第3話
母が料理をしている間、わたしは二階にある自分の部屋で過ごした。
ベッドと、勉強机と、クローゼットと本棚だけの、質素な部屋。
本棚には、高校受験の時に使ったと思われる、中学生向けの問題集や参考書が並んでいた。漫画など、娯楽的なものはなかった。前世のわたしはそういうものに触れると母親に怒られたから、自宅にはなかった。だから今本棚に漫画が置かれていてもちょっと困る。面白かった? と聞かれても、答えられる自身がない。
勉強机の隣にはノートパソコンがあった。あまりスペックは良くないようで、インターネットだけでもかなり遅かった。古めの型式なので、父親のお下がりだろうか。パソコンがあれば、情報収集や作業の幅が広がる。これで動画を見ている、ということにすれば、それなりに遊んでいるというアピールもできる。さっきの母・郁美の仕草を見る限り、この家庭のわたしは前世ほど勉強熱心ではないようだから、一人でいる時何をしているのか、理由を用意しておかなければならない。
「ごはんできたよー!」
と、色々考えていたら母が一階から大声で呼んできた。わたしはリビングへ降りた。
「お父さん、今日は遅いみたいだから先食べよ」
「う、うん」
わたしはそれを聞いて少し安心した。未知の母の相手だけでも難しいのに、この上父親という自分のメモリに存在しない人物と接触するのは、さすがに重荷だった。
夕食はカレーだった。手作りのカレー。できたてのカレーを食べるのは何年ぶりだろうか。グリーンピースがやたらと入っていることを除けば、とても美味しかった。
「ねえ、美幸ちゃん最近ゲームはしないの?」
「げ、げーむ?」
黙々と食べていたら、母がテレビの前にあるゲーム機を指さして言った。
もちろん前世のわたしは、ゲーム機を使ったことがない。
まずい。これでは話題に乗れない。
「美幸ちゃん、中三の頃から急に受験勉強に目覚めて、それ以来全然ゲームしなくなっちゃったでしょ。お父さんが寂しがってたのよ、この前」
「お父さん、が?」
「前はよく、二人で対戦とか、美幸ちゃんがわからないところお父さんに聞いたりとかしてたでしょ」
もちろんそんな記憶はないのだが、ここでのわたしと父親の関係は良好なことがわかった。険悪な父娘よりはましだと思うが、一方で大人の男性とどう接したらよいのか、未だにわからないという不安はあった。
「欲しいソフトがあったら買ってあげる、ってお父さん言ってたけど」
「今は、特にないかな」
「そうよねー。女の子だもんね。いつまでもゲームばっかりしてないでお友達と遊んだり、彼氏作ったりするのが先よね。美幸ちゃんももう大人になったんだ、ってお父さんに言ってあげないと」
現代では女でもゲームをする人は多いので、母の言うことは一概に賛成できない気もしたが、そういうことにしてくれた方が、わたしは都合がよかった。父親と一緒にゲーム、という行為は、わたしの理解を遥かに超えたことだったから。
そのあとは、学校での話を母から質問され、真由や隆子と一緒に帰っていることを話した。
わたしから会話をリードする機会が少なかったので、ちゃんと娘になれているかどうか不安だったが、もともと口数の少ない子だったのか、母はあまり気を使っていなかった。
食事が終わると、母に「お風呂、先入ってね」と言われ、その通りにした。浴室で、改めて自分の身体を見ると、十代特有の肌のハリがあって、きれいだなあ、と思わず見とれてしまった。前世で社会人になったわたしは忙しすぎて身体のケアができず、肌は荒れていたのだ。この頃は何もしなくてもキレイだった。若いって、素晴らしい。
風呂から上がると、あとは自分の部屋に戻って、寝るだけだ。
特にすることはなかった。高校の教科書や参考書を読み返してみたが、簡単すぎてつまらなかった。なぜか今のわたしには、前世の大学受験時くらいの学力が身についているようで、偏差値の異なる県立蘇我高校の授業内容はバカにしているのか、と言いたくなるほど簡単だった。
もう少し調べごとをしてもよかったが、遅くなる、と言っていた父が帰ってくるのを恐れて、わたしは早めに寝ることにした。夜中に父と顔を合わせても、何を話せばいいかわからなかったからだ。
電気を消そうとした時、ちょうど風呂から上がったらしい母が、階段を登ってくる音が聞こえた。もしかしたら話しかけられるかもしれない、と思ってわたしは身構えた。
案の定、母はわたしの部屋をノックした。
「入っていい?」
「う、うん」
パジャマ姿の母が、勉強机の上に何かを置いた。
「はい、これ」
五千円札だった。
「えっ、なんで?」
「なんでって、欲しくないの? 新しいお友達と遊ぶ時とか、使うでしょ」
「そ、そうだけど」
「お金足りなくなったら、足りないって言いなさい。でも無駄遣いはしちゃ駄目よ」
「う、うん」
母は部屋から出ていった。
わたしは色々なことを考えた。母の帰宅時、起きていたことが気になったのだろうか。三千円という現在の所持金は、決して多くはない。あの母なら、日常会話や自分が与えている小遣いの額から、今のわたしの所持金を想像することは可能だと思う。
足りないから、お金を渡す。
前世の母親は、そんな事は絶対にしなかったから、焦ってしまった。
本当は、さも当たり前であるかのように「ふーん」とだけ言って、受け取るべきだったのかもしれない。
うまく母と話せていたかが不安になってきて、わたしはピン札の五千円を眺めながら、長い間眠れなかった。
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