05

「公爵様!」

大きなお屋敷に到着し、私を抱き抱えたままフィンが馬車から降りると一人の青年が駆け寄ってきた。

「朝からどちらに……って、その方は?」

「――サラ様?!」

別の声が聞こえて、そちらを見ると四十代くらいの、見覚えのある顔があった。


「……アーネスト?」

「ああ、サラ様……! どうして。その髪色……いえ、そもそも」

「落ち着けアーネスト、らしくない」

苦笑しながらそう言うとフィンは私に向いた。

「アーネストは今、この屋敷の執事を務めてもらっている」

「――お懐かしゅうございます」

昔と変わらない美しい姿勢でアーネストは頭を下げた。


彼は侍従の家に生まれ、王太子であるフィンが生まれた時から従者を務めていた。

私と会うことの出来た数少ない人間の一人だ。


「これは従者のラルフ・ハンバート。先代の領主の甥にあたる」

青年を示してそう言うと、フィンはラルフを見た。

「ラルフ、彼女はサラ。わたしの婚約者だ」

「婚約者?!」

「……いつ婚約なさったので?」

「ついさっき馬車の中でだ」

「――旦那様。詳しくお聞かせ願えませんか」

目を丸くしたラルフの隣で、アーネストが顔を引き攣らせた。


「その前にサラの着替えが先だ」

フィンは屋敷の中に入った。

「ハンナはいるか」

「はい、ここに……」

奥から現れた年配の女性が私を見て息を飲んだ。


「ハンナ……」

「……まあ……サラ様……!」

その名を呼ぶと、あっという間にその顔を紅潮させて駆け寄ってきた。

「まあ、まあ! どうしてサラ様……?!」

「事情は後だ」

ようやくフィンは私を床に下ろした。

「まあ、サラ様自らお立ちに?!」

「ハンナ、サラの着替えはあるか」

「……着替えですか」

「こんな薄い服ではなく、ちゃんとしたドレスだ」

「……伯爵様時代のものは何着か残っていますが。サラ様に合うかは……」

「構わない。とりあえずだ」

「ではご用意いたします。その前に湯浴みをいたしましょうか」

「……お願い」

良かった。

教会には化粧落としなどなかったから、昨夜は顔を洗えなかったのだ。



  *****


「旦那様」

サラがハンナに伴われて奥へ行くのを見送ると、アーネストが口を開いた。

「ご説明していただけますね」

「アーネスト、ラルフ。執務室へ」

フィンは二人を促した。


「ラルフ、これから話すことは極秘事項だ」

執務室へ入り、腰を下ろすとフィンは口を開いた。

「……はい」

「サラは、かつて『女神の巫女』として王家に仕えていた者だ」


「は? 巫女って……あの戦争直後に亡くなった?!」

ラルフは声を上げた。

「ああ」

「死んだ人がどうして……」

「彼女曰く、別の世界に生まれ変わり、そこで暮らしていたんだ」

「別の世界……?」

「昨日、突然光に包まれてこの世界に戻ってきたそうだ」


「はあ……不思議な話ですね」

「――そういえば、サラ様が亡くなられた時も光に包まれたと聞きました」

アーネストが口を開いた。

「……ああ」

「女神のお力でしょうか」

「かもしれないな」


「女神……そうか、どこかで見たと思ったら」

ラルフがぽんと手を叩いた。

「領地内の教会にある女神像に似ているんですね」

「あれはサラの肖像画を元に作らせたからな」

フィンは答えた。

元々巫女は限られた者としか会うことはなく、その姿を知る者はほとんどいなかった。だがどうしてもその姿を手元に残したくて、サラの死後、肖像画を描かせたのだ。


「え、いくら巫女とはいえその顔を女神像にするのは……」

「彼女は私の女神だからな」

「……それって公私混同なのでは」

「旦那様は一途ですから」

ふ、とアーネストは笑みを浮かべた。

「生まれた時からサラ様一筋でしたし、初めて話した言葉も『サラ』でしたね」

「一途というか重いんですけど?!」

「旦那様はとても重い方ですよ。――それにしても、本当に良かったです」

「何がだ」

「このまま旦那様が一生独り身なのかと、それが一番の心配事でしたから」


フィンが生まれた時から側で仕えていたアーネストは、彼のサラへの気持ちを嫌というほど知っていた。

幼い彼が立派な王となるため努力したのも、将軍として戦場へ出たのも、そして王位継承権を捨てて辺境の地の領主となったのも。

全てサラのためなのだ。


「サラ様が生まれ変わり、旦那様の元に戻られたのはきっと女神の御慈悲でしょうね」

「……だといいが」

アーネストの言葉に、フィンは小さく笑みを浮かべてそう答えた。


「それで、婚約されたということですが。王宮への報告はいつなさいますか」

「いや、報告は不要だ」

フィンはかぶりを振った。

「ですが……公爵の結婚には陛下の許可が必要なのでは」

「サラは貴族ではないのだからエレンの許可など必要ない」

貴族間の婚姻は、政治的な権力バランスなどの問題もあり、王家に報告し許可を得る必要がある。

だが、この世界での後ろ盾のないサラならばそんな必要はないのだ。


「サラが元巫女であることは決して誰にも知られないように。いいな」

「はい」

フィンの言葉に二人は深く頭を下げた。




二人を下がらせると、フィンは机の引き出しを開け、小さな箱を取り出した。

蓋を取ると中にはペンダントが入っていた。

銀の台座にサラの瞳と同じ色の、濃い紫水晶が嵌め込まれたそれは、お守りとして戦場で常に身につけていたものだ。


夢かと思った。


今朝教会から、サラという名の自分を知る女性を保護しているという報告を受け、彼女を思い過ぎるあまり都合の良い夢を見ているのかと。

けれど迎えに行った教会に確かに彼女はいた。

髪色こそ違ったけれど、その眼差しも、自分の名を呼ぶその声も、何も変わらなかった。


サラが死んで十三年。

彼女の記憶も、彼女を想う気持ちも褪せることなくむしろ増すばかりだった。

唯一の女性だった。


戦後、将軍の任を解かれたフィンを待っていたのは婚約者選びだった。

それらを一蹴するため、戦場と同じ『死神』の空気を纏い続け、人を寄せ付けなかった。

サラ以外は考えられなかった。


辺境の地へ移り十年。

領地再生に向けて奔走し続け、ようやく荒れた土地も復活し領民の暮らしも落ち着いた。

敵国であった隣国への処理も終えて平穏な日常を迎えたが、サラが死んだ時以来欠けたままだった心の奥の暗い影は、少しずつ大きくなっていった。

そんな時に、生まれ変わったサラが再び自分の前に現れたのだ。


「――今度は絶対に失わない」

フィンはペンダントを強く握りしめた。

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