プロローグ5 名前

 少し動揺の見える彼女を落ち着かせるために、温かい飲み物を琴乃に注文した。すると、僕の携帯に通知がくる。


『すぐに警視庁に来るように。』


とのことだった。


「指令ですか?仕事が終わったばかりなのに。」


「ああ。多分、この子のことだから、ちょうどいい。説明してくるよ。名前の候補は相談しておいてくれ。2人が納得、特にこの子が1番納得できる名前をね。」


「・・・申し訳ありません。」


すぐに下に落ちそうな声で彼女は謝ってきた。


「気にすることはないよ。僕は願って君を連れてきたし、それに僕らには子供ができない。詳しいことは琴乃から聞いてくれ。君がここにきてくれるのは、僕らにとっても、とても嬉しいことなんだよ。」


僕は、愛の証と言わんばかりに彼女のおでこにキスをする。


「行ってくる。この子のことよろしくな。」


「もちろんです。大切な私たちの子供ですから。それよりも、私にもお願いします。」


「はいはい。」


僕は琴乃にも同様、愛の証をプレゼントした。



 戸籍上一般人の自分が警視総監に会うために警視庁に訪れるというのは異例中の異例。普通に考えれば、あり得ないことだ。そういうことも考慮して、必ず僕は裏門と言われる、警視総監などの身を守るために作られた特殊な入り口から入ることになっている。警視庁内に入ると、すぐそこにエレベーターがある。地上と警視総監室があるロビーにしか繋がっていない直行便のエレベーター。その中は殺風景で、一般的なエレベーターの中にある液晶も広告も何もない。ただ薄暗いライトが一つとボタンが2つだけ。


 音もなく扉が開く。屈強な男たちが、僕を誘導してくれる。身体検査と盗聴器の有無、携帯すら取り上げられる。厳しい検問の後にようやく、警視総監に会う頃ができる。


「今回の件、お疲れだったね。」


「いいえ。暗殺ほど気を使わなくてよかったので。警視総監の刀はいつ返却すればよろしいでしょうか?」


「しばらく持っていてくれ。必要な時に貸し出すのも面倒だからね。」


警視総監は、パンパンに膨れた封筒を10束、机の上に出した。


「今回の報酬だ。もらってくれ。」


「いつもならもう少し時間を置いて、振り込みのはずですが?」


「他はそうだよ。でも今回、君には聞きたいことがあったんでね。」


空気がひりつく。


「あのスーツケースの中身はなんだい?人だろ?」


警視庁のトップを張る男が気づかないわけがない。



「お気づきでしたか。はい。今回の僕のターゲットの1人、第4王女です。」


「その行動がどういう意味を示すのかわかっているのか?」


「はい。十分に理解した上での行動です。」


警視総監は立ち上がり、引き出しの中から、拳銃を持ち僕に向けた。


「裏切りは命を持って。だぞ?」


「僕が子供を殺せないのを知っているのにも関わらず、その依頼を出したそちら側の失態だと思いますが?」


しばらく威圧し合う。根負けした警視総監は拳銃を下ろした。


「本気で彼女のこと殺そうとしてませんでしたよね。本当に彼女を殺そうとするのであれば、僕ではなく、残りの2人に任せ流はずですし。」


「すまない。わざとだ。君に敢えて第4王女の暗殺を依頼した。今回の報酬の分を節約するためにな。彼女を殺そうとしなかったのではなく、君にそうなるように促したという方が正解だ。」


「やはり、今回の資金源は我が国でしたか。」


ある程度予想はついていた。資源不足が顕著な日本では、あの国はとてもいい貿易相手だっただろう。兵器だとしても、防衛のためには攻めてくる側よりも高い水準の兵器が必要になる。


「今回の一件で、かなりの資金を使ってしまってね。地震大国である日本ならではの作戦の時点で、君は気づいていたみたいだな。とは言え、契約違反は変わりないから今回の報酬はなしだ。いいね?」


「かまいません。ですが、一つだけお願いがあります。」


「第4王女のことだろ?わかっている。認める。」


「ありがとうございます。各手配もよろしくお願いします。」


「ああ。それは任せてくれ。以上だ。」


「はい。失礼します。」


僕は警視総監室から出ると、屈強な男に呼び止められる。


「これが偽装のための書類です。わからなところがあれば私の連絡先も一緒に乗ってますので、そこに一報いただければなんでもお答えします。その書類を書き終えたら、同じように私に一報いただけばあとはこちらの方で手続きをします。」


こうなることがわかっていたかのように、彼女のための準備がすでにしてあった。


「ありがとうございます。」


僕はとくに追求することもなく、クリアファイルに入った書類を受け取り、スマホの返却と最後に身体検査を受けて、警視庁を後にした。


 「ただいま。」


家に帰ると2人の笑い声が聞こえる。打ち解けるのが早いな。学校の先生の経験が生きているのか、それとも琴乃、もしくは彼女の特性なのか。


「ただいま!」


リビングに入るときに、今度は少し大きな声で聞こえるように帰りの報告をする。


「あっ。お帰りなさい。どうでした?」


「許可はもらったよ。これがそのための書類だ。ただ、今回の報酬はなしみたいだけどね。」


「そうですか。まあでも、そんな端金はいりません。そんなことより、見てください。彼女、ゲームめちゃくちゃ強くて。」


テレビ画面には、パーティーゲームの画面が映っていた。その正面で、人魚のように座りコントローラーを持ちながら僕の顔を見上げている。


「それと・・・これ。必要だろ?」


僕は廊下に持ってきていた、折りたたみ式の車椅子を持ってきた。彼女が生活を送る上で必要になるものを、帰り道買ってきていた。


「ありがとうございます。」


「何か必要なものがあるなら、遠慮なく言ってくれよ?男の僕に言い難いことだったら琴乃にでもいいから。」


「はい。今のところ大丈夫です。」


表情と反応がまだかたい。でも、初日だから仕方ないのかもしれない。知らない環境に急につれてきてしまったのだから。これは追々。


「じゃあ、最優先事項の名前だな。考えてくれた?」


2人は顔を見合わせて、琴乃が奥の棚から一枚紙を取り出した。そこには『剣城悠里』と書いてあった。


「いいでしょ?2人で考えたの。彼女、目が少し青っぽいから。」


「悠里でいいか?」


「はい。」


悠里は満面の笑みで、僕に答えてくれた。


「わかった。決まりだな。」


今までの日常が、彼女にとって辛いものだったのなら、名前のように悠然とした生き方をしてほしい。名は体を表すのだから。

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刃を振るう手に疑問はなく。 有馬悠人 @arimayuuta

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