第17話

 ブオォッと、風が小さな空孔を通り抜ける。


 その風は、熱風に曝され上昇した体温を少し冷ましてくれた。


 また、風が吹く。今度は、小さな咆哮を乗せて。


 それから、天井からぽたぽたと落ち、天井の水溜りに落ちて弾ける滴の音だけが、この静寂を支配する。


 その静寂を破ったのは、女の長い溜息だった。


「行ったようだね…」


 その声で、二人の少年は、肩の力を抜いて、その場にへなへなと尻餅をついた。


「はぁ…今度こそ、死ぬかと思った…」


「それに関しては、同感だ」


「それにしても、アンタら…特にラン。こんな立て続けにドラゴンに遭遇して、生きてられるなんて、相当悪運が強いんだね」


「それはアオイ、アンタにも言えたことだろ」


 自分は今年の夏に入って、三回、ドラゴンに遭遇したが、それはアオイにも言えたことだ。


 三回ともお互い、その場にいたのだから。


 そういやそうだったね、と軽く笑って、アオイもその場に腰を下ろした。


 あの後、アオイは扉に強烈な蹴りを入れ、扉を無理矢理開けさせたのだ。


 その直後、急いで非常口に入り、扉を閉めた。炎が通り過ぎる音と、扉が真っ赤になって変形していく扉を見て、非常口になっていた小さなトンネルに入ったわけなのだが。


「ほんと、間一髪だったね」


「九死に一生を得た、だま」


「難しい言葉を知っているね、ランは。非常口に関しても、そうだ」


「それは…ばあさんが教えてくれたのを、覚えていたからだ」

「ばあさん、様々だね…少し、休んでから行こうか」


 それに異論する者はいなかった。

 アオイは持っていた、簡易ランプを点けた。


「それにしても、ここ、黒いねぇ。隣のトンネルと比べてすごく狭いし、水浸しだし」


 たしかに。

 ランは声に出さず、アオイに同意した。


 隣も黒かったが、ここも負けず…いや、それ以上に壁が黒い。きっと、こっちのほうが古いのだろう。


 床が水浸しなのは。天井から漏れる水滴のせいだろう。どれくらいの長い年月、そこから漏れているか知らないが、恐らく間違いない。


 走ったせいで喉が渇いたが、ここに落ちている水は、腹を壊しそうだから飲めそうにない。


 腰に掛けていた、竹製の水筒を取る。取り口を開けて、水を一口飲んで、喉を潤す。


 他の二人も各々、水筒の水を飲んだ。


「かぁ! やっぱ、水はうめぇ!」


「走った後の水は美味しいねぇ! 生き返ったよ」


「それにしても、アオイ! まさかあそこで豪快に蹴りをかますとは、思わなかったぞ!」


「おかげで助かっただろ?」


「かぁ! 調子に乗って!」


 何やら話が盛り上がっている。

 ランは天井を仰いでみる。


 吹き抜ける夜風が、すごく心地良い。

 それに、涼しい。

 このまま寝てしまいたい気分だ。


(まぁ、無理だろうな)


 音から察するに、ドラゴンはラン達が歩いてきた道の方向へ、飛んで行ったと推測できる。


 つまり、ラン達が行く道には、ドラゴンはいない。良いチャンスだ。


 十分に休んでから、目的地に向かう。睡眠は取らないだろう。


「でよぉ、なんでドラゴンが、夜に行動するんだ? 情報が間違っていたのか?」


 ダイスケが今、一番の疑問を口に出す。


 それに対して、少し苛立ちを含んだ声音でアオイが返答する。


「そんなことないよ。ドラゴンは夜に行動する。これはここ何年かの実験で証明されている。実際にここ数年、夏の間はなるべく夜に行動していたんだけどね、夜にドラゴンが飛んでいる姿を見た事なないね」


「だったら、なんで動いているんだよ?」


「私が聞きたいよ」


 アオイが腹の底から、嘆息する。


「ハカセ、餌の光がない時間帯は、ドラゴンは無理に動かないって言っていたくせに…やっぱり、その情報、ガセなんじゃねぇの?」


「古代書の解読が間違っていると、言いたいのかい?」


「そこまでは言ってねぇよ」


 ダイスケは吐き捨てるように言う。


「ただ、その古代書自体、ホントのことを書いているのか分からねぇんだろ? もしかしたら、古代書自体が偽物で」


「いや、古代書の解読は本当だと思う」


 ダイスケの言葉を遮り、ランはそれに対する否定の言葉を吐く。

 それに真っ先に反応したのは、ダイスケだった。


「はぁ? 何言っているんだよ? だって、ドラゴン、夜に動いてて」


「無理をしているんだと、したら?」


 ランは指でこめかみを、とんとんと叩く。

 その目は、真剣そのものだった。


「無理をしている? ドラゴンが?」


 なんでだよ、とダイスケは言ってこなかったものの、目でそう訴えかけていることがありありと伝わってくる。


「どうして、そう思ったんだい?」

「…さっき、ドラゴンを発見した時だが…」


 夜空に浮かぶ黒い点。


 あの後すぐに、ドラゴンと認識したので、頭から抜け落ちたのだが。


「ふらふらしていたように、見えた」


 そう。

 あの時、黒い点は、不規則に揺れているように見えた。

 あのドラゴンが、だ。


 今まで真っ直ぐに飛んでいた、あのドラゴンがふらふらと飛んでいたように見えたのだ。


「ふらふらしてた~?」


「まぁ、言われてみれば、たしかにそう見えたけど」


 アオイは先程を回想しながら、そう呟く。


「風で翼のバランスが取れなかっただけじゃねぇの?」


「奴はそんな弱い身体じゃない。むしろ屈強だ。おれは一週間、奴を偵察していたが、風が強い日でも真っ直ぐに飛んでいた」


 その時に風に比べて、今日の夜風は弱い。それなのに、風でふらふらしてことなんて、有り得ない。


「後、もう一つ。さっき襲われた時のことだ。さっきは逃げることで頭が一杯で気付かなかったが…」


「なんだよ…?」


「ドラゴンが炎を吐く時間。そして吐いた炎の速さが遅かった気がする」


 以前に襲われた時のことを回想する。


 改めて思うと、吐いてからこっちに到達する時間はあまりなかったと思う。


 炎を吐き出した後のロスは比べることはできないが、炎の残滓が見えて吐き出すまでの時間。そして、その吐き出した炎の速度。


 これらが以前と比べて、遅かったのだ。


「そりゃ、距離の問題じゃねぇの?」


「いや、あの時の距離とさっきの距離を比べたら、さっきの距離のほうが近い。間近だったんだ。それなのに、遅く感じた」


「あぁ…たしかに、なーんか、こう…キレと勢いがなかった気がするね…」


 アオイは、ランの意見に同意する。


 言われて改めて比べると確かに、そんな気がしないわけでもない。


「さしずめ、お腹が減って力が出ないって感じ?」


「だな…。今は夜だ。太陽の光はない。太陽の光が餌だというのなら、納得だ」


 エネルギーが足りなくて、ふらふらしていたし、炎も勢いがなかった。そう考えるのが、自然だ。


「でもよぉ、そこまで無理する理由ってなんだよ?」


「問題はそこだな」


 ランは、軽く息を吐き捨てる。

 結局、これは憶測なだけで、真実ではない。

 情報が少なすぎる。


「そう考えたら、辻褄が合うことは合うけど、それを確証する証拠はない」

「…そういえばさ」


 アオイが何か思い当たることがあるように、ぽつりぽつり、と言い募る。


「昨日、襲われた時、ドラゴン変だったよね?」


「いや、それは誰も思っていることだろぉ?」


「…なるほど。アオイは、その時のことが起因で夜でも動いている、と言いたいんだな?」


「そういうこと。だって、今まで夜は動かなかったわけだし」


「でも、それだけで夜、動くことは…」


 ない、と言い掛けて、ランは口を閉ざす。

 閃いたのだ。


 そう、心当たりがあって、閃いた。


 あの時…ドラゴンは。


 センリをじっと見つめていた。

 センリもドラゴンを、見つめ返していた。


 自分たちに見向きもせず、ただお互い見つめ合って。

 そして、何もせず去って行った。


 もしかして。


(センリと、関係がある…?)


 センリの様子が変になったのも、その辺りからだ。


 もしかすると、センリが何かしたのではないか?


 もし、そうだとすると、センリは一体…。


 何者なんだ?


 そこまで考えて、ランは慌てて頭を振った。


 そんなわけ、ない。

 そんなのが、あるわけない。

 彼女は、何者でもない。

 センリなのだ。

 だから、そんな。


 ドラゴンと深い関わりがあったかも、なんて。

 そんなわけがない。

 ないんだ。


「ラン? 大丈夫か? 顔色悪いぞ?」


 ダイスケの声で、ランは我に返り、なんでもない、と返した。


 考え過ぎだ。


 確かにセンリは記憶を失っているし、何考えているか分からないし、ぼんやりしていて不思議な少女だが、それ以外は、普通…。


「いや、普通じゃないか…」


「なんか言ったか?」


「なにも」


 疑わしい目で見つめられたが、それを無視して、脳内の考えを逸らすべく、話を進めた。


「なぁ、どうして夜も行動していると思う?」


「そりゃ、ここに人間がいるって分かったから、夜通しに人間を探すことにしたんじゃねぇの?」


「いや、それならあの時…おれとユリがシオンとアオイに助けられた時から、そうしたはずだ」


 あの時、ランはシオンと、ユリはアオイとで二手に分かれて、ドラゴンから逃げた。


 そして、ドラゴンはユリとアオイを追いかけていった。森に炎を吐いて、始末したと思って空に飛んで行った。


 だが、それだと、まだシオンとランは始末していないことになる。


 ダイスケの意見を中心に考えていけば矛盾がある。だとすれば、あの日の夜から、夜に行動するはずだ。


 それに、わざわざ自分の命を削るようなことをするとは、思えない。


「うーん…何かを探している、とか?」


「何を?」


「何かは分からないけど…」


「それだとよ、俺らを襲う暇ねぇんじゃね? 腹減っていたら、その分体力削りたくないだろうし」


「習性だ」


「習性?」


 アオイの聞きかえした言葉に、ランは頷く。


「ドラゴンの習性が『人間を殺す』ことなら、それの説明がつく。が、あいにくそれを示す証拠はない」


「結局、考えても埒が明かないってことだね…」


「そういうことだな。今は情報が足りな過ぎる」


 壁に背をもたれ、ランは溜息をついた。


 どちらにせよ、情報が足りないから、憶測を立ててもそれを実証できない。


 その為にも一刻も早く、おつかいを済まさなくては。

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