第14話

「あっぶね~…」

「大丈夫かい?」

「おう」


 枝に絡まった足と、腹筋に力を入れ上半身を折り曲げて、枝に掴まる。


「もう足を滑らせるんじゃないよ!」

「おうよ!」


 ダイスケは木の上へ登っていく。


 その木は、オレンジ色の実がいくつも実っていた。周りの木にも、似たような果実が熟れている。


 センリは、その実を仰ぎ見ていた。


「これ、なんの木?」


「これは蜜柑の木だよ。実っているのは、蜜柑さ」


「みかん!」


「蜜柑、知っているかい?」


「前にダイスケが教えてくれたの」


 そういえば、そういうこともあったな。

 軽く回想しながら、ダイスケはてっぺんにある蜜柑の実を獲った。


「落とすぞー」


「あいよ!」


 実に付いている枝を手で千切り、それを下に落下させる。

 アオイはそれを籠で受け取る。


「わたし、下の方取ったらいい?」


「いや、上のヤツだけを取る。上に生っている実のほうが、お天道様を浴びて、糖分がたくさんあって美味いんだ」


「おてんどうさま? とうぶん?」


「お天道様は、太陽のこと。糖分は……甘さのことって言えば分かりやすいかな」


「お天道様のおかげで、みかん、美味しくなるの?」


「土地や気候にもよるけどね。ダイスケ、降りな!」


「おー」


 ダイスケは、まるで油が塗っているように、スルスルと木から下りた。


「せっかくだから、食べ比べしようか」


「たべくらべ?」


「センリ、下の方に生っている、蜜柑を一つ、取ってくれるかい?」


「わかった」


 言われた通り、センリは手に届く範囲に実っている蜜柑を獲る。


「剥きな。ヘタに指を突っ込んで剥くんだよ」


「へた?」


「緑のところさ」


 センリは、蜜柑のヘタに人差し指を突っ込んで、穴を空ける。そこから蜜柑の皮を剥いでいく。


 白い糸のようなものに巻かれて、ほとんど白い実をどうしようか、と首を横に傾かせると。


「その白いヤツはのけなくてもいいよ。美味しいっていわないけど、栄養があるからね。それ、割れ目みたいなのあるだろう? それを使って、蜜柑を半分してみな」


 いくつもの割れ目がある蜜柑の実。それを開かせるように、慎重に剥く。


 ミシミシ、と薄い皮が離れたくないと言わんばかりの音を出した。


 半透明の皮から透けている、オレンジ色の実。その中には皮を突き破りそうなくらい、大きな種が付いていた。


「ほら、半分ダイスケに渡して、食べてみな」


 言われるまま、半分の蜜柑の実を渡し、また割れ目を裂けて、一欠けらになった実の種を取り除いて、ぱくりと食べる。


「どうだい?」


「…甘くない」


「もといた土地よりも、甘いけど」


「あの土地、海端じゃないからねぇ。蜜柑には少し、都合の悪いのさ。次は、さっきダイスケが獲ってくれた、蜜柑だ。これを食べて視な」


 それを手渡され、センリは先ほどと同じように剥いた。また半分にして、ダイスケに渡し、食べる。


「! あまい…」


「ホントだ! うっめぇ!」


「だろ? ここら辺は蜜柑の産地だったらしくてね、こんな感じで蜜柑の木が集まっている所が、結構あるんだ。昔は、これよりも種が小さくて、木も小さかったみたいだけどね」


 アオイは蜜柑の木を仰ぐ。


 ハカセが見せてくれた『シャシン』には、これよりも低い蜜柑の木で収穫をする、古代人の姿が写されていた。


 どうして今の蜜柑の木は、これよりも大きいのか。ハカセが言うには、元々古代人によって品種改良され、手入れされたのが、人間がいなくなったことにより、野生となった蜜柑は厳しい生存競争で、木も種も大きい蜜柑が生き残って、今のようになったという。


(ひんしゅかいりょうって、人間が食べられるように、選別された親同士を交尾させて、子である種を育てての繰り返しって言っていたけど…それって何年もかかるとも言っていたね…)


 何年、何十年もの年月を重ねたというのに、今じゃその努力も水の泡だ。

 これは笑うところだろうか。それとも、憐れむところだろうか。


(いや、きっと羨ましがるところだろうね)


 何せ、昔はこれよりも実があって美味しい蜜柑が食べられたというではないか。蜜柑だけではなく、他の果物にもいえることだ。


 人が繁栄していた頃は、今よりずっと楽な暮らしをしていたという。


 それが羨ましくない、と言えるわけがない。


(まぁ、その時代はもう終わったし、夢見るつもりはないけどね)


 美味しそうに蜜柑を食べる二人を、微笑みながら見つめる。


(こういう時代だから、この子たちに巡り会ったわけだけどね)


 急にセンリが食べることを止めた。

 その表情は、先程の笑顔とは違う無の感情であまりのギャップに怖くなる。


「センリ? どうしたんだい?」


「前にも、似たようなことがあったような…」


「そうなのかい?」


「たしか…今のように果物をこっそり食べているときに…」


 完全に思い出す前に、遠方から声が聞こえた。


「センリ、ダイスケ!」

「姉さん!」


 それは、ドラゴンを偵察しに行った、シオンとランだった。

 ソウに乗って、こちらに駆け寄ってくる。


「どうしたんだい? そんなに慌てて」


 普段、慌てることがない弟に怪訝な表情を向けた。


「ドラゴンが!」

「ドラゴンが?」

「こっちに来る! 早く逃げろ!!」


 刹那。

 轟音と共に、シオンたちの背後に天空からドラゴンが降下して来た。


「くっ、遅かったか!」

「皆、逃げろ!」


 アオイが籠を担ぎ、ダイスケも走る気満々だったが、センリが動かないことに気付き、センリに向かって怒鳴り声をあげる。


「センリ! 逃げるぞ!」


 ダイスケの呼び掛けにも反応せず、センリはドラゴンを仰ぎ見ている。


「行くぞ!」


 手を引っ張り、走ろうとするが。

 センリはまるで石のように、その場に佇んで、動こうともしない。


「センリぃ!」


「どうした!?」


「センリが動かねぇんだよ!」


「センリ、おい、センリ!」


 ランの呼び声にも反応しない。

 いつもなら、すぐに反応するのに。


 まるで、周りの音すら聞こえないほど、ドラゴンに魅了されているみたいだ。


「シオン! おれが降りるから、センリも持ち上げてくれ!」

「あぁ!」


 ランがソウから降りて、センリの腕を持ち上げた時。


 凄まじい破壊の音と、強風がラン達を襲った。


 腕で顔を覆い、目を閉じて、木の葉も実を全て吹き飛ぶくらいの強風に耐える。


 治まってきた頃に、目を開けて腕を下ろした後に愕然とした。


 そこには、いくつもの蜜柑の木を下敷きにしているドラゴンが、こちらを見下ろしていた。


 ドラゴンが咆哮する。


 鼓膜が破れそうな、激しい咆哮と共に、ドラゴンの口から突風が吹き荒れた。


 その轟きは、耳の中まで痺れ、音がほとんど聞き取れない。


 ドラゴンを見る。


 ここまで近くで、じっくりと見るのは、初めてだ。


 やはり、ドラゴンは近くで見るとかなり大きい。ちょうど、ドラゴンの後ろに太陽があるせいで、こちら側に影が差す。ドラゴンの影は伸びているとしても、かなり広範囲に影を作っている。


 ランは、その目を見る。


 その目は、昔、祖母が見せてくれた光る石の色に酷似していた。


 名前はそう。エメラルドだったか。


 地面に足を付いている、ドラゴンを間近に見るのは始めてだ。


「早く逃げるぞ、ラン!」


「待て!」


「ラン!」


「ドラゴンの様子がおかしい!」


 ダイスケはおそるおそる、ドラゴンの方を見る。

 ドラゴンは依然と立ち尽したまま、動こうとしない。


 ただ、静かにこちらを見下ろして…。


(?)


 ランは気付く。


 ドラゴンの目に自分たちが映っていない事に。その目に映しているのは…。


(センリ…?)


 確かにそこには、黄緑色の髪をした少女、センリが映っていた。


 センリを見る。


 センリもドラゴンの目をじっと見据えていた。

 センリとドラゴンが、見つめ合っている。


 何故だか声を掛けることに躊躇った、


 どれくらいそうしたのだろうか。


 ドラゴンが動きだし、顧みたかと思えば、翼を羽ばたかせ、空高く飛んでいった。


 しばらく、呆然としていた一同だったが、ふっと緊張の糸が切れ、力を抜いた。


 そこで、流れてくる汗の中に、暑さから来る汗ではない、冷や汗が溢れていることに気付いた。


 ダイスケは、腰を抜かしその場に倒れ込むように座った。


「な、なんだったんだ…」


 それは、センリ以外の皆の気持ちを表した言葉と言っても過言ではない。


 見境なく、人間を襲うドラゴンが。

 炎も吐かず、自分たちを襲わずに。

 静かすぎるほど静かに、去ってしまったのだから。


 ただ、唖然と立ち尽くすラン達とは違い、センリはドラゴンが去って行った青い空…その先にいるドラゴンを、少し戸惑いを浮かべた表情で、仰いでいた。


「むー、だん? ムーダンって、なに?」


 その呟きは誰の耳にも届かず。

 ただ、静寂な空間の中に、生暖かい風がそよそよと泳いでいた。

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