第9話 聖女は神話がお嫌い?

 次の日、僕は先輩に呼ばれていつものサークル部室に向かった。

 先輩は珍しく、部室だけどユニフォーム姿ではない。

「最近、色々な異世界を手あたり次第破壊しているらしいという物騒な話を聞いたわ」

 あれぇ? 何で怒られるの?

 もちろん、最近はちょっとやり過ぎかなと思っていたけれど、先輩にだけは言われたくないよ!

 誰のせいだと思っているんだ!

 もちろん、そうした僕の心の声は先輩には届かない。届かせるつもりもないけどね。

 だから、先輩はそのままの流れでチケットを二枚渡す。

「たまには精神を休ませる機会も必要だと思うわ。魔央さんとオペラでも聞いて心を休めなさい」

 オペラ……?

 僕は何の気なく、受け取ったチケットを見た。リヒャルト・シュトラウスの『ダナエの愛』だ。

 確か、ギリシア神話を元にしたものだっけ?


 そう思った瞬間、僕の背中に電撃が走った。


(待てよ……。もし、魔央がオペラをつまらないと思って、この世界を壊してしまったら、どうなるんだ?)

 ギリシア神話の世界を今の世界から吹き飛ばしてしまう。

 これは恐ろしい話である。一体どんなことになるのか、想像すらつかない。

 しかし、僕の想像はもっと恐ろしいところに向かっていた。

(ギリシア神話を復活させる際にアスタルテを押し付けることはできるか?)

 これは、『できる』と考えるのが自然だろう。

 ギリシア神話は無茶苦茶な世界である。アスタルテは確かに我儘な女神であるだろうが、ギリシア神話のゼウス(ユピテル)はそれをも超えるいい加減な神だ。彼らに「女神の品格どうこう」を語る資格はない。


 しかし、さすがに相手が強大過ぎる。

 と、対戦相手のように考えるのも問題だけど、ギリシア神話の世界を吹っ飛ばすのはやばい……。ローマ帝国だって元々はギリシア系の神様を崇めていた。それすら変わるとなると、歴史が変わってしまうかもしれない。

 世界が一回滅ぶクラスの出来事である。これを受け入れるだけの覚悟は、ない。

 この話は無かったことにしよう。

 神話の世界に立ち向かうだけの勇気は、僕にはない。

 負け犬で結構。

 人は負けた数だけ、強くなっていく。堂本五郎監督も「負けたことがあるというのが、いつか大きな財産になる」と言っているではないか。


 しかし、先輩はそんなに甘くなかった。


 タワマンの最上階に戻ると、魔央が尋ねてくる。

「悠さん、川神先輩から日曜日のオペラ、楽しみにしていなさいというメールが来たんですけれど、どういうことだか分かります?」

「うっ」

 さすがは先輩、僕が「こんなチケットはもらわなかった作戦」を敢行することを見抜いていたのか。

 だが、何故、ここまで押してくる。これがどれだけ危険な行為か分かっているのだろうか?


 夕ご飯を食べ終わると、僕は先輩に電話をした。

「……先輩、何を企んでいるのですか?」

『企んでいる? 何のことかしら?』

「魔央に異世界を潰す能力があると知りながら、ギリシア神話のものを渡す。先輩、ギリシア神話に何か恨みでもあるんですか?」

 ひょっとしたら、父親の川神威助がギリシア神話系の作品に毒されてしまったことに対する恨みがあるのだろうか。

 そういう雰囲気でもなさそうである。

『……強いて言うのなら、好奇心?』

「好奇心?」

『ギリシア神話が世界から消えたら、世界の神様の事情はどうなるのかと思ってね。ほら、今の世界の宗教への直接的な影響力はないでしょ。だけど、間接的な影響はある。これらがなくなるとどうなるのか。見てみたいと思わない?』

 とんでもないことを言いだした。

 山田狂恋も、堂仏都香恵もヤバかったが、今の先輩のヤバさはそれを軽く凌駕する。

 世界の宗教観を揺り動かす。

 どうしてそんな危険なことを考えられるんだ、この人は?

 あ、ただ、先輩は聖女でもあった。となると、ギリシア神話みたいな別系宗教はいらない子という認識なのかもしれない。

「アスタルテを押し付けたら、世界を救える回数がストックなしになりますけれど」

『あら、でも、最近結構上がっていない?』

 あれ、そうだっけ?

 そういえば、もらった日に使っただけで、毎日好感度測ったりはしていないけれど。

『二人で世界を滅ぼす度に、親密感が上がっているような気がするのよね』

「……」

 本当か?

 それが本当なら、僕達はとんでもないカップルということにならないか?

『ま、とにかく、日曜日は楽しんできてちょうだいね。その後の展開は、私も楽しみにしているから』

 先輩はそう言って、電話を切った。

 改めて言おう。

 大変なことになってきた。

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