第27話
いつもなら気にして、眠れない蝉の鳴き声たち。
今は、耳に入らない。
それくらいに、必死だった。
ランはゴンベエにしがみつき、山の中を疾走した。
まるで風になったみたいな、感覚に陥る。
しかし、今はその感覚に浸っている暇はない。
(センリ…っ!)
一刻も早く、センリに追いつかなくてはならない。
『間に合わなくなるぞ』
ハカセの言った言葉が、脳内に繰り返し重く、語りかけてくる。
どういうことが分からないが、センリは何かをしようとしていることが分かった。
その時。
「わっ!?」
ゴンベエが転んだ。
いきなりのことで、前方に飛ばされ、ランは反射で受け身を取り、でんぐり返しをする。が、木に背中をぶつけ、痛みを堪えた声を漏らしつつ、体制を整え、ゴンベエに駆け寄る。
「ゴンベエ! どうした!?」
しゃがんでゴンベエの後ろ脚を見ると、左足から血が出ていた。
「おまえ、これは…」
来た道を振り返る。星の光で、それは見えた。鈍く光るそれは、鉄の破片だった。なんていう機械の破片か分からないが、尖った所に真新しい血がぽたぽたと地面に落ちて、染み込ませ居た。
「あそこに引っかかったのか…深そうだ。早く手当をしないと」
すると、ガルルルル、とゴンベエが唸り声を上げて歯茎を見せ、威嚇し始めた。
「行け、と言っているのか…?」
ゴンベエは喋れるわけでもないので答えないが、代わりにさらに大きな唸り声を上げ、口元も上がった。
ランは微笑みながら、ゴンベエに言う。
「分かったよ。けど、止血だけはさせてくれ。じゃないと、心配で足が遅くなってしまう」
ゴンベエは威嚇を止め、短く喉声を鳴らせる。なら早くやれ、と言っているようだ。
ランは自分の服を千切り、怪我している箇所にくるりとそれを巻きつけた。
「よし、これで大丈夫だろう」
ランは立ち上がり、ゴンベエの顔を見る。
「ここまでありがとう。少し休め。センリを止めたら、迎えに来るから」
ゴンベエは、ガウ、と鳴く。
「いいから行け、か? じゃ、またな」
ランはゴンベエの頭を撫でて、後ろ髪を引かれる思いをしながらも、疾走した。
その背中をゴンベエは、見えなくなっても見送った。
大きな唸り声が聞こえる。
それでもうすぐ、ドラゴンの許へ辿り着けることが分かる。
もうすぐ、山の頂上。
ランは物音を立てないよう、慎重に進む。
そして、前方から光が差し込んできた。きっと、頂上だ。
草むらの影に隠れながら、ランはそこを覗き込む。
そこには、月の光を浴びて、青白く光るドラゴンとそして…その真ん前にセンリが佇んでいた。
「センリっ!!」
センリは弾かれたように、振り向いた。
目を丸くし、ランを凝視する。
「ラン、どうして…」
「おまえが、黙って居なくなるから…!」
ランは草むらから飛び出し、ドラゴンとユリに駆け寄ろうとした。
だが、ドラゴンの口から炎の欠片が落ちているのが見えて、立ち止まる。
「タクティノス、だめ」
たった一声。
だが、それだけで口から溢れる残滓は、消えた。
ランは唖然と、それを見ていた。
たった一声で、ドラゴンを止められた。
「センリ、おまえは一体…」
センリは一瞬、何かを耐えるように眉を顰めたが、すぐに取り消して、きりっとした表情を見せた。
それは、今まで見たことのない、顔だった。
「わたしは…人間じゃないの」
静かで澄んだ声の形をした糸が、蝉時雨の間を通り抜けて、鼓膜に届く。
「どういうこと、だ…?」
たどたどしく、紡いだ声は震えていた。
センリは、ランの反応を無視して、言い放つ。
「わたしは…人間にタクティノス…ドラゴンを完全に操るために…」
止めて。
それ以上は聞きたくない。
だが、センリは無情にも、そんなランをたたみ掛けた。
「造られた人工生命体。ドラゴン制御装置『ドラゴンの巫女』。兵器の一部なの」
鈍器で殴られたような錯覚がした。
眩暈をしながらも、ランはセンリを見続けた。
センリが。
センリが。
ドラゴンと同じ、人工生命体…?
「うそ、だろ…」
気が付けば、そのような言葉を発していた。
だが、センリは首を横に振りたくった。
「ほんとうだよ。わたし、兵器なんだよ」
「…」
「おとうさんとおかあさんもいない、名前すらもなかったの…」
「…」
「でも、タクティノスは同じ材料から造られたから、きょうだいっていうのかな?」
「どうして…」
おそるおそる、といった風に、ランは口を開く。
「どうして、おまえは記憶を失っていたんだ?」
センリはランに背を向ける。
下ろされたドラゴンの顔を撫でながら、ぽつぽつの語り出した。
「昔の戦争…はじめて、わたしたちが導入されたときね、タクティノスが放った波動で、歪みが出来たの」
「歪み…?」
「時空の歪みだよ」
「時空…?」
意味の分からない言葉だった。
「時間と空間のこと。普通は出来ないのに、マウムル・ハンダは、出来てしまったの」
マウムル・ハンダ。未知の技術。
そんなことも可能だとは…末恐ろしい技術だ。
「その時空の歪が起こした嵐に巻き込まれて、わたしは時空の歪に飲み込まれたの。その時のショックで、記憶が飛んだみたい」
「…よく分からないが、その時空の歪みとやらに巻き込まれ、辿り着いたのが、この時代ってことか?」
「うん。ちょうど、ランに拾われたとき、わたしは時空の隙間を掻い潜って落ちた後だったの」
ならあの時の光は、時空の光だったのか。
「で…」
「?」
「おまえは…何をしようとしているんだ…? 黙ったまま飛び出してまで、したいことって一体…」
「…」
「おまえが…ドラゴンを庇いたいのは、分かる。兄妹か姉弟か分からないけど、おまえにとって、唯一の身内だから、救いたい気持ちが分かる。けど…」
「救うわけじゃないよ」
はっきりした物言いで、センリは言い放つ。
「罪を償って行くの」
「罪…?」
ランは目を細め、センリとドラゴンを交互に見やる。
ドラゴンの目は、とても穏やかそうだった。こんなドラゴン、見たことない。
「わたしが時空の歪みに巻き込まれていなかったら、たくさんの人が死んだ」
「ちがう」
「わたしたちが生まれたから、こんな時代が生まれてしまった」
「違う、それは」
「生まれてこなかったら」
ラン達の両親も死なずに済んだかもしれない。
「ちがう! こんな時代が生まれたのは、人間の自業自得だ! そもそも、センソウをしなければ、こんな風になったんだ…」
そう、今の状況を作ったのは。
自分たちの祖先である、古代人なのだ。
だから、ドラゴンとセンリのせいじゃない。
愚かだったんだ。
古代人も、自分も、愚かだったんだ。
「ランは、優しいね。でも、わたしは決めたの」
「決めた…? 何を…」
センリは踵を返して。
優しく、穏やかに笑っていた。
「わたしね、たしかにこの時代に来る前は、ただの平気だった。ただ、自分を造った、大人たちの言いなりだった」
けど。
この時代に来てからは。
「ユリからは、笑顔をもらった」
いつも明るくて、笑顔が溢れていたユリ。
「ダイスケからは、優しさをもらった」
素直じゃなかったけど、心は優しかったダイスケ。
「そして、ランから名前をもらった」
名前を覚えていなかった、元々なかった自分に『センリ』という意味のある名前をもらった。
「みんなのこと、大好きになったから、わたしは『センリ』になったの」
他にも色々な事を教えてもらった。
それも全て、わたしの宝物。
絶対に消えない、かけがえのない、記憶。
「だから、わたしは笑顔で往けるの」
「往くって…どこに」
ドラゴンの顔が空に伸び、口をあんぐりと開けた。
そして、咆哮が轟いた。
それが掛け声のように、ドラゴンの口から、炎じゃない、光の柱…いや蛇が飛び出し、星空の彼方へ吸い込まれていく。
そこから、空が裂いた。
「なっ…!?」
ランは絶句した。
夜空の裂け目から白い光が溢れ、辺り一面を照らす。その光を受けたドラゴンが、白く輝きだした。
嵐のような強風が巻き起こり、持って行かれないように足を地面にへばり付ける。
ランは懸命にセンリの姿を捉えようと、目を上げた。
「センリ! 何をする気だ!?」
「歴史を変えるの」
「歴史を…!?」
「過去に往って、わたしが居なくなった直後のタクティノスの許に行って、タクティノスを破壊しに」
ランは瞠目する。
そんな。
そんなハチャメチャな!
「センリ! 自分が今、何を言ったか分かるのか!?」
「うん…勝てるか分からないし、そもそも無事に辿り着けるか分からない。もしかしたら、ラン達が生まれないかもしれない。けど」
「そうだけど、そうじゃない!」
「…」
「おまえは、この時代を、おれたちと過ごした日々を、全てなかったことにしようとしているんだぞ!?」
「それでも」
センリは静かな表情で、静かに言う。
「可能性があるのなら、賭けてみたいの」
「センリ!」
「みんなが忘れても、わたしは忘れないよ。一緒にご飯食べたことも、笑ったことも怒ったことも。わたしは、絶対に忘れないよ。だから、全部なかったことになんて、ならないよ」
センリはドラゴンの首に乗る。
ドラゴンは羽ばたきを始めようとした。
風がさらに強まる。
だが、ランは一歩ずつ、センリ達に近付く。
「行くな、センリィ!!」
「絶対に忘れないから」
「たのむ…」
「最後に、ランに会えてよかった」
「まってくれ」
「これで、思い残すことはないよ」
「いかないで…っ!」
やっと、気付いたんだ。
この想いに。
だから、行かないでくれ。
伝えさせて。
お願いだから。
涙が次々と溢れていく。
この涙を、彼女に届けたら、どんなに良い事か。
「ラン、大好きだよ」
センリの笑顔が白く霞んでいく。
「ばいばい」
その言葉を最後に、視界が完全に白く染められた。
「センリイイイイイィィィィィィ!!」
彼の慟哭は、虚しくもその後の轟音に掻き消されて。
そのまま、意識が遠のいていった。
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