scene2

東郷はやけにリラックスしていた。気持ちは空を飛んでいた。なんたって反逆をするのだから。学校へ。授業は教科書通りに進めてテストを受けさせ単位を渡す。これが普通だが、そんなんじゃ生徒もつまらないだろうしもっと学ぶべきものがある。それを伝えていく。どうせ半年後には代わりが焦って進めてくれるから。東郷は企む笑みを浮かべていた。チャイムと同時に教室に入った。


「起立!礼!」


室長が立ち上がりハキハキと言った。そして生徒たちは礼をすると席へ座っていく。


「皆さん、こんにちは。今年の国語を担当する東郷と言います。えーっと、では授業を始めていきたいと思います。って言うと思ったか?」


生徒たちはキョトンとした目でこちらを見つめている。


「先生は、他の先生のような授業はやらない。教科書は使わない。捨ててもらって構わないがもしかしたら半年後に使うかもしれないから、捨てたい奴は捨てろ。皆さんには、これからたくさんのことを学んでもらおうと思ってる。感情や愛、社会にたくさんのことだ。じゃあまず、人間を形成しているものはなんだ?誰か手をあげて教えてくれ」


一人の生徒が手をあげた室長だ。


「じゃあそこの君、名前は?」


「五島蘭と言います」


「わかった。じゃあ、五島さん。人間を形成しているものは?」


「肉体ですかね?」


「正解だ。だがもう一つある。なんだと思う?」


「愛とか?」

「いい線だ。でも愛というのは権利だ。持っている人もいれば持っていない人もいる。全ての人間が持つものだ。さぁ、なんだと思う?」


「わかりません」


「わかった。じゃあ座って」


五島は座った。


「人間を形成しているもの。一つは肉体。もう一つは感情だ。感情というのは興味深い。基本的な感情は六種類ある。喜び、悲しみ、怒り、驚き、恐れ、嫌悪。そしてこれとまだ何十個かあるが、まずこの六種類だけ覚えておいてくれ」


東郷は教卓の上に座り授業を進める。


「では今から、今週の宿題を出す。他の先生は毎日出したりしてるみたいだが、先生はめんどくさいから嫌だ。それに今部活で映画を撮ってるからそっちをやらなきゃいけない。時間がないんだ」


東郷はポケットから文庫本を取り出す。そしてそれを生徒たちが見えるように表紙を表に見せた。


「これを読んでもらう」


東郷の手には「白鯨」があった。


「だが、これを一週間で読むのは難しいだろうから二週間で読んで来てくれ。そして月曜日に一人ずつ発表をしてもらう。じゃあ先生が自腹で全員分を買ってきたから、配るぞ〜」


「先生、これ表紙が破れてます」


一人の生徒が言った。


「先生!俺のはなんかコーヒーみたいのがこぼれた跡があります!」


次々と言う。


「あー、言い忘れてた。ほぼ中古なんだ。だから我慢してくれ」

「ほぼって事は新品もあるんですか?」


「あぁ、もちろんだ。一冊だけな。それを当てたら大当たりだな」


東郷はそう言いながら自分の手に持っている本を見た。


「あ、これがそうだ」


「えー先生」


生徒が一同に言った。


「悪い悪い。俺の方運が良かったみたいだ。じゃあ今からは読んでもらって構わない。解釈は人それぞれだ。別に隣の人と解釈を合わせる必要もないし、ましてや合わせない方が面白い。じゃあどうぞ読んでくれ」


東郷はホッとした。こんな事をすれば一人は反抗する生徒が出てくると思っていたからだ。それに担当するのはこのクラスだけ、出費が安くすみそうだ。不安が一つ晴れた。




東郷は家の前で立っていた。読書部の生徒も後ろで立っていた。ドアに鍵がかかっていた。


「すまない。みんな、こんな時に限って鍵を忘れてしまうなんて。カギだけに」


「先生」


子守が言った。


「なんだ?」


「殴りますよ?」

「いや、ほんとにすまないって思ってる」


すると鍵が開く音がした。続けてドアが開いた。


「パパ何やってるの?」


真央が出てきた。


「良かった。入れないかと思った。今から映画を撮るんだそれで‥」


「あれ?美羽じゃん」


真央は佐々木美羽の顔をみて言った。


「知り合いなのか?だって真央、お前大学生だろ?高校生となんの関わりが?」


「あれ言ってなかったっけ、彼女」


「え!真央ちゃんのお父さんって東郷先生だったの!」


「えーっと、まぁなんだ。娘をよろしくな、佐々木」


「で、映画とるの?パパ」


「あぁ、そうだ。別に玄関だけだがら気にしなくても大丈夫だ」


「あいよ。じゃあ美羽またね」

真央が手を振って自分の部屋へ戻った。佐々

木は笑顔で振り返す。東郷はこんなにも笑顔の佐々木を見たことがなかった。


「じゃあ先生、始めましょうか」


「まず玄関から出るシーンだな」


「はい、じゃあ子守君と吉川さんはカメラをやって。で、石道君は照明ね。松川さんは、先生のヘアメイクやってね」


「俺よりも監督じゃねぇか。それにヘアメイクいるのか?」


「いりますよ!それに先生には映像の確認もやってもらいます」


「わかった」


「じゃあ記念すべき始まりですよ」


佐々木がカメラの後ろに立ち肺に空気を入れる。そして肺の空気をすべて出す勢いで言った。


「ライツ!カメラ!3・2・1・アクション!」




「じゃあ二週間経ったわけだが、みんな読んできたか?読んできてない人は今すぐ言えよ」


誰も何も言わない。東郷はそれを確認すると言った。


「じゃあ白鯨を読んで思った事を一言ずつ言ってくれ。一番右端の前から」


生徒が立つ。


「あー立たなくても大丈夫だ」


生徒は座った。


「えっと僕が思ったのは、海の過酷さです」


「ありがとう。だがこれからの人は一言だけ言ってくれ」


東郷が言った。それを聞き後ろの生徒が言う。


「怒り」


「遭難」


「仲間の死」


「老人の恨み」


「恨み」


「復讐」


生徒たちが順番に言っていく。最後の生徒が言い終わり一通り終わった。


「みんな、ありがとう。一言ずつ言ってもらったわけだが、先生が伝えたい事を言ってくれた生徒もたくさんいた。この小説は一言で言えば、復讐だ。エイハブが片足を奪われ、その復讐に白鯨を殺しにいくんだ。だがその復讐心が最終的には自分の身を滅ぼした。仲間は死んでいき、自分は生き残ったが白鯨は殺せなかった。結果仲間や船を失ったというわけだ。復讐なんてもんに人生を賭けてしまった。その結果がこれだ。先生が言いたいのは、人生を復讐で使い切るな。俺たちは明日死ぬかもしれない。それなのに復讐のために毎日毎日を使い続けるのか?やめとけ。時間の無駄だ。復讐は基本的な感情では怒りだけだと思われがちだが、それは違う。復讐の中には怒りと恐れがある。そう、恐れがあるんだ。だが恐れは怒りで隠される。消えるわけじゃない。隠れるんだ。だがらどこかに恐れがある。恐れが抑止力になるわけだ。だが復讐とはその抑止力が効かない。我を失うからだ。だからみんなは、復讐心を抱えた時は、必ず「恐れ」を思い出せ、抑止しろ。復讐で人を殺すな、報われたやつなどいない。そうでなければ、エイハブになってしまう。先生からは以上だ。今日はこれで授業は終わりだ」


そう言うと、東郷は教室から出て行った。




「東郷さん。あなたは肺がんです。余命はもって半年です」


「肺がんですか」


「はい。そうです。残念です。」


「わ、わかりました」

東郷は下を向くしかなかった。


「では受付でお待ちください」


東郷は部屋から出て行った。


「カット!」


佐々木がそう言うと、東郷が戻ってきた。


「神崎先生うまいじゃないですか」


東郷が興奮気味に言った。


「いや、それほど。昔、大学の頃劇団にいたんですよ。それで、なんで私を医者役したんですか?」


「神崎先生が保健の先生だからですよ」


「まぁ配役的にそうですよね」


「東郷先生、確認してください」


佐々木が言った。東郷はカメラの画面を見つめる。


「大丈夫だ」


「次行くよー」


佐々木が言った。それを聞き子守達は荷物をまとめ次の撮影現場へ向かう。


「あの、東郷先生」


神崎が恐る恐る言った。


「なんですか?」


「なんで、肺がんなんですか?」


「えっと、「グッバイリチャード」って言う映画を見たことがあって、それで主人公が肺がんだったんですよ。それで」


「そうだったんですか。てっきり本当に肺がんになったかと思いましたよ」


東郷は笑ってみせた。




「先生って授業の時と映画撮ってる時って雰囲気とか喋り方とか違いますよね」


佐々木が言った。


「そうだな。人間はいくつかの顔を持つものだ。決して一つじゃない。裏表無いような奴でも裏を持っている。ただ俺は授業の時は生徒と向き合ってるんだ。映画を撮ってる時は仲間と向き合ってるんだ。ただそれだけの違いだ」


「そうですか。なんで教科書を使わずにあん

な風な進み方をするんですか?」


「教科書に載っている物がすべて正しい訳ではないし、大切なことがすべて載っているわけでも無い。だがらその大切な部分をちゃんと教えたいと思っている。人間の全ての行動は感情から来てるんだ。突発的な行動や、瞬間的な行動でもそれよりも短い間に感情という物が働き体を動かす。だから感情って言う大切なものをしっかり教えたいと思ってるんだ」


「映画を撮るの私初めてなんですよ」


「先生もだ。だからこそこの映画でも伝えたいことを伝える。この半年以内に。でも感動できるかわからないな」


「感動が全てじゃないですよ」


「でも感動ってもんは付き物だ。でも最近の映画はすぐに誰かが死ぬ。違う感動のさせ方はなく誰かを死なせて感動させる。それが一つの課題だな。今の時代は誰かが死ななきゃ感動できないからな。でもこの映画も終着点としては俺が死んで終わりだ。同じだな」


「そうですね。日本の映画は病とかで死ぬこと多いですからね。そうか、、そうですよね。誰かが死ななきゃ感動できないから」


「先生!」


松川が息を切らしながら走ってきた。


「どうした?松川」


「子守君と石道君が殴り合いの喧嘩を」


「おいおい、どこだ?」


松川が走る後ろをついてくと視界に殴り合っている二人が見えた。東郷が石道を引き離す。


「お前ら何やってんだ」


「だってこいつが!」


子守が言った。


「仲間を殴ってどうすんだって言ってんだ。映画を撮る仲間なんだぞ!」


沈黙が走った。


「カット!」


佐々木が言った。


「先生、どうでした?」


「うーん、微妙かなもう一回やろうか」


「そうですね。照明とか無いんで光の具合は編集でなんとかしときます。あ、あと先生、最初の言葉良かったですね。あれ」


「そうか?じゃあもう一回やろうか」


東郷が言った。



「じゃあ今日の授業だが前回まではたくさんの小説を呼んできてもらったが今回は映画だ。見てもらう作品は〈ダークナイト〉だ。バットマンがでてくるやつだ」

そういうと東郷はバックからダークナイトのDVDを取り出した。備え付けのDVD playerにセットした。君たちにはこの映画を見てどう思ったか、どう感じたかを発表してもらう。今回は見方だ。じゃあ再生しようと思う。ノートやメモは取らなくても大丈夫だ。素直に楽しんでくれ。先生も楽しむ」


企業ロゴが流れ本編が始まった。四十八分後チャイムが鳴った。


「残りは次の時間に見るからな」


そう言うと東郷は教室から出て行った。外からは蝉の声が聞こえ夏を感じさせる。木漏れ日が廊下を照らすが蒸し暑いというのに変わりはなかった。風は全く吹かず、生徒達は額に汗が滲み、東郷もまた暑さにやられていた。新学期が始まって三ヶ月が経過した。夏休みは目前だった。映画の撮影を夏休みで一気にやらなければならない。それにそろそろ呼ばれるだろうか。東郷はそんな考えが頭によぎった。咳が出る。苦しかった。だが極力周りには見せないようにした。


「東郷先生、大丈夫ですか?」


東郷に話しかけてきたのは神崎だった。


「あぁ大丈夫だ」


続けて咳をする。神崎は東郷の背中をさすりながら、廊下に置かれた椅子にゆっくりと座らせた。


「あいつが来たみたいだ」


「あいつって誰ですか?」


神崎は周りを見渡す。


「肺がんだ。末期だ。余命は半年」


「あれって本当だったんですか?東郷先生」


「まだ、少数人にしか言ってない。家族にも言ってない」


「そんな‥」


「俺を憐れむな。神崎先生。病気になると不思議なものだ。性格から変わったような気がする。無意識的に死期を感じているのか。どうなのか」


神崎が東郷をゆっくりと椅子に座らせる。


「治療は?」


「受ける気はあんまり無いな。うん、無いな」


「なんでですか?」


「そこまでして生きようとは思わないんだよ。苦しみながら毎日鏡の前で薬で禿げた自分を見るなんて惨めすぎるだろ。まぁ人生自体惨めだったがな」


「そうですか」


「がんになっても、最期にやりたいことがあるんだ」


「なんです?」


「知ってるだろ。映画だよ、映画。俺は生きていた。カメラに映っていた。こんな奴だった。惨めな奴だった。それを映画に残す。ましてや自暴自棄なのかもな。授業も自己流で進める始末だ」


「でも、先生の授業評判が良いですよ」


「生徒に評判が良いのは嬉しいな。伝えたいことが伝わってるんだろう。だから面白い、楽しいと思ってもらえる。つまらない授業の大半はその教科がつまらないんじゃない。その授業で伝えたい本質を伝えられてないからつまらないんだ。それなら俺の授業は良かったのかもな。でも校長とかは黙ってない」


「そうですね」


「じゃあ、この後撮影があるから。神崎先生、ありがとう」


「いえいえ」


東郷はふらつきながら歩いて行った。





「先生!私たちと映画を撮りませんか!」


「カット」


「えーだめでした?」


「棒読みだった」


撮影は順調には進まなかった。素人の集団の限界を感じる場面が何個かあった。


「東郷先生、校長先生が呼んでいます」


遠くから神崎が叫んでいる。


「ちょっと行ってくる」


東郷は腹を括り校長室の前に立つ。扉を開けるが誰もいなかった。

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