか。じゃ、いいや。これお母さんのお下がりでさ。たまには着ないと、勿体ないかなと思って」
「そ、そうなんだ。タカシは背が高いから似合ってるよ」
「そうかな」
「わたし、そんなの着る勇気ないもん。絶対似合わない」
「そんな事ないと思うけどな」
実際、わたしの今日の格好は、スカートではあったもののまだ高校生っぽいブラウスを着ていて、隆子に比べれば全然、大人の色気はなかった。たぶん、前世でもこんな絵に書いたような白いワンピースは、着ようと思わなかっただろう。
「えっと、これからどこ行くの?」
「ぶっちゃけ、木更津って何もないんだよね。今は潮干狩りのシーズンだけど、何も準備してないし」
「わたし、どこでもいいよ」
「じゃあ、普通にカフェでも行こうか」
「うん」
隆子が連れて行ってくれた、駅のすぐ近くにあるカフェは、いかにも『純喫茶』という雰囲気のシックなカフェだった。ふかふかのソファ席に、二人向かい合って座った。雰囲気はレトロだったが他にも女子高生がいて、居づらさも感じなかった。
「わたしはコーヒーだけでいいや。隆子はクレープにすれば? ここの名物だから」
「そうなの? じゃあ、それで」
前世では無駄なお金を使わないと徹底していたから、カフェに入っても頼みたいものがすぐ頭に浮かんでこない。隆子に提案されて、助かった。しかし心は大人のわたしが今更クレープなんて楽しめるだろうか。前世の頃は、駅で買い食いする女子高生たちを羨ましく思ったこともあったけど。
わたしが注文したチョコバナナクレープは、クレープというよりオムライスみたいなサイズだった。生地の下に生クリームとアイスクリームがぎっしり詰まっている。バナナも一本分、ちゃんとついている。片手で持てるような姿をイメージしていたわたしはとても驚いた。
「これ、全部食べられるかな」
「無理だったら手伝ったげるよ」
「そっか、ありがとう」
一口食べて、わたしはこれまでに感じたことのない、体中が充足感に包まれるようないい気分になった。身体が十代の若い姿に戻っているせいか、数時間前に自宅で昼食をとったにもかかわらず、いくらでも食べられた。今までそんなに、甘いものが好きだという自覚もなかったのだけど。この年代で甘いものが嫌いな女子はいないか。
結局、わたしは隆子に手伝ってもらうことなく、クレープを全て食べきった。
「おいしかった?」
「うん。また食べたい」
「また来るといいよ」
食べるのに夢中すぎて、隆子とはほとんど話をしていなかった。隆子は自分のコーヒーを飲みながら、わたしが食べる姿をおかしそうに観察していた。少し恥ずかしかったが、それより食欲が勝ってしまっていた。
「ぼく、バスケ部やめようと思ってるんだよね」
水を飲んでいたら、隆子が唐突に切り出してきた。
これが、今日わたしを誘った理由なのかもしれない、と直感する。
隆子は、何の用事もなしにただふらふらするような子ではない、とわたしは思っていた。一緒に遊ぶからには、何か理由があるかもしれない。それは注意深く聞いておかないと、今後の関係に影響するだろう。
「タカシ、一年なのにレギュラーなんでしょ?」
「そのはずだったけど、インターハイは出ない事になった」
「どうして?」
「三年の先輩普通に上手いし、ぼくはほとんど練習顔出してなくて、他の人とうまくプレーできないから。ぼくがいなくてもバスケ部は問題ないみたい」
「中学から続けてるんでしょう。もったいない、と思わないの?」
「ちょっとは思ってるけど。真由も辞めちゃったし、大したことないかな。ああ、真由みたいに最初からやめとけばよかった。入るのは簡単だけど辞めるのは面倒なんだよね」
「今はダメでも、三年まで続ければ活躍できるんじゃない?」
「みゆきちは知らないか。最近さあ、優秀な人はプロチームとかがやってるスポーツクラブに通ってて、学校の部活だけでやってる人とは全然レベルが違うんだよ。ぼくの家はお金ないから、そういうとこには通えない。だからこれ以上頑張っても限界がある。高校のバスケ部見ると、中学の頃よりもっと差が開いてるんだよね。スポーツクラブに通ってる人と、通ってない人で。結局お金ある人には勝てないのか、と思うとなんか馬鹿らしくなっちゃってさ」
どうやらそれが、隆子の本音みたいだった。
前世では運動部なんて一切関わらなかったので、プロのスポーツクラブの存在も知らなかった。少し時代がずれていることもあるが、スポーツの世界にも経済的な格差が発生している、ということなのだろうか。
なるべく隆子の立場になって考えてみたが、この悩みを解決する方法は思いつけなかった。スポーツクラブのお金を、自身のバイトで賄うのは不可能だろう。そもそもバイトに時間をとられて、練習する時間がなくなってしまう。
隆子はもっとバスケを続けたい、と思っているのかもしれない。でも経済的な事情は、わたしが援助してあげられる訳でもなく。
そうだ。高校生というのは若くて自由だと思われがちだが、実際には生まれた家庭次第でいくつもの枷に縛られている。
前世のわたしがそうだったから。
世界は違うけど、隆子が抱えている悩みはかつてのわたしと同じものだ。
そして――わたしは前世と同じように、それを解決できずにいる。
「辛いね」
そう言うことしかできなかった。
ネガティブな言葉で、せめて元気づけるようなことを言えばよかったと後悔した。でも自分の経験と隆子を重ねずにいられないわたしは、正直にそう言う他はかった。
隆子はそれを聞いて、一瞬とても驚いたような顔をしていた。時間が止まったように、わたしの顔を不思議そうにしばらく見ていた。
「ん。まあ辛いかな」
少し時間を置いて、隆子はそうつぶやいた。
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