「急に呼び出してどうしたの、りーちゃん?」


 一時間後、電話で呼び出したのはユミコだった。いまも風俗店に勤めている彼女は運良く非番だったらしく、「なるはやで来てくれ」という頼みをすんなり聞き入れ、部屋を訪ねてきた。


「休みの日に悪い、アクアガーデン鹿無木町店の店長だったやつと話がしたい。いま何してるか知ってるか?」

 万里は時間があったのでみずから烏龍茶を淹れ、ユミコをこたつ机に誘った。


「そんな用事なら電話で良いじゃない」と彼女は座布団に座りながらいった。もっともな意見だが、万里には言い訳があった。

「店長の電話番号は知らないだろ?」

「うん、お店で使ってた番号しか登録はしてないね。つながらなくなったからそれも削除したけど」

「私用の番号を知ってそうなやつを教えて欲しい。おれがそいつに電話するから」


 烏龍茶を飲みながら、用意したお茶菓子の包みを開け、万里は可能なかぎり自然にいった。実際のところ、彼がユミコを呼び出したのは、店長とのやり取りに彼女を挟まないためだ。 連絡先を知る元同僚に電話すれば、この件にユミコが関わるはめになる。それが万里としては是非とも避けたいことだった。彼はいま、犯罪に一歩足を踏み入れようとしている。ことが露見するとユミコにも累が及ぶだろう。濡れ衣を着せられるリスクは最小限にしなければならない。

「店長と付き合ってる子がいるから、その子に聞いてみるね」とユミコはいった。万里は「番号だけ教えてくれ。おれがかける」といい返した。


 ユミコの教えた相手は竹本という若い子だったが、ここから先の話は知られたくない。万里はキッチンにむかって暗に席を外して欲しいというそぶりを見せた。ユミコはそれを察したのか、たばこを口にくわえ、万里とは色違いのダッフルコートをはおってベランダに出た。寒いのに申し訳ないと思いながら、通話に出た竹本にユミコの友人であると告げ、それっぽい嘘をでっちあげた。風俗店の経営を依頼したいので電話で交渉させて欲しいという嘘を。


 竹本はその話を信じ、元店長の携帯番号を教えてくれた。ついでに元店長の名前を聞くと「米田イクオ」と答えた。用事を終えたので「ありがとう」といい、万里は通話を切った。

「もう良いよ、寒いだろ」と窓を開けながらユミコにいった。


 ユミコは灰皿を手に持ち、室内に戻った。その灰皿をこたつ机に置きながらダッフルコートをラグの上に置いた。万里はいまさら気づいたようにハンガーを用意し、ユミコに手渡した。そしてこれからの段取りを考えた。米田という元店長にはユミコが帰ってから依頼をしよう。それまで、わざわざ出向いてくれた礼に料理でも振る舞おうと思った。じきに夕食時になる。スーパーで買い物をして戻っても十分に間に合うだろう。


「せっかく来てくれたし、美味いものでも作るよ。何か食べたいものある?」と万里は聞いた。ユミコはたばこを消しているところで、ひと息吐いたあと烏龍茶を口にした。ハンガーはダッフルコートの上に置かれたままだった。


 彼女はしばらく黙っていた。その沈黙が何を意味するか、万里は理解していなかった。

「ねぇ、りーちゃん」とユミコはいった。少し思いつめた様子の声だった。万里が応じると、彼女はまた押し黙り、忙しなくたばこを取り出した。チェーンスモークすること自体、珍しくないが、見た感じ気が立っているように映った。万里は何となく嫌な予感がした。


「りーちゃんさ、店長さんにどんな用事があったか聞いてもいいかな?」

 たばこをくゆらせながらユミコがいった。その問いは、先ほど気を利かせた人間の口にする文句ではなかった。しかし急に呼び出され、ろくな説明もないまま、店長と連絡を取りたがる姿を見せられたら、何ともいえないわだかまりを抱くのは不自然ではない。万里の行動はそれくらい一方的で、なおかつ不透明だっただろう。


「べつに大したことじゃないよ」と万里はあえて軽薄な感じでいった。「中国人の知り合いが潰れた風俗店を買い取ったらしくて、雇われ店長を探してたの。経験者だし、都合がつくなら話に乗ってくれるかと思って」


 いまさっき竹本に教えたのと同じ嘘をくり返し、この件は終わりだといわんばかりの態度で万里は自分のダッフルコートを取りに動いた。

 ハンガーラックに近づいたとき、ユミコがいった。冬の寒さに凍えたような声だった。


「りーちゃんさ、何か危険なこと考えてるでしょ。根拠はないけどさ、わたしわかっちゃうんだ、りーちゃんのこと。この間怪我したときを除けば、いままで一度もプライベートで会おうなんていってくれなかった。セックスするときしか呼んでくれなかった。勘違いしてると思うけど、わたし結構寂しかったんだよね。お店が潰れたあと、それでもわたしと一緒にいてくれるのを見て、もしかしたらって思っちゃったんだ。でもりーちゃんはセックスしか求めてくれなかったよね。りーちゃんの望むようなセックスをする相手がほかにいなかったから、相手がわたし以外いなかったから、仕方なくわたしなのかなって悲しくなってさ、そのとき気づいたんだ、わたしはりーちゃんのことが好きなのかなって。だからさ、嬉しかったんだ、きょうは。突然誘ってくれて、今度こそどんな用事があるのか期待しちゃってさ。でも勘違いだったよね。ううん、勘違いだってことはたぶん最初からわかってた。りーちゃんがどんな人間か、お店の人を通じて偶然知ることもあったよ。下手に親しくなっちゃいけない人だっていうのもわかってた。わたし知ってるよ、りーちゃんの評判が悪いこと。この街でどんなふうに呼ばれているか。いろんな人と喧嘩して、乱暴ばかり働いていることも。それでもわたしにだけは優しくしてくれたよね。たとえそれがセックスの相性が良かったからだとしても、すごく嬉しかったんだ、りーちゃんと一つになれたことが。でもおかげでわかることってあるんだ。わたしをセックス以外の理由で呼び出したこと。それは普通の用事じゃないよね。店長さんと連絡がとりたいってこと。店長さんが普通の人じゃないことを知ってるからだよね。わたしを挟まないで竹本に連絡を入れたこと。これは思い違いかもしれないけど、わたしを巻き込みたくないからだよね。どこをどう考えても、りーちゃんは危ないことしようとしている。店長さんの後ろにいるのはやくざだよ。やくざと縁が切れなくて、命令された場所で働くしかない可哀想な人だよ。そんな人に急用があるって、やくざと話がしたいからに決まってるじゃない。ひょっとしてりーちゃん、料理人してたときからやくざとつながりがあったの?」


 ユミコはたばこをもみ消し、万里を見上げた。


「やくざと縁なんてないよ。というか、いまの憶測は全部間違いだし」

 にべもない態度で却下するが、ユミコは引き下がらなかった。


「間違いでもいいよ、りーちゃんが無事なら。でもりーちゃんは違うでしょ、まだ病気が完全に治っていない病人でしょ。そんな状態でやくざと何かあったら病気がぶり返すかもしれないじゃない。絶対よくないって、そういうの。嫌な感じがする。いつものりーちゃんと違うもん。我慢しようか迷ったけど、わたしりーちゃんのこと放っとけないよ」

 そういうとユミコは立ち上がり、万里の体に抱きついてきた。首に手をまわし、体重を預けてきた。


 干渉といってしまえばひと言で済む。万里は干渉を嫌うから、ユミコの態度に嫌悪感を覚えた。しかしそれ以外の部分に関してはどうだろう。じつのところ、ユミコの想像はかなり正確だった。予想的中といっても良い。万里はその根拠がわからない。匂わせるようなやり取りは慎重に避けていたし、言い訳も十分だと思っていた。しかし違った。ユミコは風俗店の店長というキーワードからその背後にいるというやくざを結びつけ、万里の真意を察した。そのうえで嫌な感じがするなどといった。もしその言が正しいとするなら、彼女は万里がよからぬことを企んでいると直感的に理解したのだろう。


 物事を論理的に考えがちな万里にとってそこには思考の飛躍がたくさんあった。しかし結論は正しかった。ユミコが察したとおり、万里はやくざと交渉したがっている。偶然手にした覚醒剤を現金化するため、やくざとつながりのある人物を探していた。そうして白羽の矢が立ったのが風俗店の元店長である米田だった。彼なら後ろ暗い職業の人々と接点がある。


 覚醒剤を警察に届けなかったわけを万里は自覚している。これはまたとないチャンスなのだ。精神を病んで破綻させた人生を改善する絶好機。もしまとまった現金が手に入れば、最低でもタクミが帰国したときには自立していられる。しかもそれは小さく見積もった場合の話だ。


 覚醒剤の末端価格で計算すると、恐ろしい額の大金が手に入るかもしれない。所詮あぶく銭といえばそうだが、金は金だ。どんな色をしていても金に変わりはない。もし宝くじの一等賞が当たったときのことを考える。そいつは明日から違う人生を手に入れるだろう。万里に置き換えても同じだ。一気に富豪の仲間入りすることは間違いない。


 そうしたステータスを得ると想像したとき、万里のなかで犯罪への抑止が解けた。曖昧にしているが、万里は美緒に対して好意を抱きつつある。最初は微塵もなかったが、美緒が自分に対し恋心のようなものを感じていると知って気持ちが変化した。その変化はしかし、彼のなかでうまく処理されなかった。自分の社会的地位の無さに引け目を感じ、金持ちの親を持つという美緒をすんなり受け入れられなかったのだ。けれども億単位の大金を掴めば状況は一変する。美緒と対等に付き合える。その親とも劣等感なく顔を合わせられるし、結婚すら可能だろう。美緒はユミコと同じく、万里の性癖に拒否感を示さなかった。


 すべてが上手くまわりはじめようとしたとき、ユミコが邪魔をした。万里の企みを暴いてみせた。しかもその邪魔は悪意にもとづいていない。いやむしろ、万里に対する愛がなしえるわざだ。


「いろいろ思い違いさせちゃったかな。店長と話がしたいのは嘘じゃないって。やくざが絡むとか考えすぎだよ」


 いまさらユミコを黙らせられない気はしたが、通り一遍な返事をした。しかしこの頃にはもうわかってきた。万里は長年、ユミコが自分を大事にしてくれることを支配欲の裏返しだと思っていた。しかしやくざとの関わりを身を挺して止めようとする振る舞いは、支配欲からほど遠い。

 ユミコの話に耳を塞ぎ、スーパーに買い物に行くぞといって万里はダッフルコートをはおった。


「ごまかそうとしてもだめ。ちゃんとわたしの目を見て答えて」


 万里の腕を掴み、ユミコがいった。こんな厳しい言葉を彼女が浴びせたことは一度もない。客と風俗嬢という関係を越えたひと言にうろたえる。もし越えてしまったら、自分はユミコを愛してしまうかもしれない。そう思った万里は突然ぶち切れた。


「おれのやることに口をだすな、風俗嬢ごときが!」

 それはぶち切れたという演技ではない。二度と未練を抱かないよう、万里はユミコの顔面をぼこぼこに殴った。

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