第4話
翌朝。
「美幸ちゃん! 起きて! 起きなさいって、もう!」
母がわたしの布団をがばっ、と取り払って、わたしは目覚めた。
枕元に、昨日もらったピン札の五千円があり、布団が払われた衝撃と同時に舞い上がった。母はそれをみて、大笑いした。
「あっはっは! そんなに嬉しかったの? 五千円くらいで!」
わたしはちょっと恥ずかしかった。嬉しいというよりは、この五千円の存在をどう考えればいいのか、悩んでいただけなのだが。どうやら自由に使ってよさそうだ。
父は、昨日遅くに帰ってきたはずだが、朝は見かけなかった。食卓にはわたし用のトーストとウインナーが置かれていただけで、父と母はもう朝食を済ませ、父は出勤したらしい。寝るのが好き、という設定通り、わたしは朝に弱いらしい。
さっさと朝食を済ませ、セーラー服に着替えて、母とほぼ同時に出発した。
「今日は送らなくていいの? 遅刻しそうでしょ」
「えっ、いいよ、近いし」
「ふうん。急ぎなよ」
この距離なのに母の車で送ってもらっていたのか。なんてずぼらなんだ、この世界のわたし。
始業時間がわからなかったので、とにかく早足で学校に向かった。下駄箱で隣にいた、同じクラスと思われる子のあとをついて行き、教室にたどり着く。席についたのとほぼ同時にチャイムが鳴った。なるほど、本当にギリギリだ。
そこから、ごく普通の学校生活が始まった。
授業は、めちゃくちゃ簡単で、退屈だった。最難関の大学受験クラスの学力がまだ記憶に残っているわたしにとっては、小学生の授業を見ているようなレベルだった。あからさまにスマホをいじったりするのはお行儀が悪すぎるので、寝るしかなかった。ここでも寝るのが好き、という謎設定が役に立った。
昼食は、同じクラスの真由と、もうひとり美咲という、メガネをかけたいかにも大人しそうな女子と、三人で食べた。
前世のわたしは昼食の時も一人だった。決して、輪に混ざりたくない訳ではなく、何度か複数人で食べたこともあった。でも慣れなかった。会話に出てくる他人の家庭の話題や、自分の行動が母親のせいで異常に制限されていることを露呈してしまい、かえって引かれるばかりだった。おかげで孤立するのに時間はかからなかった。
美咲という子はほとんど喋らなくて、真由がなにかを話し、わたしが答える、というリズムで時間が過ぎた。もしかしたらわたしも、美咲も、最初はクラスの中で孤立していて、真由に拾われたのかもしれない。真由は誰とでも話せるタイプだから、わざわざわたしと昼食をとる必要はないと思う。
昼休み後半、わたしはプリントを集めて先生に届けるという用事があり、一人で職員室に向かった。
渡り廊下を歩いていた時、急に強い風が吹いた。
海に近いからなのか、このあたりは思わずふらついてしまうほどの強風が時折吹く。まだ慣れていないわたしは、プリントを一枚、手から離してしまった。
プリントが宙を舞う。わたしは、それを追いかける。しかし、プリントが飛ぶスピードの方が早くて、プリントに弄ばれているような感じになった。
その時、誰かがわたしのそばを駆け抜けて、高くジャンプした。
「ん」
その男子は、プリントをつかむと、無愛想な感じでわたしに渡した。背が高く、短髪でおしゃれしている感じはないが、それなりにいい雰囲気の男子だった。
「あ、ありがとう」
「きみ、もしかしてC組の菅原さん?」
「そう、だけど。どうして知ってるの?」
「めっちゃ頭いいって。真由から聞いた」
「まゆ……」
「ちょっとー!」
噂をしていると、ご本人が渡り廊下にあらわれて、わたしのところへ駆けつけてきた。何をするのかと思ったら、わたしを羽交い締めにして、男子のところから数メートルの距離まで引き離した。
「きゃっ、何するの」
「みゆきち! 人の彼氏に近づきすぎ!」
「彼氏?」
知らなかった。真由、と遠慮なく呼び捨てにしているあたり、この男子が真由と親密な関係である、という可能性はあったのだけど。あっと言う間の出来事で、そこまで考えられなかった。
「こうだーい! 誰にでも優しくすんな!」
「無茶言うなよ。女子がプリント落としてたら助けるだろ、普通」
昴大、と呼ばれた男子は、真由を見ても特にデレデレしたりせず、普通にケンカを始めた。真由の言っていることが無茶なので、わたしはおかしくて笑ってしまった。
あまり二人の邪魔をすると悪いな、と思って、わたしは職員室へ行くことにした。
「ありがとう。えっと、こうだい君」
「おう」
「あーっ! みゆきち! ひとの彼氏を名前で呼ぶな!」
「えっと、名字忘れちゃった」
「金井だよ! か! な! い!」
「そっか。ありがとう、金井くん」
「おう」
真由が怒っても、金井くんは慣れた様子だった。どうやら付き合ってかなり長いカップルのようだ。
わたしは、優しかった真由が豹変してしまったことに驚いた。女子高出身で、周りの生徒とはほとんど交流を持たなかったから、他人の彼氏に対して接し方がわからなかった事もある。それよりも、女は、好きな男の前だと、友達に対しても嫉妬をしてしまう、という事実を知って、少し怖くなった。わたしが真由の彼氏へ積極的に話すことはないけれど、気をつけないと。仲良くなれている真由との関係は壊したくない。
前世のわたしは孤独だった分、他人とのトラブルとは無縁だったのだ。こういうまともな女子高生としての生き方を一つ一つ知ることが、神様の言う『そうひどくない人生』のことなのだろうか。
だとしたら――ちょっと、面倒だな。
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