第8話 それは記憶ではなく、魂からのもの

 魔央は一体何がどうなっているのか分からないという様子で戸惑っている。

 いや、それはそうだよね。いきなり先輩が羽交い絞めにして、「私諸共世界を滅ぼせ」とか言っていても「おまえは一体何を言っているのだ」となるよ。

 山田さん、逃げようとしているけれど、先輩の羽交い絞めがきついらしい。

「くっ、本来あるはずの隙間もないなんて!」

 山田さんの言葉に、ピシッと何かにヒビが入る音が聞こえた。

「言ってはならないことを……、覚悟するのね」

 先輩が呪うようなことを言い、そのまま山田さんの頭を背後の地面に……!

 スープレックスだ! いや、バックドロップ?

 山田さんは「ぐぎゃ」という声をあげて動かなくなった。

「心配無用、峰打ちよ」

 いや、床に穴が空いていますよ。フィクションでなければ死んでいますよ。

 というか、先輩は何を怒ったんだ……? 山田さんのダイイングメッセージ「本来あるはずの隙間もないなんて」というのは一体?

「う、うぅぅ……」

 山田さんがうめき声をあげた。よく生きているなぁ。

 後頭部をおさえて、先輩をチラッと見て首を傾げた。

「あれ、私は一体? ここはどこ?」

 山田さんは不思議そうに辺りを見渡している。

 うん、この雰囲気?

「どうやら、解決したようね」

「解決?」

「私は一体何をしていたの?」

 先輩は何やら満足そうで、山田さんは自分のことが分かっていないらしい。

 自分のことが分かっていない? あれ、もしかして記憶喪失?

「それじゃ、週末はよろしくね」

 先輩はスイート席の観戦のことは忘れずに言い残し、その場を去っていった。


 そうか、記憶喪失か。

 確かに記憶を失ってしまえば、もう怖くはないよね。

 先輩、何も考えていないようで、一応考えていたのか。恐るべし。

「……記憶喪失ということは、悠を襲ったことも覚えていないのか。そうなると、罪に問いにくいなぁ」

 武羅夫はどうしたものかとつぶやいている。先輩はどこかに行ったけれどさすがに部屋に入ろうとはしない。どうしたものかと言いながら廊下の向こうへと出て行った。

「山田さん、大丈夫ですか?」

「山田……? それが私の名前なの?」

 名前まで忘れてしまっているのか。こうなると今後が大変だよね。

 と言って、記憶を取り戻す協力は絶対したくないけどな!

「立てる?」

 とりあえず、手を差し伸べることにした。

「……」

 山田さんがぼーっとした様子で僕の顔を見ている。

「貴方は、私の運命の人なのね?」

 はい?

「いや、そんなことはないよ」

「私が生まれたのは、貴方と番いになるためだわ! 今すぐ結婚して!」

 えぇーっ!

「もう記憶を取り戻したわけ?」

「記憶? 記憶なんてないわ。でも、私の魂が叫んでいるの!」

「いや、僕は君とは結婚しないから!」

 断った途端、場の空気が一瞬で黒くなったように感じられた。

 山田さんの顔がズーンと沈み、その目に虚無を映し出す。

「そう……。それならば仕方ないわね。貴方を殺して、私も死ぬわ!」

「うわーっ!」

 今度は僕が羽交い絞めされることになった。

 というか、全然変わってねー! 展開同じじゃないか。


 あっ。


 先程のダイイングメッセージが理解できた。ものすごい力で羽交い絞めにされているけれど、胸が膨らんでいるから、そのあたりに若干の隙間はある。

 それがなかったということは……。

 この先を言うと先輩に殺されるからやめておこう。

「この腰ひものことだけは覚えているわ。これを引くと、お腹に忍ばせた爆弾が爆発するわ」

 何でそんな自爆用知識だけ覚えているんだ!

 というか、さっき先輩、よく爆発させなかったな!

「さあ、一緒に、さよならよ」

「ひえーっ!」

 今度こそ終わりだと思った途端、僕の肩越しに細い手がすっと伸びた。

「あれ、魔央?」

 魔央がにこりと笑って、山田さんの頬のあたりを触れている。

「一緒に世界を滅ぼす感覚……、教えてあげます」


 遂にその日がやってきた。

 地球外生命体HTAEDが放った超巨大なミサイルが宇宙を超えて地球へと落下した。地球より遥かに進んだ文明と技術をもつ連中の技術の粋を前に、人類はどうすることもできない。

 ミサイルは地球のみならず、太陽系そのものすら破壊し、空間には静寂のみが残される。

 世界は滅亡した。


『世界を救いますか?』

『▶はい いいえ』


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