第二話 幽霊と秘密 ①
世界はデタラメだ。とくに昨今は。
それはふと思い出したかのようにその悪魔的な本性を表して、現実と呼ばれるものがいかに
たとえば、夏の夜の夢のように予定調和の
だがもしも、それが
昨日の疲労が
「あの、申しわけありません……」忍は
「起こそうか迷ったけれど、疲れているみたいだったから。それよりも、急がないと間に合わないんじゃない」
「ええ、まあ……」
「ケケケ、昨日は熊に食われかけたンだってなァ。テメェにツユちゃんの世話役は務まらねェや、とっととウチと代われ」
忍が席に着くと、同僚が
蕪崎
父親との喧嘩に端を発して家を出た杏が小倉家で下働きを始めたのは二年前のことだった。行く当てもないままに街をぶらぶらと歩いていたところを
「躾が足りていないようだが、野良犬とでも間違えて育てられたか……?」
「ダァレが野良犬だァ! ウチが口の
杏は忍とひとつ違いの年下に当たる。市街の中学校に通うかたわら、使用人の見習いとして仕事を手伝っている。
学生の身分である三人は登校時間の関係上、小倉家の食卓にて毎日のように顔を突き合わせていた。
「支度は済んでいるのか」杏が忍に飛びかかろうと席を立った瞬間、薫は冷ややかな口振りで制した。「遅刻するよ、杏」
「わわ、分かっているよォ」
家政婦長に歯向かうことの愚かさは野良犬でも理解できるようだ、そう思いながら、忍は寝惚け眼で朝食に手を付け始めた。
「昨日の事故だが、なにもなかったのか」
「見てのとおりのありさまですがね。アンタの部下が傷だらけで、なにもなかったってことはないでしょう」
忍は薫の言葉の意味を分かっていたが、惚けて返した。
あの時間、あの場所に現れたものは確かに
「あの子も交じっていたと聞いているが、環境省に目を付けられていることを忘れたわけでもあるまい」
「みたらしは平気。かおるは
「いやはやそれは」薫は血が
「あの……そろそろ、行きましょうか……」
「にいさんって食べるの早いけれど、ちゃんと味わっている?」
忍が食べ終えたことで
昨日、忍を襲ったのは月輪熊の皮を被った羆だった。神秘とも奇跡とも怪奇とも霊異とも呼ばれるあのような超自然現象は人間の手に及ばない理不尽さに
およそ十年前に起きた〝
つまるところ、自然界には道理の通らない領分が存在するということだ。
事件当時の定点観測映像は、京都府
調査にはあらゆる手が尽くされたが、進展は得られないままだ。事件以降、日本各地で奇怪な事件が相次いだことで、人々の記憶からも風化しつつあった。
環境省自然環境局特殊災害課―――伊根の神隠しで発生した黄金色の霧の調査を進めるなかで新設されたその防災機関には、当時の内閣が特設した災害対策本部の業務が移管された。活動実態の不透明さと年々
いつだったか、特殊災害課の職員を名乗るものが御手洗のもとを訪ねてきたことを忍は覚えている。なぜならばそのとき、御手洗が仮住まいに使っていたのは小倉家の所有する山の
しかし、御手洗は虫の居どころが悪かったのか、来客の言葉に聞く耳を持たなかった。それゆえに、忍が代わりに話し相手を務めたのだ。
いわく、因果関係は不明だが、超自然現象に巻き込まれる危険性の高い人間が―――少なくとも統計的な事実として―――存在している。
御手洗が過去、中規模以上の超自然現象に巻き込まれたのは、公的な記録だけでも十三回。驚くべきなのは、十三回もの生還を果たしてきた悪運の強さではないかと忍は思ったが、口には出さなかった。
環境省は御手洗に
とはいえ、御手洗の存在が超自然の発生と関係しているのかどうか、確かなことは分からない。いずれにしても、未然に防げるようなものではないということも分かっていた。
忍は話を聞くなかで、取り留めのないことを考えていた。
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