第13話


 あれは、残暑も消え去り大分涼しくなった、ある日の事。


 ランは一人で、森の中を歩いていた。


 元々は、一人だったわけではない。ダイスケと一緒だったが、見つけた兎を追いかけてしまって、はぐれてしまったのだ。


「たく…あの後先考えず、突進する癖、なんとかならないものか…アイツ、本当は猪じゃないか?」


 そう愚痴りながら、獣道を歩いていた時だった。

 一瞬、紫色の閃光が走ったのは。


「?」


 気のせいか、と思ったが、何だか気になって、その閃光が走ったと思われる方向に、踵を返した。


「多分、この辺だったと思うが…」


 草を掻き分けて、地面に視線を向けたら。


「なっ!?」


 そこには。

 黄緑色の髪をした少女が、うつ伏せに倒れていた。





● ○ ● ○ ● ○ ● 





 ドラゴンを退治するチーム「ドラゴンキラー(あの後、ハカセが名づけた)」が結成され、早十日が経とうとしていた。


 ハカセの指示の元、一同はドラゴンの行動パターンを見極めるべく、遠い場所から、ドラゴンを観察していた。


 ドラゴンは巨大なので、遠くからでも見つかりやすく観察しやすい。


 ランとシオンは、夜中に山の傾斜に作った砦(木材で組み立てて、その上に草を被せ固定した、偵察用の砦だ)の中で開けられた窓からドラゴンを監視していた。


 だが、ドラゴンは長い間飛ぶが、止まる時も長い間止まる。


 今は止まっているため、こうして砦の中にいるわけだが。


 梅雨が明け、夏に向かっているこの時期は、蒸し暑く、空気中の水分と熱気が肌に纏わりついて、服が気持ち悪くなるくらい、汗が噴出する。


 厄介なのは、蚊だ。


 刺されて血は吸うわ、その箇所が痒くなり、掻いたら皮が剥くし…良いことはない。


「叩きたい気分だ」


 思わずと言った風に、ランがぼやく。


 丁寧にも、それに隣でリラックスして寝ているソウの頭を撫でていた、シオンが返した。


「分かるが我慢しろ。刺されているときはともかく、空中にいる時に叩いたら、響く」


「分かっているさ。アロエあるか?」


「そこに生えている。ナイフで切ってくれ」


 シオンからナイフを手渡され、ランは足元に生えているアロエの一部を切り落とした。


 山の中は、手拍子しただけで山彦に返され、響き渡る。


 それがドラゴンに聞こえたら、その音が原因で気付かれるかもしれない。

 だから、音に細心の注意を払わなくてはならない。


「シオン、刺されていないか?」


「…もらおう」


 もう一切れ切って、シオンに渡す。


 ランは、アロエの身を刺された箇所に塗った。


 これは蚊に刺された時に、祖母が施してくれた方法だった。効果はどれほどか分からないが、それ以降、蚊に刺されたらこうするのが習慣になった。


「まだ動かないか」


 ドラゴンは、山の頂上でじっとしている。


 おそらく、光合成をしているのだろう。


「けっこう、するんだな…」


「あれだけのデカさだ。その分、食べる量も多いんだろう」


 腰を下ろし、足を伸ばして楽な姿勢を取る。


 それにしても、暑い。


 竹製の水筒に手を伸ばしかけて、その手を止めた。


 我慢だ。まだ我慢できるレベルだ。水の量は限られている。


「食料組はどうだろうな…」


「ここら辺は食料も豊富だし、姉さんもついている。大丈夫だと思うが」


 ドラゴンの偵察をする際、チームは偵察組と食料組と分かれることにした。


 食料と水の調達は、アオイ、センリ、ダイスケが行っている筈だ。アオイの馬、ダイチは留守番組だ。馬に三人も乗れないので、連れて行っても意味がないという理由で、残されたのだ。


 ユリはハカセの許に残り、色々と手伝って貰っている。それから、あの遺跡…ショウテンガイで使えるものがないかどうか、ハカセと一緒に見て回るという。


 と、言っても、息抜き程度で、というわけみたいだが。


「そういえば、シオンたちがハカセに出会った頃の話、聞いていないな」


「…そんなに面白い話ではない」


「興味半分で訊いているけど、あまり面白さは期待していないよ」


「それはそれで、寂しいな」


 シオンは隣にいるランをちらっと見る。


 ランは、しっかりした子だと思う。頭の回転も早いし、理解するのも早いし、冷静な判断も出来る。


(一緒にいた奴らがあれだから、無理もないのか…?)


 猪突猛進で短気なダイスケ。

 お転婆で強気なユリ。

 そして、注意散漫で無知のセンリ。


 センリが記憶喪失なのは、ユリから聞かされて知っているが、それでも無知すぎる。


 記憶を失ったら、あぁなるものか、とハカセに訊いた所、それは色々とあるという。


 センリのように、名前も今までの記憶も覚えていない場合。名前は憶えていても、それ以外は覚えていない時。そして、記憶が退行して、数年間、あるいは数か月間、数日間の記憶が頭から抜け落ちた場合。


『そのまま思い出せなくて、一生を過ごすかもしれんが、嬢ちゃんは、記憶は断片的にあるみたいじゃ。思い出す可能性はあるさ。それに、記憶が無くなるわけがない。思い出せないだけで、ちゃんと頭に残ってとる。後はそれを引き出すキッカケじゃな』


(キッカケ、か…)


 どのようなキッカケで、思い出すものなのか。センリの過去を知らない自分たちには、途方もない事である。


(本人は思い出せなくても、別にいいみたいだしな…無理に思い出す手伝いはしなくてもいいだろ)


「シオン、どうした?」


 考えていると、ランに心配された。

 暑いのかと訊かれ、首を振って否定する。


「聞きたいのか。俺らがハカセに会った経緯を」


「話したくなかったら、別にいいけど」


「…そっちの一年はどう数えているんだ?」


「春になったら、次の年って数えている」


「…あれは、何年前になるか。かれこれ、十年は経っているな」


 ぽつり、とシオンが語り出した。


「俺達はハカセと出会う前まで、言葉を知らなかった。人の歴史も、自分たちが人間であることも知らなかった」


「? 知らなかった?」


「俺らは、馬に育てられたんだ」


 ランは目を瞠る。

 それを視界の隅で確認して、シオンは言い続ける。


「俺らは、本当の両親を知らない。死んだのか捨てられたのか知らんが、まだ物心もついてなかった俺らを、母さん…一頭のメス馬が拾ってくれたんだ」


 優しげに笑みを浮かべ、シオンはソウの鼻の上を撫でる。

 尻尾をゆらりと動かせ、ソウは小さく鳴いた。


「色々と教えてくれたよ。母さんは。乳も飲ましてくれたし、食べられるか食べられないものも教えてくれた」


「優しい、人…いや、馬だったんだな」


「優しかったな。今はもういないけど、たくさんのことを教えてくれたし、最後まで俺らのことを心配してくれたよ」


 最後くらい、心配しないで安らかに眠ってほしかったけどな、とシオンは苦笑する。


「ソウとダイチは…その馬の子供か」


「あぁ。血も繋がっていない、種族も違うけど、大事な兄弟だ」


 兄弟。兄弟か。

 ランは少し考える。


 ランには兄弟というものがいない。

 それは、ユリとダイスケにも言えたことだ。


 六歳までのユリは、親しかいなかったというし、ダイスケは赤ん坊の頃から一緒にいるが、同じ親から生まれ落ちたわけでもない。


 兄弟というものは分からないが、シオンの表情から察するに、親とは違った特別な存在なのだろうと思う。


 羨ましいとかは、思っていないが。


「まだ母さんが生きていた頃だ。ある日突然、ハカセが現れたんだ」


 今でも忘れなれない。


 姉とソウ、ダイチと戯れていたら、草むらの中から自分と同じような形をした生物が顕れたあの衝撃を。


「まだ仔馬だったソウとダイチに見向きもしないで、ハカセは俺と姉さんだけを連れて、無理矢理、自分の住処に連れたんだ」


「…それ、よく分からないが、誘拐されたって言うんじゃないか?」


「難しい言葉を知っているな。そうだな、あれは誘拐だ」


 ランは半眼になって、あさっての方向を見やる。


 一緒に過ごして十日間。


 強引な所があるな、と思っていたが、強引過ぎである。


「…攫われた後は、どうされたんだ」


「人間の言葉を教え込まれたな。今まで言葉といえば、馬と交わす以心伝心しかなかったし、言葉で話す必要もなかったな。その後、ソウとダイチの報告で、俺らを追いかけた母さんが珍しくすごく怒ってな。あれは大変だった」


「…大事にされていたんだな」


「あぁ。だから、死んだときは辛かった」


「そうだな…」


 それは、ランも身に覚えのある痛みだ。


 身が引き裂かれそうな、激しい痛み。

 心がぽっかり空いた、喪失感。


 空いた穴は、埋まることも無かったにすることですら出来ない。

 その穴から溢れてくる、どうしようもない、涙と鼻水。


 重苦しい空気。


 そして、冷たくなる体。


 祖母を失った時。そして…。


「…ん? ハカセっていくつなんだ?」


「俺らが推定、二十四で…ハカセは三十越えていると思うが…知らん。話そうともしない」


「なんでだ?」


「本人が言うには、『年齢を言う必要はない』と。ハカセ自体、俺らの年齢を気にしているようだから、本人が一番、気にしているんではないか?」


「…なるほど」


 納得した素振りをして、ドラゴンを見る。


 キョロキョロと辺りを見渡して、尻尾をブラブラさせている。


「そもそも、どうしてドラゴンは人を殺すんだろうな」


「確かに。人以外の動物を殺したところ、見たことないな」


「こうして見ると、前に殺されかけた事が嘘みたいだ」


「切り替えが早いな。俺はまだ、見るだけでもゾッとするぞ」


「怖かったのか? だったら何故、助けてくれたんだ?」


「助けるのに、理由なんてあるわけないだろ」


 ぴしゃっと言われ、ランは押し黙る。


「でも、お前たちがドラゴンに襲われた時…」


「?」


「あのドラゴンに、理性はないと思っていたが、そうでもなさそうだ」


「…つまり?」


「人間限定で理性が無くなる」


 じと、とシオンの横顔をまじまじ見る。


「確かに、そうとも考えられるが…ドラゴンは人間に恨みがあるのか?」


「知らん。そこら辺は、ハカセに期待しよう」


「…ほんと、ハカセに任せっぱなしだな」


「そのハカセに負担掛けさせないように、俺らはここにいる」


 確かに言えている。


「どっちにしろ、ドラゴンを倒さなくては、人間はこの世界から居なくなる」


「案外、それが目的だったりしてな」


「と、いうと?」


「人間を根絶やしすること。これがドラゴンの目的ってこと」


 シオンは顎に手を添え、しばらく考え込む。

 そして、まあ確かに、と首肯した。


「その考えも一理ある。だが、理由は? 根絶やしするのが目的だとしても、そのまたの理由があるはずだ」


「あくまで勘だよ」


 そう言って、ランは両手を後ろに着いた。

 勘。そう、勘だ。


 ただ、ドラゴンに見て、襲われたのを見て、襲われて、それらを体験して、率直に思った感想だ。根拠なんてない。


(ドラゴンは、文明を完全に破壊するために…)


 果たしてそうなのだろうか。


 その時。


 何処からか、悲鳴が聞こえた。


「今の…」


「ダイスケっぽいが…」


 二人は、姿勢を正して、ドラゴンを見やる。


 ドラゴンは、ぴたっと動きを止め、ある方向を見やった。それは、悲鳴が聞こえた方向で。


「まさか…」


 ドラゴンは翼を広げて、羽ばたかせた。


「ダイスケ達の許に向かうつもりか!?」


「姉さん…!」


 シオンはソウを立ち上がらせ、その背に乗る。


「シオン!」


 ランも立ち上がって、シオンを仰いだ。


「乗れ!」


 差しのべられた手を躊躇なく取った。

 駆け出した頃、ドラゴンは飛翔した。

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