第3話 はじめまして、クソ異世界



 光が戻ると同時に俺の目に飛び込んできたのは鬱蒼うっそうとした森だった。


 昼間だというのに薄暗い森。


 所狭しと密集し、我先にと天を目指す木々。


 大地の勢力争いに励む灌木かんぼくたち。


 耳障りな鳴き声の鳥がどこかへ飛んでいく。


 ……そうかよ。


 あの女神の笑顔の意味が分かった。


 アイツ、気に入らなかった俺を意図的にここへと飛ばしやがったな?


 大方、白い空間での俺の思考は筒抜けで、態度の悪かった俺へと意趣返しの意味が込められているんだろう。


 まあ、あの女神のことだから、他の奴らもバラバラに別の場所へ飛ばされているだろうが。


 ひとまず、他人の心配は後だ。


 小鳥遊君のことは気になるが、現状は自分の心配をするべき時。


 この世界には魔物がいる。


 女神の話では、ゴブリンのような弱い魔物もいれば、ドラゴンのように人間では到底倒すことのできない魔獣まで様々らしい。


 そしてここは森の中。


 いつ、どこから魔物の襲撃を受けるか分かったものじゃない。


 この森を出ることが先決。


 ただし、魔物には細心の注意を欠かさないことも忘れてはいけない。


 俺は自分の姿を見る。


 シワが目立つ紺のジャケットに同色のスラックス。


 青い縞のネクタイと、薄紫のワイシャツを身に付けていた。


 これは……生前の服装か。


 全く、嫌な事を思い出させる。


 靴は長らく磨かれず、汚れや曇りの目立つ黒の革靴。


 足元に視線を向けたことで、四ヶ月は伸ばしっぱなしにしている中途半端な長さの髪が目に掛かる。


 確か胸ポケットにゴムとヘアピンがあったはず……チッ、そこまでは無いか。


 思わず舌打ちが出る。


 顎に手を添えると、数日剃っていなかった無精髭のザラザラとした感触。


 せめて鞄さえあれば、カロリーバーとペットボトル飲料で飢えと喉の渇きを凌げたものを。


 悪態を吐いたその瞬間、脳に激痛が奔る。


 視界が歪み、足元が覚束なくなる。


 少しよろめくが、慣れた感覚だ。


「クソッ、あの女神。俺の体の傷だけ治して、状態は死ぬ直前のままにしやがったな?」


 徹夜続きの疲労の感覚。


 全身を倦怠感が襲い、今すぐにでもよこになりたいほどの眠気が瞼を引っ張る。


 だが、ここで眠るわけにはいかない。


 昼間、それも森の中で眠ってしまえば、魔物たちの格好の餌だ。


 ここが魔物の生息しない森という線も捨てきれないが、あの性悪女神のことだから可能性は限りなく低いだろう。


 どこかに洞窟か休めそうな場所はないか?


 折角手に入れた二度目の人生なんだ。


 こんなつまらないことで、チャンスを無駄にはしたくない。


 ……ああ、そうだ。


 これはチャンスなんだ。


 俺にはあの腹黒女神サマから押し付けられた『神の欠片』がある。


 この『神の欠片』がどういった『スキル』になるのか現段階では不明だが、仰々しい名前からして有用なものなんだろう。


 この『スキル』を上手いこと使って、今世は絶対に働かないんだ。


 好きなときに寝て、好きなもの食って、好きなことをやる。


 スローライフなんて良いんじゃないか?


 山奥に籠もって悠々自適なセカンドライフ。


 考えただけでも最高だ。


 手始めに、残業三日分の眠気を解消したい……。


「ゲギャ、ゲギャッ!」

「グギャッ!」


 ……ハァ。


 異世界転生から約数分。


 さっそく魔物のお出ましらしい。


 不快で酸っぱい、鼻をつく臭いが辺りに漂う。


 それと同時に灌木が揺れ、二つの影が飛び出して来た。


 低い身長。


 緑色の肌。


 歪で長い耳に、濁ったような黄色い瞳。


 怪物のように醜悪な顔は、現在気持ちの悪い笑みで彩られている。


 その姿はまさに、RPGでよく見るゴブリンだった。


 二匹のゴブリンが持つ武器は、粗く削った棍棒と、砕いて先端を鋭くしただけの石。


 だが、いかに粗末といえども立派な武器だ。


 人間なんて、頭を一発殴られるだけで脳震盪のうしんとうを起こし、首を数センチも切られれば出血で死に至る。


 だから、あれらは立派な凶器だ。


 ゴブリンたちは明確な殺意を持って、凶器を俺に向かって振り下ろす。


 いきなり戦闘かよ。


 こちとらコンディションは最悪だわ、眠いわで最低な気分だってのに!


 頭がヒリヒリして働かない。


 それでも必死に体を動かす。


 直感的に尖った石が危険と判断。


 まずは石持ちのゴブリンから仕留める。


 俺が繰り出したのは、何のひねりも無い右ストレート。


「ブギッ」


 その拳は石の破片を突き出そうとしていたゴブリンの顔面に、吸い込まれるようにして決まった。


 ゴブリンの骨が折れる感触。


 手の甲に付いた生暖かい血の滑り。


 誰かを殴ったのなんて、小学生の頃に喧嘩したとき以来じゃないか?


 俺の身長は平均と同じぐらいだが、ゴブリンが120cmほどと低身長であり体格差がある。


 そのため、非力な俺の拳でも面白いように飛んでいった。


 綺麗に入ったからしばらくの間は痛みで動けないだろう。


 あのゴブリンには後でトドメを刺すとして、もう一匹のゴブリンを先に片付けることにする。


 棍棒が振りかぶられると同時にゴブリンに接近。


 振り下ろされる棍棒に勢いが付く前に、その軌道上に手を伸ばす。


 少し痛かったが、ゴブリンから棍棒を奪うことに成功。


 引き寄せたタイミングで膝蹴りをかます。


 一匹目と同じように飛んでいくゴブリン。


 のたうち回るソイツを足蹴にし、動きが鈍ったところを棍棒で叩く。


 狙うのはもちろん、頭部だ。


 殴打、殴打、殴打。


 二回も殴れば叫び声はしなくなり、飛び散る血に比例してゴブリンの動きは鈍くなる。


 そして五回も殴る頃には、ゴブリンは事切れ、ピクリともしなくなった。


 同じように、もう一匹のゴブリンも殴り殺す。


 コツを掴んだのか、一発殴るだけで静かになった。


「はぁ……」


 胸に溜まった息を吐き出し、額に浮かぶ伝う汗を拭う。


 無意識に右手の甲で拭ったから、ゴブリンの血が顔に付く。


 濃い紫をした臭い血液だ。


 生物を殺した実感が無い。


 肉を殴る感触は不快だったが、命を奪ったことに対する忌避感は全くと言っていいほど湧き上がってこなかった。


 徹夜続きの疲労感で、脳が麻痺しているからだろうか?


 まあ、躊躇いが無いという点では良いことだろう。


 棍棒はたったの数回使っただけで折れてダメになったので、そこらの茂みに投げ捨てる。


 さて、これからどうするか。


 血の臭いに誘われて魔物がやって来る可能性が高い。


 取り敢えず移動する必要がある。


 スーツにはべったりとゴブリンの返り血が付いていて、臭いを消すために洗い流しておきたい。


 耳を澄ませてみるが葉擦れの音しか聞こえない。


 生憎とこの辺りに川は無いようだ。


 仕方がないか。


 ジャケットは動きを阻害するので邪魔だ。


 しかし、これから枝葉の密集する森の中を進むので、少しでも厚着をして怪我を防ぎたいところ。


 ああ、面倒だ!


 戦闘で生き残ったこと以外、何も上手くいかない。


 ヒリつく頭のせいで、多少のことでもイラつく。


 その怒りをぶつけるように、俺は近くの藪に絡まっている蔓を引き千切ると、長く伸びた髪を後ろ手に縛る。


 そして、終わりの見えない緑の海へと入っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る