第8話 新しい生活③

 風呂場の片づけが終わり、玄関へと戻ると、魔央はまだ入り口にあるトレーニング器具を調べたり触ったりしていた。

「トレーニング、好きなの?」

 何気なく尋ねると、彼女はきょとんとした顔をした。

「トレーニング、ですか?」

「あれ、知らずに見ていたの?」

「はい。何に使うのだろうと思いまして……」

 そっちか!

 魔央が最果村さいはてむらに長い間住んでいたことを忘れていた。あれだけの田舎となるとスポーツジムなんて近代的なものはないに違いない。トレーニングなんて言葉すらないかもしれない。きっと鍛錬という言葉なのだろうけれど、おそらく米俵を担ぐとか、タイヤを引きずるとかそういう世界だろう。学校の体育でも未だにうさぎ跳びとかやっているに違いない。

「これはベンチプレスって言って、この台の上に横になって、バーベルを持ち上げることで大胸筋とかを鍛える器具だね」

 試しに一、二回実践してみる。トレーニングマニアではないけれど、最低限の知識はあるからね。バーベルにダンベルをつけることなく、持ち上げてみる。

「へえ、そうなんですね……」

「やってみる? こっちの小型のバーベルだと10キロだから、何とかなると思うよ」

 興味津々という様子なので、代わってみた。魔央が台の上に横になり……

 ほう、ほほう。

 横になると胸の大きさが結構分かってしまう。程よい大きさって感じのイメージだね。

 もちろん、今はそういうところを見ている場合じゃないのだけれど。


「準備オーケー。持ち上げてみて」

「はい」

 魔央がバーベルを持つ手に力をこめる。ひょっとしたら、破壊神だから、意外とバーベルそのものを「どりゃ!」と粉砕してしまったりするのだろうか。

 ……なんてことはなく。

「ふぬぬぬぬぬ~!」

 10キロのバーベルでも持ち上げるのに四苦八苦している。非力というよりは慣れの問題もありそうだ。中々大胸筋だけで持ち上げることはないだろうからね。

「あ、そっちにずらすと危ない」

 と、サポートをしながら、彼女が持ち上げるのに付き合う。

 更に30秒ほど四苦八苦した末に。

「やあーっ!」

 と気合を入れた声とともに、魔央はバーベルを持ち上げた。

「おっ、上がった! やった!」

「やったー!」

 と叫んで、魔央はバーベルをラックに引っ掛けて喜んでいる。


 その時、ピローン♪という効果音のようなものが聞こえた。

『好感度50をクリアしましたので、世界を救える回数が一回増えました。次回世界を救う回数が増えるにはあと50の好感度が必要です』

 おお、世界を救える回数が一回増えた?

 ということは、二回までは大丈夫なわけね。

 でも、今ので増えていいわけ? ただベンチプレスを手伝っただけで好感度があがるというのは? 確かに共同作業みたいなところはあったけれども。

 もう一回増やすまでがあと50ということは、今みたいな感じで仲良くできれば割と簡単に増えるのかもしれないな。

 今日、一時間程度の会議中でも二回滅ぼしてしまったし、できれば余裕をもって五回くらいストックが欲しいなぁ。


 魔央は他のトレーニング器具にも興味を持ってはいたけれど、トレーニングはいつでもできる。まずは改めて部屋の状況を知ってもらいたいので一緒に中を回る。

「二人用の寝室もあるけれど、さすがにいきなりダブルベッドに二人というわけにもいかないし、当面、僕は床で寝ることにするよ」

 本当はベッドと布団くらい注文したいのだけれど、何せタワーマンションの最上階だから買って帰るわけにもいかない。アヌゾンなど通販を入れるわけにもいかないとなるとなぁ。

 武羅夫に買わせる手もあるけれど、あれでも政府の指示を受けて来ているらしいから、「お前、何で別々に寝るんだ」とか色々口出ししてきそうだし。

「い、いいんですか?」

 申し訳なさそうな顔で尋ねられる。

 もちろん、本当は良くはないけど、まさか「いきなりこんな目に遭わされて、君が床に寝ろよ」などと言うことはできない。

 幸い『和の極み』という名前の畳の部屋がある。畳の上ならそんなに変なことにはならないだろう。

 あ、いや、待てよ。

 先程風呂場から撤去した中にマットみたいなものもあったな。絶対に就寝目的のものではないけれど、マットである以上、そういう機能も果たしてくれるのではないだろうか。

 畳の上で寝るか、マットの上で寝るか。選択肢は二つ。

 当面はそれで何とかしのいで、隙を見て布団を買い込むことにしよう。

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