第1話
キーン、コーン、カーン、コーン。
目が覚めたとき、わたしは学校のチャイムを聞いた。
それから、教室の生徒たちが一斉に立ち上がるのを見た。
わたしは、まだ寝ぼけているような感覚で、身体が思うように動かなかった。高校生だと思われる生徒たちはみんな、リラックスした表情で、さっさと教室を出たり、机に座って雑談したり。どうやら一日の授業が終わり、放課後になったようだった。
「みーゆーきーちー!」
わたしがまだ立てずにいると、誰かがわたしの背中をばしん、と叩いた。
それで身体が覚醒して、なんとか動けるようになった。
背後から近づいてきたのは、ショートボブにきれいな丸顔の、小さな女の子だった。
ここで、ふと自分の過去――国家公務員として働き、過労で倒れるまでのことを思い出した。
どうやら、その記憶は完全に残っているらしい。死んだ、と思った後、神様を名乗る者の声を聞き、『そうひどくない人生』へ送られたことまで、明確に覚えている。
違っているのは、今のわたしがどう見ても女子高生だということ。
ここは、わたしが以前通っていた高校ではなかった。教室しか見ていないが、中高一貫の私立女子校ではなく、公立の高校らしい。私立の女子校のようなきらびやかさと、設備の美しさが感じられない。どちらかというと、ひなびた、という言葉がふさわしい。
「もう! まだ寝ぼけてるの? 帰りのホームルームでも寝るなんて、みゆきちは本当、寝るの好きだよね!」
丸顔の女の子が、まだ状況を飲み込めていないわたしを追い立てるように、早口で話す。
この子は誰なのだろう。わたしの以前の記憶にはない。わたしは高校時代、というか幼い頃から社会人になるまで、友達と呼べる人を持たなかった。
「……あなた、誰?」
半ば本気で、わたしはその女の子に問いかけてみた。
「ぷっ! みゆきちほんとに寝ぼけてるね! 私は真由だよ! ねえ、思い出した? ちゃんと夢から覚めた?」
「う、うん」
寝ぼけていた、と思われていたのが幸いして、わたしはその子の名前を聞くことができた。わたしの中身は二十代後半の大人だから、高校生たちについて行けなかったらどうしよう、と心配だった。
「かえろーよ」
「うん」
いつも、学校帰りは一人だったから、わたしは慣れなかったけど、今はとりあえずこの真由という子へついて行くことにした。
教室を出ると、ほどなくして真由が自分の隣からふらっ、と消え、一人で歩いている女子に向かっていった。
「あっタカシじゃん! 一緒にかえろー!」
「ん」
その少女は背が高めで、とてもボーイッシュなベリーショートの髪。精悍な顔つきで、美人というよりはイケメン、と呼びたくなる雰囲気だった。この高校の制服はブレザーなのだが、スカートではなく、男子と同じズボンを履いている。
「ねえねえ、みゆきち帰りのホームルームもずっと寝てて、まだ目が覚めてないんだよ! 私、さっきあなた誰? とか聞かれちゃった! タカシも自己紹介した方がいいんじゃない? 忘れられてるかもよ」
「ふうん……そうなの」
タカシと呼ばれた女子は、真由とは対称的に無口だった。その少しミステリアスな雰囲気が、彼女を余計にかっこよく見せている、ような気がした。
「みゆきち、ボクの事忘れた?」
「えっと……男子だっけ?」
またわたしは、半分本気で、寝ぼけたフリをしてそう聞いた。
身体つきが細いのと、胸がほんの少し膨らんでいることから女子だ、と雰囲気でわかっていたのだけど、真由が『タカシ』と呼ぶ上にズボンを履いているので、本当はどちらなのか、自信が持てなくなっていた。
「ぶっ」
真由がまた、ちょっと下品な笑い声をあげる。
「……女子ですけど。ホントの名前は隆子。こいつがタカシって読んでるだけ」
「ぎゃー」
隆子と名乗った少女は、真由のまんまるなショートボブの頭をつかんで、ぐりぐりと回した。真由は身をよじって、それをかわそうとする。しかし隆子の力が強いのか、なかなか逃れられず、わたしはその姿を見て思わず笑ってしまった。
自然に笑ったのは、何年ぶりのことだろうか。
いわゆる『愛想笑い』として、相手とムードを合わせるために笑顔を作ることは、数え切れないほどあったのだけど。
何も考えず、ただ反射的に笑ったのは、本当に久しぶりだったように思えた。
もちろん、ここではそれが日常なのかもしれない。神様を名乗る者が与えた『そうひどくない人生』とは、世間一般でいう普通の女子高生、つまり何人か仲がいい友達がいて、バカな話をしながら毎日過ごす。そんな生活の事なのだろうか。
たしかに、普通の家に生まれて、普通の生活がしたい、とは何度も思ったけれど。実際に、しかもいきなり高校生として生活が始まってしまうと、まだなんとなく慣れない。
わたしと真由、隆子は、三人で今日の授業がどうのこうの、数学の先生の禿頭がどうのこうの、という話をしながら、近くにあるバス停まで歩いた。わたしは、道がわからなかったので、真由と隆子の後ろを静かについて行った。まだ寝ぼけていると思われているらしく、あまり喋らなくても怪しまれなかった。
「じゃ、みゆきちバイバイ」
「ん」
バス停の前で、真由と隆子に別れの挨拶をされた。
あれ。わたしもバスで帰るんじゃなかったのか。
「みゆきちは家がすぐそこにあっていいよねー。今日泊まっていい?」
真由が、バス停の少し向こうにある家を見ながらそう言ったので、わたしはこの世界での、自分の家を知ることができた。立派な一軒家だった。
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