風呂

「あんた、風呂入っておいで」

 食器を洗いながら、縁は俺にそう言った。

「風呂?」

「うん。服も貸したげるから。そこの戸棚に入ってるよ」

 そこの戸棚、って……あ、これか。

「開けて良いのか?」

「良いよ」

 開けてみると、中には……着物だ。紺色。何だっけ、これ……。

 あ、思い出した。ちょっと甚平っぽいな。

「奥に下着なんかもあったはずだよ。まだ新品だから、安心しな」

「あ、ありがと……」

 一応礼は言うけど、正直つっこみたい。

 縁は多分一人暮らしだ。でも、何で男物の服、特に下着があるんだろう。しかも新品。なんか怖い。

 ……でも、俺の服これしかねえしな……。正直着替えたいしな……。ちょっと贅沢だけど。

「じゃあ、これ借りる」

「ん。ゆっくりしておいで」

 着物と下着、あとはタオルなんかを取って、俺は風呂場を探した。


 アパートはボロだったけど、風呂場は意外と綺麗だ。リフォームでもしたんだろうか。床も綺麗だし、鏡なんかぴかぴかに磨かれてる。湯船は入浴剤でも入ってるのか、ほんのり緑に染まっていた。

「はー……」

 体を洗って風呂に浸かると、さすがにため息が出た。

 いや、あったけー……。全身の力が抜ける。

 やっぱり入浴剤だな、これ。良い匂いだ。懐かしい、感じ。どこかで嗅いだことあるような、ないような。

 ……ここに来てから、そんなことばっかり思い出す。

 味噌煮を作ってくれた誰かのこと。懐かしい気のする入浴剤。

 ――思い出せねえ……。

「……俺、何で忘れてんだろ……」

 呟いたところで、何か変わるわけでもなかった。

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