02
「……夢じゃなかったのね」
朝日の差し込む部屋で目覚めて、室内を見渡してため息が出た。
素朴な造りのここは自分の部屋でも、ホテルでもなく――『あの世界』の、教会にある客間だ。
夢を見たのかもしれないと思う気持ちもあった。懐かしい過去の記憶が現れた夢なのかと。
けれど目覚めても、状況は変わっていないようだった。
いわゆる『異世界転移』――私にとっては前世で生きていた世界だけれど、そう名付けられるようなことが自分の身に起きたらしい。
にわかには信じられないけれど……そもそも私はこの世界に生まれて、死後日本――『異世界に転生』したのだ。
また元の世界に帰ってくることもあるのだろう。
(でもどうして……やっぱり『あのひと』のせい?)
それならばすぐに話しかけてくるだろう。
それとも、魔力がないから声も聞こえない?
昨夜からの考えても分からない問いをまた頭に浮かべながら、ベッドから起き上がった。
朝食後、朝の祈祷に行くという神父に着いて礼拝堂へと向かった。
(やっぱり……あれは私だわ)
神父がその前で祈る女神像は、改めて見ても自分だ。
前世の私と今の私は髪色が違うだけで、顔立ち自体は変わっていない。
でもどうして自分の姿を女神像に……。
(いや……彼だったらやりかねないか)
幼い頃から私に懐いていたフィンは、私のことを『自分の女神だ』とまで言っていたから。
あの真剣な眼差しを思い出して、少し胸が苦しくなる。
前世の記憶があっても、ずっとこの世界のことを思い出さないようにしていたのに。
もう二度と帰れないと思っていた世界に……彼のそばに、また帰って来るなんて。
「神父さまあ」
「おはようございます!」
祈祷が終わるのを見計らっていたように、十人ほどの子供たちが駆け込んできた。
子供たちは私の姿を認めると、その目を大きく見開いた。
「女神様だ!」
「本物だ!」
「ええ、どうして?!」
「こらお前たち。この方は女神様ではないよ」
笑いながらそう言って、神父は私を見た。
「この領地の教会では、子供たちに勉強を教えているのですよ」
「そうなのですか」
「文字の読み書きや計算の仕方といった簡単なものですが。公爵様が、全ての領民に最低限の学問を身につけたいと仰られて」
「……素晴らしいですね」
この国、いやこの世界での識字率はそう高くない。
貴族や商人といった一部の平民くらいで、農村部では読めない者の方が多い。
そういった者たちにも学問が必要だと、フィンは考えたのだろう。
(本当に……立派な領主になったのね)
私が知っている彼は、まだ十代の少年だったのに。
「女神様じゃなかったら誰?」
「分かったわ、巫女様でしょう!」
女の子が叫んだ。
「女神様みたいにきれいだって聞いたことがあるもの」
「えー? 巫女様は銀色の髪だって聞いたよ」
「よく知っているね。それじゃあ今日は女神と巫女の話を読んでもらおうか」
神父は一冊の本を取り出すと、側にいた少年に手渡した。
「一人一ページずつ、順番に読むんだよ」
「はい」
本を受け取ると、少年は書かれた文字を読み始めた。
この世界には多くの神々が存在する。
彼らはその姿を現すことはないが、彼らに選ばれた特別な人間によってその言葉を伝えるのだ。
このカストルム王国の守護神は、豊穣と生命力を司る月の女神モーネだ。
そうして女神の言葉を伝え、災厄から国を守る女性は巫女と呼ばれ、女神と同じ銀色の髪を持ち、女神から加護を与えられて数百年の長さを老いることなく生きるという。
隣国との十年に渡る戦争が起きた時代に生きた巫女は、二百年以上の歳を重ねていたという。
多くの犠牲者を出し続けることに悲しみながらも巫女は女神の代理人として助言を行い、若いながらも将軍として戦い続けた王太子と力を合わせ、勝利をもたらし国は平和になった。
けれど戦争が終わるとともに巫女は寿命が尽き、死んでしまった。
その死を悲しんだ女神が流した涙が雨となり、その雨は十日間続いたという。
(……知っている通りね)
子供たちの語る物語は一部を除き、ほぼ本当のことだ。
私の死後の話は知らないけれど、おそらく雨も実際に降り続いたのだろう。
「この話に出てくる王太子が、今の公爵様です」
読み終わると神父が言った。
「……その巫女が亡くなったのは、何年前ですか」
「十三年前ですね」
「そうなのですか……」
(十三年? 時間が合わない……)
私は今二十三歳。死んだのは少なくともそれ以上前のはずなのに。
「では次は何を読んでもらおうか」
「お姉ちゃん、読んで!」
子供の一人が私のワンピースの裾を引いた。
「え、私?」
「お姉ちゃんのお話聞きたい!」
「神父様!」
そこへ男性が駆け込んで来た。
「どうした、慌てて」
「公爵様がお見えに……!」
「公爵様が? まさかご本人が?」
神父と顔を見合わせた。
「……今朝の手紙か……?」
(え、もう?)
まだお昼にもなっていない。
毎朝野菜を届けに行くということは、ここは屋敷からそんなに遠くはないのだろう。でもそれにしても……。
外から足音が聞こえてきて、ドアの方を見た。
金髪の男性が立っていた。
すらりとしているけれどしっかりしたその体格も、端正な顔立ちも、記憶にある姿から少年らしさがすっかり消えていたけれど。
私を見つめる青い瞳は昔のままだった。
「……サラ……?」
男性が口を開いた。
期待と不安が入り混ざった、その顔に。
ふいに胸に熱いものが込み上げた。
「……フィン」
その名を口にすると、強張っていた表情が緩んだ。
「ああサラ……!」
駆け寄った男性――フィンは私を強く抱きしめた。
「会いたかった――」
「フィン……」
その胸も、腕も、記憶にあるより大きくなって。
時の流れを強く感じさせた。
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