06
「またこうしてサラ様のお世話ができるなんて……」
鏡台の前に座った私の髪を梳きながらハンナが感慨深げに言った。
「以前の銀髪も美しかったですが、黒髪もお似合いですわ」
「ありがとう。……あなたもフィンについてここにきたの?」
「はい。サラ様のおられない王宮など、いても辛いだけですから」
ハンナは私の世話をしてくれた侍女だった。
彼女が王宮勤めを始めた時からだから、四十年くらいだろうか。今生きている中で一番長く一緒にいた人間だ。
そのハンナと再会できたことは、とても嬉しいし安心する。
「それにしても、生まれ変わりだなんて……。サラ様はまだ巫女様なのでしょうか?」
「どうかしら……でも多分違うと思うわ。魔力がないもの」
この世界の一部の人間は魔力を持っている。貴族に多く、特に王族やそれに近い者に強大な魔力を持つ者が多い。
そして特に大きな魔力を持つのが巫女なのだ。
「巫女様ではないとよろしいですね。旦那様と結婚できますから」
「……そう、ね」
「屋敷の者も、領民も皆心配なさっておいでなんです、旦那様が独身であることに」
ハンナはため息をついた。
「私やアーネストは旦那様がサラ様をお慕いしていることを知っておりますが。でも流石に、一生お独りというのも……と思っておりましたから」
「……そうよね」
王太子でなくとも、公爵として跡継ぎを残すために婚姻は必要だろう。
「昔、サラ様と旦那様……いえ殿下が一緒にいる姿を見ていて、このままお二人が結ばれてくれればと思っていたんですよ」
ハンナは涙ぐんだ。
「サラ様も、殿下がお訪ねになられた時はとても嬉しそうでしたから」
「……ええ。そうだったわね」
フィンから向けられる態度に自分への恋慕を感じた時。正直、嬉しくは思った。
過去、何人かの相手からそういった好意を向けられたこともある。
けれどその中でもフィンは――彼には、自分の心を動かされるような気持ちが少しあった。
あれが恋だったのか、よく分からない。
けれど私は巫女で。フィンは王太子で――しかも私たちには年齢差がありすぎたし。
それに、あの頃の私はもう自分の寿命を感じていたから。
彼の気持ちに応えることは決してないと、そう思っていた。
(そのフィンと……結婚?)
保留にしたとはいえ、婚約したということはこのまま何もなければフィンと結婚することになる。
改めてそのことを考えて顔が熱くなった。
「陛下もお喜びになりますわね」
「――そういえばエレンは結婚しているの?」
ハンナの言葉に思い出した。あの子も今はもう二十六歳になっているはずだ。
「はい、アスカム侯爵家のブレイク様と五年前に」
「ブレイク……まあ、あの幼い頃いつも喧嘩をしていた?」
「はい、未だに喧嘩をすることもありますが、仲良くやっているそうです」
そう言うと、ハンナは目尻を抑えた。
「……こうやってサラ様にお伝えできるなんて」
「ハンナ……」
「他にもお話ししたいことがたくさんあるのですよ」
ハンナは外に出られない私のために、色々な出来事や噂といったものを話してくれた。
その中には下世話なものも混ざっていたけれど、わたしにとっては楽しみの時間だったのだ。
「それじゃあ教えてくれる? 私がいなかった間のことを」
「ええ、もちろんでございます」
鏡越しに視線を合わせて、ハンナと笑みを交わしあった。
夜も更けてベランダに出ると夜空を見上げた。
今夜も良く晴れて、二つの月が煌々と輝いている。
「丸一日か……」
この世界に帰ってきてから。
――長い一日だった。
昼食を取った後は、執務があるというフィンの代わりにアーネストから、私が死んだあとの国の状況について教えてもらった。
戦後しばらくは混乱していたが、王家を中心に国民が一丸となって復興に努め三年で立て直し、今は戦前以上に発展しているという。
けれどその心労で陛下が倒れ、そのまま亡くなってしまったのだ。
その後は当然王太子であるフィンが王位を継ぐと思われたが、彼はそれを固辞し、妹のガブリエラ・エレンが女王となった。
「王太子殿下は『王都は復興したが、地方はまだまだだ』と、王ではなく一番被害の大きかったこのハンゲイト領主になると宣言しました」
アーネストはそう言った。
「表向きは、王都の貴族たちは殿下のご判断を褒め称えていましたけれど、本音は『死神』が王都からいなくなることに安堵していたようです」
言葉を続けるとアーネストはため息をついた。
「――確かにあの頃の旦那様は、戦争が終わってからも戦場に立っていた時の空気を纏ったままでした。ですがそれは、サラ様を失った悲しみを表に出さないようにしていたためでした」
「……そう」
「この地へ来てからは、復興の忙しさもありまた王都から離れたお陰か、徐々に穏やかになりました。領民たちにも慕われ、あとは結婚とお世継ぎの問題だけだと思っていたところに、サラ様が戻られたのです」
アーネストはサラへ向かって深く頭を下げた。
「これはきっと女神の御慈悲だと思っております。どうか旦那様のお側にいてください」
「女神の御慈悲か……」
月を見上げながらアーネストの言葉を思い出す。
「そういうの、考えるひとかなあ。……個々のことにまで気が回らないような気がするけれど」
風が冷たく感じてきたので、部屋に入り、扉を閉めようとした瞬間。
月の光がまるで光の矢のように部屋に差し込んできて、あまりの明るさに思わず目を閉ざした。
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