第二話 幽霊と秘密 ②

「ねえ、あれって」

 梓山の校門が見えてきたところで、なにかに気づいたのか、朝露は首を傾げて忍の腕を突いた。

「朝っぱらから、騒々しいヤツですね」

 視線の向こうでは、御手洗の姿が窺えた。

 包帯をぐるぐるに巻いたギターを掻き鳴らしながら、大声で叫び散らしている。

「め〜だか〜のがっこ〜は〜っ! か〜わ〜の〜っ! なきゃ〜っ!」

 あろうことか、ちゃっかりと足元に置かれた投げ銭箱には千円札が二枚ほど覗いていた。おそらくは雰囲気作りのために自分の手で仕込んだものだろう。

「もうそろそろ授業の時間だし、止める?」

「関係者と思われるのも気が引けますからね。放っておきましょう」

 神秘や奇跡に見舞われようとも、たわむれのようにけむに巻いてきた放蕩児。

 御手洗は楽しんでいるのだ。忍がうとましいと感じてきたものすべてを。

 忍は御手洗を尻目に、心なしか歩調を早めに校舎に向かって歩いてゆく。

 玄関口に辿り着いたところで、少女の歌声を掻き消すかのような重たい鐘の音が響いた。


「昨日の昼休み、熊に襲われたって聞いたよ。大丈夫?」

 三限目の授業が終わったところで、隣席の女生徒が心配そうに声を掛けてきた。

「ああ、いや、大事には至りませんでしたから……」

「思っていたよりも元気そうで安心。というか、昨日も怪我していなかったっけ? ひょっとして、不幸体質?」

「むしろ、どうでしょう。熊の前では人間の体なんて葡萄のようなものですからね」

 骨のひとつやふたつを持っていかれようとも、熊に襲われたと考えれば安いものだろう。打ち身と擦り傷を除けば、忍に目立った怪我は見当たらなかった。

「へえ、怖いんだ。わたしだったら、ぺちゃんこに押し潰されて、果汁も果肉も撒き散らしていたかもしれないね?」

「ん、まあ……」

 月輪熊ならばまだしも羆に襲われたとなれば大袈裟おおげさな表現ではないのかもしれない。だが、昨日の状況が妙に馬鹿げていたせいか現実味が湧いてこない。

「ねえ、小倉くんって、小倉さんの使用人って聞いているけれど、無愛想ぶあいそうって言われない?」

「愛想を褒められたことはありませんが、お嬢さまもむかしは死体よりか無口でしたからね。他人のことをとやかくは言えないんでしょう」

「あははっ、なんなのそれ。小倉くんって、冗談も言うんだ」女生徒は肩を揺らして笑ったかと思えば、なにかに気づいたのか、忍の横に視線を移した。「あれ、花宮くん?」

真上まかみかあ。三組だったの。忍のことは気に掛けてやってくれよ。胡散臭いけれど、悪いやつじゃないからさあ」

 ふと、真上まかみ桐緒きりおという女生徒の名前を思い出した。「せいぜい、テメェが首を切られたときのためにこびでも売っておけや」と杏に手渡された京都社交界の関係者名簿にっていた老舗しにせ呉服ごふく屋の三女だ。

 桐緒は苦笑を浮かべながら、居住まいを恥じらうかのように足組みを解いた。

「忘れものでも借りに来たのか、是清……?」

「飲みものを買うついでに寄っただけだって。放課後は秘密基地に集まるらしいぜ。茶室はしばらく使えそうにないんでなあ」

「わざわざ、秘密基地に……? 埃が溜まっているだろうね……」

 梓山に入学後、御手洗は学生寮で暮らしている。秘密基地の手入れは行き届いていないだろう。

「いちおう、朝露の機嫌も取っておきなよ。おれの手には負えそうにないからさあ」

「機嫌……? 今朝は普段どおりだったがな」

「まあ、確かめてみなって。女心はなんとやらっていうじゃないの。ってなわけで、真上も邪魔したなあ」

「あ、もう行くんだ。また、寮の子で集まろうよ。花宮くんの仲良い子も誘ってさ」

 是清が教室を出ていったのを認めると、桐緒は気怠そうに姿勢を崩して頬杖を突いた。

 余談だが、是清の言ったとおり、朝露の機嫌はすこぶる悪いようだった。昼休み、背中を小突かれたので振り向いてみれば、朝露が弁当の包みを手に立っていた。「死体よりも無口って、だれの話」と忍の耳元でささやいた朝露の瞳は冷ややかだった。以降、忍が声を掛けても朝露は口を閉ざしたままで、食事は終始無言でり行われたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る