07

「まあ、懐かしいわ」

室内を見渡すと思わず声が出た。

小物などは片付けられ、人が暮らしている気配はないが、きちんと手入れをしているのだろう。

清潔感があり、空気も綺麗だ。


私たちの拠点は王都の外にある屋敷だが、建国祭中は王宮に滞在する。

本来なら賓客は王宮の表舞台『太陽の宮殿』にある客間に泊まるのだが、フィンは王族が生活する『月の宮殿』の、王太子時代に使っていた元自室に泊まることになった。

これはフィンが女王と良好な関係であることを知らしめるため、また反女王派の勢力と接触する可能性を減らすためでもある。

そうしてせっかく月の宮殿にいるのだからと、夜会後、私が使っていた巫女の部屋に来たのだ。


巫女の部屋は普通の寝室だが、隣に女神の言葉を聞くための祈祷室が併設されている。

祈祷室は小さいけれど月が差し込むよう大きな窓が嵌められていて開放感がある。

中にはソファとサイドテーブルがひとつずつあるだけ。

巫女が中にいる間は決して誰も入れないことになっていて、女神の声を聞く姿は誰も見ることはできない。

(まあ、他の人が想像するようなお祈りじゃなくて、親子でソファに座っておしゃべりしているだけだから)

女神が気軽にその姿を現すことを、誰も知らないのだ。


「……ねえ、サラ」

一通り見たところでエレンが口を開いた。

「この部屋にいて、何か感じない?」

「何かって?」

「女神の気配とか魔力とか……」

「感じるわけないだろう」

フィンが私の肩を抱いた。

「サラは巫女でも何でもないのだから」

「でも元巫女でしょう」

「元だ。今は違う」

「そんなの分からないじゃない」


「エレン……何か女神に聞きたいことがあるの?」

そう尋ねると、エレンは視線を落とした。

「それは沢山あるわ。……一番聞きたいのは、私が王でいいのかどうかね」

「そんなの、いいに決まっているじゃない」

「分からないでしょう。……私が王になる前も今も、女神の声を聞く巫女がいないのだから」

不安そうなエレンは、昔の子供のころを思い出させた。

――確かに、エレンが女王となって一度も女神の言葉を受けていないのだ。

それはまだ若い女王にとって心細いことなのだろう。


「……じゃあ、試しに祈祷室に入ってみるわ」

「サラ」

眉をひそめたフィンに安心させるように微笑むと、もう一度エレンを見た。

それで少しでも不安が取り除けるのなら。

「期待はしないでね」

「……ええ」


一人、祈祷室に入ると扉を閉め鍵を掛けた。

本来ならば巫女の魔力によって、この部屋の外には音も魔力も漏れないように出来るのだけれど……今の私には無理だ。

「……お母様」

呟くと、窓から差し込む月の光がふいに強くなった。


「サラちゃん」

月の光が女神の姿へと変化した。

「お母様……今の声が聞こえたのですか」

「いいえ。でも見ていたわ」

ふふっと女神は微笑んだ。

「あなたが建国祭に行くっていうから、王宮で待っていたのよ。今日のサラちゃんのドレス素敵ね、私も今度ああいうの着てみようかしら」

そう言いながら女神は室内を見回した。

「それにしても、随分と殺風景になったのね」

私がいた時は花や観葉植物を飾っていたけれど、今はただ家具があるばかりだ。


「お母様。エレンが、自分が王でいいのか不安がっているのですが……」

「エレンちゃんは立派な王様よ。若いのにしっかりしているし、心根もいいもの」

「……それを彼女に伝える方法があればいいのですが」

今の私は巫女ではないから、女神の言葉として伝えることができない。


「そうねえ。じゃあ、これを渡してくれる?」

女神は私の手をとると、その手のひらにひんやりとした何かを乗せた。

「……ムーンストーン?」

それは乳白色の丸い石だった。

「これをエレンちゃんにお守りだから身につけてって伝えて」

「……どうやって?」

私は女神の言葉が聞こえないはずなのに?

「その辺りは適当に誤魔化して」

「誤魔化すって……」


「本来、神は遠い存在であるべきもの。巫女が生まれるのも滅多にないこと。でも巫女は二百年以上生きてしまうから、人間は神の言葉を受け取ることが当たり前になってしまうのよね」

女神は少しでも困ったように首を傾げた。

「少し考えないとならないのかしら」

「考える?」

「巫女を産むのはやめた方がいいのかしらって」

「……それは」

「でも距離が離れ過ぎると、今度は神の存在を疑ったりぞんざいに扱って、その怒りを買って滅んでしまった国もあるのよね」

「そんなことがあるのですか」

「難しいわね、人間との距離感は」

そう言うと女神は笑顔を見せた。

「それじゃあ、ちゃんとエレンちゃんに渡してね」

光に包まれると女神の姿はかき消えた。


「距離感か……」

転生した世界では、神々は過去の存在だった。

信仰や逸話は残っているけれどその姿を見た者はなく、神の言葉や意志を残すために人間が作った宗教は、救いであると共に様々な問題を生み出してもいる。

(確かに難しいわね)

ムーンストーンを握りしめて、私は祈祷室を出た。


「サラ!」

エレンが飛びついてきた。

「今、その部屋から強い魔力が……!」

「え?」

(あ……そうか、結界を張れなかったから)

女神の魔力が外に漏れてしまったのだろうか。

(でも結界ならお母様の方が強く張れるはずだし……?)

忘れたのか、それともわざとだろうか。


「何か起きたの?」

「あ……ええ、月の光が強く差し込んできて」

「月の光?」

「これになったの」

私は手のひらを広げるとエレンの前に差し出した。

「……石?」

「月の光が結晶になった石で、女神からの贈り物よ」

手のひらの石をエレンに握らせた。

「お守りとして身につけておくといいわ」


「月の光が石に……?」

「ええ、本物のムーンストーンよ」

「……さっきと同じ魔力を感じるわ。サラの魔力に似てる……」

「これが女神の魔力なの」

似たような乳白色の宝石もムーンストーンと呼んでいるが、本物のムーンストーンは女神の魔力を結晶化したものだ。


「温かくて……優しい魔力ね」

エレンは石をぎゅっと握りしめた。

「サラ。何か声は聞かなかったのか」

フィンが尋ねた。

「――いいえ。声は聞こえないけれど、それ以外はいつもと変わらないわ。月の光は女神の言葉で、意志なの」

そう答えると、私はサラの手を握った。

「たとえ巫女が声を聞かなくても、月の光がある限り女神はいつもこの国を、エレンを見守っているわ。だから大丈夫よ」

「……ありがとう」

その瞳を少し潤ませながらエレンは微笑んだ。

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