第10話

 日が山に完全に隠れ、暗くなりかけた時間、一同は行動した。


 一旦、家に戻り使えそうなものだけを回収し(と、言ってもランプ灯だけだったか)、移動した。


 その頃には辺りはすっかり、闇に覆われていた。


 家に行く道中、ドラゴンに襲われた場所を遠くから見たが、雨が降っていた。どうりで山火事になってないわけだ。ランは安心した。


 梅雨から夏の間の夜は虫の鳴き声以上に、蛙の鳴き声が遺跡群に響き渡る。


 蛙の生息する土地が多いせいもあり、山まで、その合唱は響き渡る。


 だが、これが煩いと感じたことはなかった。蛙のいない地域から来た人間には、煩いと感じるかもしれないが、ラン達からすれば慣れっこで、むしろ子守唄のような扱いである。


 最も、蛙の生息地がない場所なんて想像できないが。


「かえるのうたが~きこえてくるよ~。ぐわぐわぐわ、けろけろけろけろけろ、ぐわぐわぐわ~」


 その生息地(古代人が米という食べ物を作るために作ったという土地、タンボというものらしい)を通っていると、センリはアオイに教えてもらった「蛙の歌」を口ずさんだ。


 その歌がえらく気に入ったらしく、タンボを通り過ぎるまで、繰り返し歌っていた。


 アオイが山道を通らないと言っていたので、古代人が建造した古道を歩くものだと、ランは思っていた。その予想は的中していた。


「おぉ! すげぇ!」


「わぁ…登ったの、初めてだけど…まるで空の上を歩いているみたい!」


 塀に寄りかかって下を見下ろす二人に、落ちるなよ、と注意したらシオンに、まるで保護者だな、と言われ、似たようなものだよ、と返しておいた、


 アオイが行っていた道というのは、どの遺跡よりも高い、山を縫うように、ずっと向こうに伸びている『コウソクドウロ』という遺跡のことだった。


 至る所崩れているので、あまりウロチョロされたくないのだが、すっかりはしゃいでいる二人を止めるのは、無駄な事だと知っている。


「シオン、ここから目的地まで、どれくらいかかる?」


「ここを通れば、明るくなる前に着けると思うが…この時期、太陽が昇る時間が早い。早くハカセの元に行かなくては、ならないな」


「…そのハカセって…今、一人なのか?」


「正確には一人と一匹…いや、一頭か? 厳密に言えば、一人だな」


 その一頭の動物の種類は、何だのかしらないが、それは確かに心配だ。


「まぁ、急いで行くことに越したことはないけど…けっこう、休んでないように見えるが、そっちは大丈夫か?」


「身体鍛えているし、まだ若いから大丈夫だろ」


「そういうものか?」


「さぁ? まぁ、あっちに着いたら休めばいいだけのことだ。心遣い、感謝する」


 なるほど。そういうことか。しかし、こちらとしては、休んでいただきたい所だが。


 ランは、横にいるセンリを一瞥した。


 センリは、二人と比べて、この景色を感慨深く思っていないみたいで、黙ったまま歩いている。


「センリ、行かないのか?」


「どうして?」


「いや、こういう景色、初めて見るだろ?」


「はじめて…?」


「? そうだろ? 登ったことないし」


 センリは塀の向こうに広がる、景色を見る。

 感情の見えない夕暮れの瞳は、何を見ているのだろうか。


「はじめて、じゃ…ない気がする」


「え?」


「似たような、景色を見た気がするの…なんでかな…?」


「……山からの景色が、同じように見えているだけじゃないのか?」


「かな…?」


 納得しきれてないのか、センリは考える素振りをしている。


 きっと、答えは見つからないだろう。


 その記憶が、失った記憶の断片なら。


(ていうか、そう思っているはずなのに、おれは何であんな事言ったんだ?)


 センリの過去が戻れるなら、それは良いことだと思う。


 まだ先ほどの不安が残っている? それは確かにあると思うが、それだけか?


「ここからだと、魚の鱗が月の光に反射して、きれいね!」


「おぉ、そうだな!」


 二人の興奮した声に我に返る。慌ててその思考を振り払う。


「魚の鱗? 魚なんてないよ?」


「いいえ、あたしたち、遺跡の上にある、鼠色の波打っているやつをそう呼んでいるの! なんか並び方が魚の鱗みたいでしょ?」


「あぁ、瓦のことかい…言われてみれば、確かにそう見えるね」


「でしょ?」


「てか、そっちはカワラって呼んでいるんだな!」


「ハカセが言うには、それが正式名称らしいけどね」


「せいしき?」


「めいしょう~?」


「本当の名前ってことさ。でも、魚の鱗っていう名前、アタシは嫌いじゃないねぇ」


 談笑している三人に、シオンは呼びかける。


「そろそろ行きたいんだが」


「はいよ。さ、行こうか!」


 二人の背中を押しながら踵を返させ、塀から離れさせた。


 ソウとダイチを引っ張りながら、その後をシオンが追って、ランも後に続こうとした。


 が、センリが歩いてこないことに気付き、顧みる。


 立ちすくむセンリ。


 ランはセンリに歩み寄り、センリの前に立つ。


「センリ? どうかしたか?」


「…ねぇ、ラン」


「ん?」


「わたしの本当の名前、分かったら、どうする?」


「どうするって…」


 そんなの。

 そんなの、決まっている。


「別にどうもしないな」


「そうなの?」


「本当の名前がどうだろうが、センリはセンリなんだろうし…だから別に、変わらないだろうし…どうして、急にそんなこと訊くんだ?」


「さっき、本当の名前って言っていたから…」


「なるほど…だが、そう不安がることはない」


 不意に。

 センリの顔が眼前に現れた。


 ランはあまりにも突然の事で、咄嗟に行動できなくて、声を出せなかったし、一歩下がることも出来なかった。


「な、なんだ?」


 顔を真っ赤にし、どきまぎしながら問いかける。

 センリは表情を変えず。


「どうして、ランが不安になるの?」


 その返答に頭が真っ白になった。

 だって図星だったから。


「どうしてって…」


 言葉の続きが喉に詰まる。

 微かに出た声も掠れて、虚空に消えていく。


「わたしよりも、ランがほうが怖がっている。不安になっている。なんで?」


 なんでと訊かれても。


 その答えは持ち合わせているようで。

 全く持ち合わせていない。


「………とりあえず、行くぞ。距離が空いてしまう」


 動揺を悟られたくなくて、踵を返して顔を逸らした。


 センリは、分かった、と言っただけで、それ以上は何も聞いてこない。


 本当に、これでは記憶を失っているセンリ以上に、ランが怖がっているみたいではないか。


(いや、実際はそうなんだろうな)


 今まで、センリは記憶がないことについて、怖いとか不安だとか、口にしたことない。


 実際、そういった感情を抱いていないのだろう。


 だからセンリは、自分と比べて恐怖と不安があると言ったのだ。


 ランは歩き出す。その後ろでセンリも歩き出した。


 この足音が当たり前になったのは、いつだったろう。


 蛙の歌は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

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