第5話 トラブル発生

 2番窓口では川島由奈が、お客と何かを言い合っていた。空気がそこだけ違う。由奈は入社5年目でキャリアも彩子の次に長く、しっかり者の性格。彼女が、抑えきれない客と言うと相当なものだ。隣の窓口では、同じテラーで入社2年目の安田陽菜が、助けを求めるような目をしている。

 水曜の午後で、店内はこれから込み始める。

 彩子は、店内で待っている客のナンバーを確認した。5名となっている。余り長引くようなら業務に支障が出る。課長席を見るといない。他の窓口や、渉外営業担当も、トラブルに巻き込まれたくないのか下を向いてパソコンを凝視したり、電話をかけたり、他人の面倒事からは逃げ切る姿勢を見せる。

 彩子はまずは落ち着いて、2列目の席に着くと、窓口の客と由奈のやり取りに聞き耳を立てた。

 客は現金で300万円を送金したいと言っているようだ。今は何処の銀行でも10万円を越える現金振り込みはATMでは出来ない。普通預金とキャッシュカードがあれば、窓口で1日500万円までの送金なら出来るはずだが、東中銀行に口座がないようだ。個人口座を開いて、送金するには取引時確認が必要になる。その為には本人確認書類が必要になる。


 後ろの席から、由奈越しに客の顔を伺うと、相撲取りのように大柄で太った男で黒いTシャツをピチピチに着ている。

マズイ客だな。

 広小路支店の営業圏内には、アメ横の小規模店舗や、上野の飲食店などの取引先も多い。最近は観光客も増えて、売り上げを伸ばして儲けている店も多く、人を見た目で好き嫌いは言ってられない。

 しばらくやり取りを聞いていると、「だから早く振り込めって言ってんの。何が問題なんだよ。店長出せよ店長」。

 ついに出た「店長出せ」ワード。これを言い出す客は、クレーマー確定だが、銀行には店長はいない、いるのは支店長。いても、こんなクレームぐらいでは副支店長すら出てこない。その証拠に奥の席に座っていたはずの、副支店長が消えている。課長も居ない。どうなってるんだこの銀行の危機管理。

 仕方がないので、彩子が立ち上がり、由奈に声をかけた。由奈は振り返ると安堵の顔を見せた。

「お客様、少々お待ちください」

そう言って、由奈から事情を手短に聞いた。現金の振り込みには、口座がいる、というところまでは了解してくれたが、本人確認資料として、この客はパスポートを持って来たと言う。

ちょっと変だ。

 というのも、この場合、運転免許証があれば口座は開ける。現住所と顔写真が入っているからだ。パスポートだけだと口座は開けない。他に現住所を確認する公的資料が必要になる。ちょっと前まではパスポートで口座が開けたので、お年寄りなどは今でも持って来る人がいる。でも、窓口の客は30代に見える。原付でも運転免許証を持っていてもおかしくはない。

「分かった、交代する」彩子が変わって窓口に座った。

 近くで見ると、男はたしかに粗暴な印象だ。ただ、若そうだ、20代かもしれない。

「お前の銀行は客に損をさせるのか! この金が今日中に振り込まれないと大変な事になるぞ。賠償してもらうからな」

 男は変わった彩子に対しても、これ見よがしに声を上げる。ただ、こういう粗暴な客は月に1人位は来るので、慣れたくないが彩子も経験値はある。

「お客様、これは当行のルールだけではなく、他の銀行も同様ですので、パスポートの他に、運転免許証ございませんでしょうか」

「だから現金送金出来ない、だから口座を作れと言っておいて、今度は書類が足りないってふざけんな、パスポート見たら本人だと分かるだろう」さらに男は剣幕となる。

 彩子は相手のペースに巻き込まれてはダメだと自分に言い聞かせ、深呼吸した。

「お客様、こちらの確認資料お持ちではないかもう一度確認してから、お越しいただけないでしょうか?」

 彩子はタブレットでHPにある確認資料一覧を見せ、冷たく男に言い放った。これでダメなら、もう課長か、部長に引き取ってもらうしかない。行内評価は一般職で部署異動の希望もない彩子にとっては関係ない。

 近くで見守っているテラー全員の緊張感を彩子も背中に感じた。

 男は険しい顔でタブレットを見た。少し男も緊張している。

 あぁ、終わった、これでキレると思った。

 が、男は突然バッグをカウンターにドンと置いた。

 何をするつもりだ。ちょっと反応が読めない。緊張で、少し頭が痛くなってきた。

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