第5話

 放課後、帰る時間になっても、真由はぷりぷりと怒っていた。でも帰る時は一緒だったので、本気で嫌われた訳ではなさそうだった。

 二人で教室を出たあと、隆子と合流して、すぐに真由は昼休みのことを話しはじめた。ちなみに隆子は、わたしと同じクラスではなかった。どこで知り合ったのだろうか。


「ねえタカシー! 聞いて聞いて! みゆきちが昴大を誘惑してたんだよ!」

「え」


 隆子は驚いていた。わたしがそんな事する女じゃない、と思っていたのか。実際、そういう意図はなかったのだけど。


「誘惑って、何」

「みゆきちがプリント落としてね、それを昴大が拾ってあげてたんだよ」

「ぶっ。それ、みゆきち悪くないだろ」


 隆子は、真由の第一声でその時の空気を察してくれたらしい。誘惑というのは、真由の思い込みなのだ。


「私、本当に偶然、プリント落としただけだよ」

「だろうね。まあ、昴大はいいヤツだからな。仕方ないだろ」

「えー。っていうかタカシ、昴大のこと呼び捨てにすんな」

「みんなそう呼んでるからいいじゃん」

「せめて昴大くんって呼びなよ」

「えっと、タカシ、と真由は、昴大くんと知り合いなの?」


 わたしを置いてけぼりにして話が進んでいる感じがあったので、思い切って事情を聞いてみた。もう説明されているかもしれないが、その時は忘れてた、とすっとぼけるしかない。この二人のことを知らないまま、高校生活を続ける訳にはいかない。

 案の定、真由がきょとんとした顔で答える。


「あれ、言わなかったっけ? 私とタカシはもともと中学の時からバスケやってて、練習試合とかでよく話してたからもともと友達だったの。で、昴大は私と中学が同じで、男子バスケ部だったの。だからタカシも昴大のこと知ってるんだよ」

「そ、そうだっけ」

「みゆきち、ちょっとは私の彼氏に興味持ちなよ。彼氏いるの羨ましいでしょ?」

「いや、別に」


 本心からそうだった。前世では生きることに精一杯な時間が続いて、彼氏を作る、なんてことは考えたことがなかった。都合よく手を差し伸べてくれる『理解のある彼くん』ともめぐり会えず、別の世界のことだと思っていた。


「つまんないなー。もっと聞いてよ」

「えっと……じゃあ、どうして真由は昴大くんと付き合い始めたの?」

「えっとねー、うんとねー、色々あったんだよ、うん。ねえ、タカシ?」

「まあ色々あったな。昴大が先輩に告白されたり――」

「あーっそのこと思い出させるなって!」

「ぎゃんぎゃん泣いてたよね、真由」

「うるさーい! ってか普通、好きな人に他の彼女出来そうになったら泣くでしょ! みゆきちだってそうでしょ?」

「わたしは……好きな人とか、よくわかんないから」

「えー。もう高校生なのに。それくらいわかるでしょ」

「うーん……」

「やめな。人それぞれだよ」


 わたしが困っていたら、隆子が助けてくれた。中学生や高校生で女の子が恋愛に興味を持ち始めるのは、わたしにもわかる。一般常識として。一方で、特に興味を持たない子も、中にはいるだろう。わたしはとりあえず、後者だということにしておいた。


「そう言うタカシは? 狙ってる男子いないの?」

「別に。バイト忙しいし」

「バイト先で探せばいいじゃん」

「ぼくがバイトしてるスーパー、おばちゃんばっかりなんだよね」

「そっか。言われてみれば私のバイト先のコンビニもそうだなー」


 また異世界の話になった。バイト。一般的な女子高生ならしてもおかしくはない。わたしの場合、お嬢様学校だったので周囲にもバイトをしている生徒はいなかった。校則で禁止されていたと思う。

 

「みゆきちはいいよねー。バイトしなくてもお小遣いくれるんでしょ」

「う、うん」


 昨日、母からもらった五千円のことを思い出す。この学校の生徒たちの間では、親から自由にお金をもらうことは、あまり一般的ではないのかもしれない。だとしたら、あまりそれで目立たないよう気をつけないと。もっとも、真由と隆子にはバレているようだが。


「私もそういう恵まれた家に生まれたかったなあ」

「そ、そんなに、でもないよ」


 わたしは真由の話よりも、この話題になった時から隆子の雰囲気が少し暗くなって、無言になっていた事が気になった。

 家庭事情は人それぞれで、簡単に首を突っ込むのはよくない。特に、この世界のわたしは、他の生徒と比べたら恵まれている方だから、嫉妬されかねない。


「はあ。んじゃ、今日もバイト行ってきまーす」


 ちょうどバス停の前まで来て、真由と隆子とは別れた。隆子は、最後まで無言だった。

 帰宅後、昨日と同じように母と二人で夕食を食べた。父は工場勤務で、宿直という泊まりの日らしく今日は帰ってこないとの事だった。


「……でね、その真由って子、わたしが彼氏を誘惑してる、って勘違いしてて」

「あっははは! 何それ! 意識しすぎでしょ!」


 学校であった例の事件のことを話したら、母は爆笑していた。


「うん。ねえ、わたしのお友達二人ともバイトしてるんだけど、わたしもしてみようかな」


 ふとそんなことを言うと、急に母の顔色が変わった。

 わたしは、今の高校生の一般的な活動としてそれを提案したのだけど、母はあまりいい顔をしなかった。


「美幸ちゃん、お金足りなかった? やっぱり五千円じゃ駄目?」

「いや、そういう訳じゃないんだけど。みんなやってるし」

「お金が欲しいならあげるから。バイトする時間があったら、勉強した方がいいって。お父さんも、多分許してくれないでしょ」

「そ、そっか。お父さん許してくれないよね」


 この話題は禁句、という雰囲気を感じ取ったので、わたしは早々に話を畳んだ。

 そうひどくない、普通の女子高生、という意味ではバイトに精を出すのもひとつの手段かと思ったのだけれど。この家ではそうではないらしい。

 結局、どんな世界に生まれても、高校生は親の意向に逆らえない、ということなのだろうか。優しい親だから、真剣に頼み込んだら許可してくれるかもしれないけど、今はそこまでする動機もなかった。


「……もしかして、好きな子できた?」


 急に予想していなかった話題になり、わたしは驚いた。


「えっ、なんで? わたしは全然だけど」

「だって急にバイトするなんて言い出すんだもん。彼氏とデートするお金貯めるか、同じバイト先に入るかのどっちかだと思って」

「そんなんじゃないから」

「ふーん。ま、いっか。それなら応援したんだけどな。お母さんも、お父さんとはバイト先で知り合ったし」


 母はつまらなそうに食器の片付けを始めた。何でも恋愛と結び付けられるのは、ちょっと困るな、とわたしは思った。前世でも大学時代や職場では、彼氏はいないのか、と聞かれることはよくあったから、気になる話題だというのは理解できる。今のところ、前世と同じように、男っ気がない女だと言い張る他なかった。

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