第2話 愛の無理心中?
「ち、ち、ちょっと待って!」
お分かりいただけるだろうか。
大学の建物の前で、婚姻届をもってにじり寄る女がいて、それに後ずさる男がいるという光景がどれだけ奇妙なものであるか、ということを。
「も、申し訳ないんだけど、僕は山田さんのことを全く覚えていないわけで、何でこんなことになるのか分からないんだけど?」
「名前を憶えていたじゃない?」
うっ、それを突っ込まれると痛いな。
「な、名前だけは、ね……」
と言い訳をすると、山田さんは下を向いた。
「そう……。覚えていないのね。貴方が中学の時、いじめられていた私を助けたということを」
「……ご、ごめん」
いや、本当に覚えていないんだけど。そんなことあったっけ?
「あの日以来、私は貴方にふさわしい女になることだけを考えて生きてきたわ。百種類の美容法を試して」
うわ、それ、ダイエットとかでやると絶対に失敗しそうな奴だよね。
でも、まあ、見た目が綺麗になっているからやったかいはあったのかな?
「そして幸せな生活を夢見て、ユーチャーブデビューしてまあまあの金を稼いで」
「は、はぁ……」
一体どんなコンテンツをやっているんだろう。
どう見てもロクなものをやっていそうに見えないんだけど。
「私立探偵を雇って、何から何まで調べさせて、今日という日を待っていたの……」
「……な、何で今になったわけ?」
よくよく考えると、入学式から一か月くらい経っているわけで、何でこんな時間が空いたのかが分からない。
「楽しみ過ぎて、一か月くらい熱を出していたのよ……」
「あ、そうですか」
まるで遠足が楽しみすぎて熱を出す幼稚園児みたいだな。
と、のんきなことを考えている暇もない。相変わらず彼女がじりじりと近づいてくる展開に変わりはないのだ。
「さぁ、時方君、私と結婚しましょう」
「いや、それは無理だって?」
「無理……? どうして?」
山田さんの目が怪しく光る。
「だってさ、中学時代に同級生だったかもしれないけれど、今日数年ぶりに再会したんだよ?」
「私はずっと時方君と一緒だったわ。あんなことや、こんなこともしてきているし……」
それは君の妄想の中ではそうかもしれないが。
何者か全く分からないけれども、とにかくどうしようもないので僕は切り札を使うことにした。
「……申し訳ないんだけど、僕は既に故郷の幼馴染と婚約の関係にあって、だから、好き嫌い以前に君と結婚することはできないんだ」
何で初対面の相手にここまで言わなければいけないんだろうと思うけれど、山田さんは普通の説得は通じそうにないし、もう仕方がない。
「……婚約? ……幼馴染と?」
山田さんの動きが止まった。下を向いて微動だにしない。
「そうなんだ。こればかりは家の都合もあるからどうしようもなくて」
と説明をすると、山田さんは婚姻届を鞄にしまった。ホッとしたのもつかの間、代わりに別のものを取り出す。
「え、え、山田さん……? それはもしかして……刃物ってやつでは……」
ナイフなんていう生易しいものではない。脇差のような重厚感のある刃物を抜き出した。
「……時方君、私を裏切るのね。私は貴方しかいないと決めたのに」
そんなこと知らんがな。そう言いたいけれど、脇差を手にする彼女の背後にはゆらゆらとどす黒いオーラのようなものが漂っている。
「仕方ないわ。貴方を殺して、私も死にます」
彼女は脇差を力強く握りしめ、僕に向かって突っ込んできた。
「うわーっ!」
慌てて回避したが、彼女はすぐに向き直る。
「何故避けるの?」
「避けるよ! 死にたくないよ!」
というか、いつの間にか周りに誰もいなくなっている。授業中だからか?
やばいよ。ヤンデレってこういうのを言うんだろうなぁ。
こういう手合いだと、魔央の威光も通用しないかもしれない。「貴方のいない世界なんか意味がないから、殺すわ」みたいな感じで。
「時方君、怖くないわ。私と一緒に死にましょう」
「助けてー!」
僕は建物の中に駆け込んだ。廊下を必死に逃げ、男子トイレに駆け込んで背後を探る。
幸い、後を追いかけては来なかったようだ。いや、安心はできない。ああいう手合いはホッと一息ついたタイミングで何故か真後ろにいたりしそうなイメージがある。
しかし、一体何なんだ、山田狂恋は……。
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