第2話

 わたしの家と思われる一軒家は、二階建ての、ログハウスのようなデザインがなされた立派なものだった。前庭には車が二台停められるスペースがあるものの、今は停まっていない。周りの住宅と比べても少し広く、苦労して建てた一軒家、という感じだった。

 前世(と呼べばいいのかわからないけど、今はそう呼ぶことにする)ではマンションか、一人暮らし用のアパートに住んでいたので、一軒家に入ること自体、新鮮な感じがした。

 鞄の中を探すと、家の鍵があり、わたしは中に入った。

 

「ただいま……」


 不審者と思われたら困るのでそう言ってみたが、家の中には誰もいなかった。

 わたしはリビングに鞄を置いて、今のわたしがどういう家庭状況なのか、探ることにした。

 まず目についたのは、リビングにある本棚の上の写真立てだった。

 小さな女の子と、それを両隣に囲む父、母の姿があった。

 前世のわたしは、父の顔を知らない。一歳のときに性格の不一致、ということで離婚してしまい、母はそれしか教えてくれなかった。養育費は支払われていたようだが、面会した記憶は一度もなかった。

 だから、父の顔は知らなくて当然なのだけれど、この写真にある母の顔も、知らない人だった。

 わたしはほっと胸を撫で下ろした。わたしの前世の諸悪の根源だったあの母親がこの世界にもいたら、その時点で地獄が確定する。もし性格が全然違っていたとしても、その姿を見るだけで、吐き気がする。

 それから、わたしは痕跡が残らないよう注意しながら、書類のありそうな戸棚を調べ、母子手帳で自分と、両親の名前を確認した。

 わたしの名前は、菅原美幸。前世と同じ名前だ。

 父は菅原正広。母は菅原郁美。両方とも、知らない名前だった。他に兄弟はいないようだ。

 やはり、前世とは全く違う人生を送っていると、考えた方がいいのだろう。

 次に、わたしはリビングのソファに座り、スマホを使って調べごとをした。

 日付は、五月のゴールデンウィークが終わって少し経った頃。西暦年は前世のわたしが倒れた年と同じだった。つまりわたしは時間遡行をした訳ではなく、同じ時代のまま別の人生に移った、と考えるべきだった。よく見たらスマホも最新のもので、十年前の女子高生とはもう、文化が違っているかもしれない。ついて行けるかな。

 次に、GPS機能で今の場所と、学校のことを調べた。

 今いる家は千葉県千葉市で、蘇我とよばれる千葉市中央区の南端だった。わたしは東京都内からほとんど出ずに育ったので、千葉市がどういうところなのかはよくわからない。航空写真で確認する限りは、ベッドタウンという雰囲気で、東京のような大都会ではなかった。農地も点在していて、都会と田舎の境目という印象を受けた。沿岸部は工業地帯になっていて、ここで働く人たちが周辺に住んでいるのだろう。あるいは東京まで通勤している人たちも。

 わたしが通っている高校は、県立蘇我高校というごくありふれた公立高校だった。偏差値はあまり良くない。卒業後の進路は、半分が就職、もう半分が短大や専門学校への進学というところで、四年制大学への進学はごくわずかのようだった。

 これは、前世のわたしが経験した、中高一貫の私立女子校とは全然違っていた。

 前世の女子校では、ほとんどが受験で大学へ進学し、落ちても内部進学という制度で付属の女子大へ入学することができた。偏差値はかなり高かった。高校を出てすぐに就職する、というのは異世界の事のように思えた。

 あとはLINEの内容を確認したが、クラス全体のグループと、さっき話した真由、隆子と三人のグループ、あと真由との個人的なやり取りが残っていた。明日の課題がどうとか、当たり障りのない話題ばかりだった。

 生徒手帳を見ると、わたしは一年生だとわかった。つまり真由や隆子とはまだ出会って間もない訳で、深い友情があるのかどうかは、まだ決まっていない。

 財布には、三千円ちょっとの現金とポイントカードが少々。まあ、こんなものか。

 と、そこまで調べた時、家の前庭に軽自動車が停まった。

 車から、大人の女性が降りてくる。どうやらわたしの母親のようだった。


「お、おかえりなさい」


 玄関を開けた瞬間、わたしは反射的に、大声でそう言った。前世では、そうしないと母親に『お行儀が悪い』と言われ、怒られたのだ。


「ひゃっ!」


 しかし、この世界での母は、わたしの挨拶を聞くとものすごく驚いて、手にさげていたスーパーのレジ袋を落としてしまった。


「あれ、美幸ちゃん起きてたの? いつも晩ごはんできるまでソファで寝てるのに」


 しまった、とわたしは思った。

 真由という同級生の少女が言った、『寝るのが好き』という設定は本当にそうらしかった。前世の高校生のわたしは、志望校合格のために寝る間も惜しんで勉強していた。だから家に帰っても、すぐ寝ることはなかった。


「……もしかして、何かお願いでもあるの? お金?」

「い、いや、そういうわけじゃ、ない、けど」


 言葉づかいが敬語にならないよう、一言ずつ考えながら喋るのは大変だった。わたしの中身が別の世界からやってきた大人の女だとバレるんじゃないか、という恐怖に支配され、わたしは母の顔も見ず、小さな声でそうつぶやいた。


「ふうん。変なのー」


 しかし、わたしの心配など全く気にせず、母はせわしなくキッチンを動き回り、買い物をしてきた食料品を片付けていた。

 それからさっさと着替え、エプロンをして、料理を始めた。

 そうか。普通の家庭の母親は、夕食を自分で作るのだな。わたしの前世の記憶には、スーパーで買った冷たいお惣菜しか残っていない。

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