第26話
それから、ハカセを除いた皆で、ショウテンガイ内とその周辺を探したが。何処にも彼女の痕跡は残されていなかった。
「見つかったかい!?」
「いいえ!」
「たくっ! こんな時にどこほっつき歩いているんだよ!」
ダイスケは苛々した口調で大声を上げたが、その顔には不安が浮き上がっている。
ランは舌打ちしたい気持ちで一杯だったが、なんとかそれを耐えた。
(センリ…っ! 一体何処にっ!)
その時、テンポからゆらり、と人影が現れた。
「なんじゃ。騒々しい」
ボサボサになった髪を掻き毟りながら、ハカセは怠そうな声を出す。
「ハカセ、大変なのよ!」
「なんじゃ。センリがいなくなったとかか?」
「そう! って、なんで分かったの?」
「センリおらんし、そういう想像くらいつくわ。しかし、センリがおらんなったか…」
ハカセは、ふむなるほど、と小さく呟き、腰に手を当てた。
「ハカセ、センリの居場所に心当たりあるの!?」
必死のユリにハカセは、あっけらんと言いのけた。
「いや、ない」
「ハカセ~!」
「まぁ、落ち着け。わしも探す」
「珍しいねぇ。ハカセが自分から、そう言ってくれるなんて」
「わしも心配じゃからのう」
「ハカセが、心配…?」
シオンが疑わしい目で、ハカセを凝視する。その視線に気が付き、ハカセはシオンを睥睨した。
「シオン、わしだって心配の一つや二つ、するぞ。一応」
「一応か…」
「選択範囲を広めるんじゃ。馬も使ったほうが早いじゃろ。アオイとダイスケ、ダイチ組は、あっち方面を。シオンとユリ、ソウ組はあっち。わしとラン、ゴンベエはあっちでセンリを探す」
「また珍しい…ハカセが仕切るなんて」
「早く終わらせたいだけじゃ。はよ行かないか。センリの身に何かあったら、もう遅いぞ」
怪訝な顔をしながらも、アオイとシオンは、ハカセに言われた通り、それぞれの相方を引っ張った。
「じゃ、そっちはお願いね!」
「こっちは任せろ!」
そして四人は、ソウとダイチに揺られ、この場を去って行った。
ランはハカセに振り返る。
「ハカセ、おれたちも!」
「ゴンベエに乗って行け」
「は…?」
言われた意味が分からなくて、思わず素っ頓狂な声を出す。
「わしは行かん。ここで待つ。ゴンベエに乗って、センリを追え」
「ハカセ、さっき言っていたことと、全然ちが」
「センリは、ドラゴンの所に向かっている」
ハカセの言葉にランは目を剥く。
ドラゴンの所に?
何故?
「ラン…おぬし、センリの記憶にドラゴンが関係していると、勘付いているはずじゃろ」
ランの肩がぴくりと震える。
さらに、ハカセはたたみ掛けた。
「逃げるんじゃない、ラン。逃げたらそれだけ、真実から遠ざかっていくぞ」
「…センリは、記憶を戻しにドラゴンの許へ…?」
「あの子はもう既に、記憶を取り戻しておる。それも勘付いているはずじゃろう」
「…」
「じゃが、センリが何者なのかは、まだ分かっておらん。そうじゃろ?」
「…」
「図星か。とりあえず、時間がない。ちゃちゃっとゴンベエに乗って、センリを追い掛けるんじゃ。間に合わなくなるぞ」
ゴンベエはランの目の前で中腰になると、横目でこちらを見据えてきた。
「乗れ、と?」
ガウ、とゴンベエが答える。
「ゴンベエも、そう言っているんじゃ。甘えろ」
言われるままにランは、ゴンベエの背に乗った。ソウと違い、肉質があって毛がふさふさしている。素肌を晒しているところに当たって、くすぐったい。
「ヒントをやる。心して聞け」
「ヒント…?」
「遺伝上、緑色の髪に赤い目の子供は生まれん」
「…?」
「ゴンベエ、ランを頼んだぞ」
ゴンベエは、ガウ、と鳴き、走り出した。
「うわ!? ちょ、いきなり動くな!」
その背中が見えなくなるまで見送り、ハカセは盛大な溜息をつきながら、瓦礫に腰を下ろす。
「さて、と。わしの最後の仕事終わったかの」
そう独り言を零しながら、ハカセは周りを見回した。
瓦礫。廃墟。
かつて店の看板だったものには、『居酒屋』や『カラオケボックス』などといった、娯楽や付き合いのための施設の名前が書かれている。
かつて、ここにはたくさんの人間が行き交っていたのだろうか。いや、人類が全盛期だった最後には、このショウテンガイも随分と寂れていたのだろう。
シャッターを下ろしているテンポが多いし、中には何もない。
それでも確かに、通り道として人はここを通っていたのだ。
その残像が白い影となって、見えるような錯覚に陥りそうになり、ハカセは天井を見上げた。
わずかな隙間から垣間見える星空。
センリが何をしようとしているのか。
概ね、検討がついたし、一か八かの賭けに出たな、と思う。
まぁ、もしその賭けに勝ったとしても。
「この風景も、見納めじゃのう」
そう呟いて、ハカセは笑う。
それはまるで、穏やかに死んでいく、老婆のような、とても優しい笑みだった。
センリは、蝉時雨が降り注ぐ夜の山道を走っていた。
息も切らず、汗も掻かず、ただがむしゃらに獣道を駆ける。
野生動物の心配はない。
だって、自分はそういう存在なのだから。
その目は、澄んでいて、何かを決意した輝きを宿していた。
「っ!」
木の枝に躓き、転んでしまい、ゆっくりと上半身を起こし、四つん這いになる。
(立ち止まったら、だめ…)
今、立ち止まったら自分は、迷ってしまう。
暖かい、あの場所に戻ってしまう。
「だい、じょうぶ」
迷わない。戻らない。
大切な人たちが楽になるように。
たとえ、それが絶望的であろうと、希望があれば賭けたい。
皆が教えてくれたこと。
なら、自分も掛けてみたかった。
たとえ、皆の命を天秤に掛けよとも。
『センリ、それは…』
ハカセとユリに教えてもらった、ランへの気持ちの名前。皆が大好きって言う気持ちをずっと忘れない。
けど。
今だけは。
痛みも、悲しみも、喜びも。
夢も、わたしの罪も、大切な名前さえも。
全てを、忘れさせて。
蝉時雨は、止まない。
なんとか奮い立たせ、センリは立ち上がる。
夏の鎮魂歌に背中を押されながら、センリは疾走する。
その足には、もう、迷いはなかった。
その姿を、闇と蝉時雨が優しく包み込むように見守っていた。
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