僕と手品と不動明王と
「ふぅ……間に合った」
速く鼓動する心臓を整えながら、僕は机にカバンを下ろす。騒々しさを極めたような朝だったが、なんとか授業開始前にたどり学校へ着くことが出来た。
しかし、その代償は大きい。
「汗、全然引かないな」
シャツが汗によって肌に吸い付く。
まだ五月とはいえ、今日の天気は雲一つない快晴。さらに焦燥に駆られながら、全力で自転車を漕ぐ──そんな条件で汗をかかないほうが異常である。
「はぁー」
僕の最後の抵抗のため息もチャイムによってかき消された。
唐突ですが……僕はクラス内でかなり浮いた存在です。どの程度かというとクラスメイトに話しかけようと近づくと、苦笑いされながら徐々に逃げられるぐらい……。
そんなことになった原因は入学早々に起こした
だから、昼休みにわざわざ僕の席に来て、僕に話しかける人はかなり変な人ということなんだろう。
「おーい、無視しないでよ」
「す、すいません」
机から顔だけひょこっと覗かせているこの美少女も例に漏れない。
「で、今日はどうしたの?
「もー、いつも
「そうだね。初夏さん」
「えへへっ! おっけー!」
くるんと天然パーマがかかっている黒髪、右側に入っている青いメッシュは控えめに主張している。小麦色に焼けた肌が彼女の生彩溢れる笑顔をより一層際立たせる。
「今日はねー、これを使うよ」
「……竹刀?」
「そう!」
「これをこうして……っと」
初夏は馴れた手つきで竹刀を長細い袋に入れていく。全て入れ終え、紐を結ぶと「ごほん」とわざとらしい咳をひとつ。どうやら今日も彼女お得意の手品が始まるようだ。
「種も仕掛けもないただの袋……」
突き出された竹刀の入ったの袋。その光景にゆきとだけでなく他のクラスメイトが目線を寄せる。
「だけどねー、こうやって手をかざすと……」
「すごい!」
初夏が手をかざした途端、袋の膨らみが消える。何度観てもゆきとは彼女の手品への驚嘆の声を隠せない。開かれた袋の中身は皆の想像通り、綺麗さっぱり無くなっていた。
「消えてしまった竹刀……どこに移動したと思う!」
はちきれんばかりの笑顔で竹刀の在処を訊ねる彼女。そんな笑顔を見ていると僕も自然と気分が上がってしまう。
「んー、横にあるロッカー……かな?」
「ざんねーん。正解は──」
初夏はおもむろに自身のシャツのボタンを外し始める。クラスメイト ……主に男共がさらに注目し始めた。
「ちょ、ちょっと!? なんで脱いでるの!?」
「じゃん!!」
「──ッ!!」
開かれたシャツの中には、うるおい弾ける褐色の肌、魅惑的なへそ。そして慎ましくも……慎ましくも、視線を誘導される胸とそれを覆う白いバンダナのような下着。そしてその間に何故かある消えたはずの竹刀。
「私の服の中でした! びっくりした?」
ニッコニコの下着姿で感想を求められる。鏡はないが僕の顔を今、トマトのように赤くなっているに違いない。
「いいリアクション! そんなによかった?」
「前、前見えてるから!!」
「ン?」
(なんでピンと来てないの!!)
赤面した少年の求めとは裏腹に少女は状態そのまま、無垢な笑顔で
ゆきとの席は窓際、逃げ場は存在せず抵抗云々なく追い込まれていた。
少年の羞恥ゲージが
「誰だぁあああ!! 私の竹刀持っていった奴は!?」
ギラギラした目と額に浮き出た血管は、彼女の激昂具合を充分に表している。ドア付近の生徒は必死に視線を外し、みんな震え上がっている。
「マズっ」
そんな中、あからさまに汗を……冷汗をかいている少女が横に。
「えぇええええええええええええ!? あれ、
「あははっ、ごめーん」
これを総じて付いたあだ名が『喜志の不動明王』……。
初夏はそんな人物の私物を持って来たようだ。
「道見ゆきと」
「ハイ!!」
「お前か? 犯人は」
「ち、違います!!」
もちろんゆきとは否定する。
だが横にいる
そこには彼女の姿などなくただの虚空だけが存在していた。
(に、逃げたぁ!!)
「じゃあ、後ろのそれはなんだ?」
(しかも、置いていってるっ!?)
「はぁー……安心しな、実行犯は割れてる。
(バ、バレてる。けど助かっ──)
油断するには速すぎた。
「しかし……だ。千影も一人は寂しいだろうから、共犯の疑いがあるお前もついでに連れてってやらないとな。なぁ? 道見」
竹刀を取り戻し、鬱憤が晴れたのか、それとも怒りが天元突破しているのか。我らが不動明王は扇状的な笑みを浮かべている。当たり前だが前者ではない。
「───」
それは……その奔放すぎる性格ゆえ関わると、手品以上に驚嘆する面倒事に
上ではカラスの甲高く鳴き、下では運動部員の活発な声が耳に届く。中間に位置する教室は対照的に箒で埃を払う音だけが響いていた。
「あははっ、いつも付き合わせちゃってごめんねー、ゆき君」
「別にいいですよ、千影さんに巻き込まれるの、最近慣れを感じ始めてますから」
「もー、また千影さんになってるー」
不動院先生が襲来してから時間が過ぎた。太陽も仕事がもう終わるので最後のひと頑張りをしている。
教室にはゆきと、初夏の二人だけ。いささかロマンチックが過ぎる状況だが、現実はそう甘くない。端的にいえば罰の執行。
「ごめんなさい。けど、どうしても抜けなくて……」
「うーん……なら、ゆっくり変えていこー!」
「う、うん! 分かりま──た」
一学年の全教室掃除。それが二人に課された罰だった。教室は全部で七、それぞれ三つずつ終わらせて、最後の一つを協力して掃除している最中である。
「そういえば! ゆき君、魔法使いの手がかりは見つかったの?」
「いや……全然、そもそもこの話を信じてくれる人が全くいないんだ」
「そう……なんだ。なんか悲しいね」
そう言った彼女の声はさっきような元気はなく、対面していた顔は窓を見つめている。
(初夏さんは本当に良い人だ)
顔は見えずともゆきとは自然にその考えに至った。入学してからの一ヶ月、散々彼女の無茶と手品に巻き込まれている。それでもゆきとが彼女と一緒にいるのは「魔法使いにお礼がしたい」なんて与太話を真剣に聞いて、受け入れてくれたから。
そして、今も自分のことのように悲しんでくれている彼女。その何気ない優しさに居心地の良さを彼は感じているから。
「あっ……でも今朝、夢を見たんだ」
ゆきとは悲しむ初夏への切り替えに、朧気だが確かに残っている今朝方の夢を語った。
「うーん、じゃあその女の人が魔法使いなの?」
「分からない。顔ちゃんと覚えてないから」
「えーーー」
「ご、ごめん……けど。なぜか懐かしく感じたんだ」
「覚えてないのに?」
「うん」
「そーなんだ……よかったね」
「うん」
霧がかった記憶に残っている灰薔薇の美女。静寂の精霊のような彼女は一体誰なのか?
「その人かどうかは分からないけど……会えるといいね! 君を救った魔法使いに!」
「───」
「会えたら私も友達になりたい!!」
夕陽を奥に立つ少女はいつにも増して、煌びやかに魅惑的だった。
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