03

「サラ、一体これは……ああ、ともかく屋敷へ行こう」

そう言うとフィンはいきなり私を抱き上げた。


「え? ちょっとフィン……!」

「何だ」

不思議そうにこちらを見たフィンに、思い出した。

「……私、今は自分で歩けるの。大丈夫だから」

以前の私は、外見は若いままだったけれども足の機能が弱っていき、最後の五年ほどはほとんど歩くことができなかった。

だからよくフィンがこうやって私を抱えて、星を見に連れていってくれたりしていたのだ。


「――そうか。だが別にいいだろう」

一瞬不満げな顔を見せたがすぐにフィンはそう返した。

「でも」

子供たちの目の前でお姫様抱っこというのは恥ずかしい。

「十三年。ずっとこうしてまた君に触れたいと思っていたんだ」

耳元でそう言われてしまうと、それ以上言い返せなかった。


「分かった! お姉ちゃん、公爵様のお嫁さんでしょう!」

女の子の一人が声を上げた。

「え?」

「――ああ」

目を丸くしていると、耳元でフィンがふっと笑った。

「そうだ、彼女は私の花嫁だ」

きゃあ、と子供たちが歓声を上げた。

「え、あの」

(花嫁?!)

「それじゃあ、行こうかサラ」

フィンが私の頬に口づけると更に歓声が上がった。


「神父、サラが世話になった。礼は後でする」

「いいえ、礼など不要です。公爵様には常から多大な支援を受けておりますから」

そう答えて、神父は頭を下げた。

「無事の再会、お喜び申し上げます」

「ああ」

「お姉ちゃん! また来てね!」

「お姉ちゃんじゃなくって奥様って言うんだよ」

「おくさま!」

「公爵様、奥様、ばいばーい」

子供たちの声を背に、私を抱えたままフィンは教会の外へ出ると、待たせてあった馬車へと乗り込んだ。




「さて、何から聞こうか」

馬車が走り出すとフィンは口を開いた。


「……その前に、普通に座らせて?」

なぜか今、私はフィンの膝の上に乗せられている。

私を抱えたまま馬車に乗ったフィンは、下ろすことなくそのまま座ってしまったのだ。


「何故」

「何故って……落ち着かないし、それに重いでしょう」

「重い? 前より軽くなったくらいだ」

フィンは私を見回すと、その眉をひそめた。

「こんなペラペラな、下着のような薄い格好のせいか?」

「……これは」

私は今、春夏用のワンピースを着ている。

シフォン素材のそれはシンプルなデザインで、何枚も重ねて着る貴族から見ると下着のように見えるだろう。

「私がいた世界ではこれが普通だもの」

「君がいた世界?」

「――私、死んだあと別の世界の住人に生まれ変わったの」

フィンから視線を逸らせてそう言った。


「生まれ変わった……」

「こことは全然異なる文化や価値観の世界で。二十三年生きていたの」

「二十三年?」

「ええ。昨日、仕事中に突然光に包まれて……それで気がついたらあの教会の近くの丘にいたの」

「仕事? 働いていたのか」

「モデルの仕事をしているの」


「モデル? 絵を描かせているのか」

「あ、ええと……そういうのではないの」

そうだ、この世界には写真すら存在しないんだ。

訝しげなフィンに、向こうでの自分のことを説明した。


私、広田サラは父親が日本人、母親がイギリス人のハーフで、その日本人離れした容貌や体形から、子供の頃からいくつもの芸能事務所に勧誘されていた。

最初は断っていたのだが、高校二年の時に両親が交通事故で死んでしまった。

二人は駆け落ち同然に結婚したとかで親戚との交流はなかった。

交通遺児のための奨学金は貰えたけれど、自分でも生活費を稼がなければと、今の事務所の社長に後見人となってもらい、モデルとなったのだ。

大学にも通いながらモデルの仕事をしていたが、この春卒業してからはより本格的に活動をし、昨日は有名ブランドの春夏コレクションの撮影だったのだ。



「そうか」

私の長い黒髪を指に絡めながら話を聞いていたフィンは、私が話し終えると口を開いた。

「では君は今、二十三歳なのか」

「ええ。……私が死んだのは十三年前だと聞いたわ」

「ああ」

「十年の差があるのね……二つの世界で流れる時間が違うのかしら」

「そんなことがあるのか」

二十八歳になったであろうフィンはすっかり大人の顔になった。

昔よりもさらに男らしく精悍になったフィンに見つめられていると何だか落ち着かなくなってくる。

「……そうだ、あなたは今、公爵だって聞いたの」

気持ちを切り替えるように尋ねた。

「ああ、エレンが女王だ」

「エレンが?」

「十年前に父上が死んで、彼女が即位した」

「陛下が……お亡くなりになったの?」

十年前ということは、まだ四十代だったろう。最後に会った時も健康そうだったのに。

そしてエレン……フィンの二つ下の妹。彼女が王位を継いだというのか。


「……どうして、王太子のあなたが王にならなかったの?」

「戦争で何人も殺してきた『死神』が、この平和な時代に王になるのはおかしいだろう」

フィンはそう答えた。


十年に渡って続いた隣国との戦争は多くの被害を出し、戦場で指揮する者の数も足りなくなっていた。

フィンはまだ十代の少年だったが、卓越した能力を持ち、王太子の彼が将軍として戦場に立つことで志気を高め、勝利を手に入れたのだ。

――けれどそのせいで、彼は陰で『死神』と呼ばれるようになってしまった。

戦場で顔色ひとつ変えず、先頭に立って剣を振るいその刃を血に染め続けたからだ。


「でも……あれは仕方のないことだったわ。あなたが将軍になったのは『女神の神託』だったのだし」

この国で女神による神託は絶対だ。

フィンだってなりたくて将軍になったわけではないのに。

「だが、私が敵とはいえ大勢を殺したのは間違いがない」

「……それが戦争というものでしょう」

「戦場では正義だろう。だが今はもう戦争下ではない。死神よりも、エレンの方が王になるにはふさわしい」

「……あの子が王になっても問題はないでしょうけれど……」

王国一の魔術師でもあるエレン。

その強大な魔力と、強さと優しさを兼ね備えた彼女ならば王となっても民を導いていけるだろう。

(でも、だからといって、フィンがこの辺境の地で……)


「死神だから王位を継がないというのは表向きの理由だ」

私の心が読めたのか、フィンはそう言った。

「表向き?」

「王になれば妃を娶り、子を成さなければならないだろう。私は君以外を迎えるつもりはなかったからな」

どこか熱を帯びた青い瞳が私を見つめていた。

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