第9話

「ダイスケが、あんな弱虫だと思わなかったわ!」


 ソウとダイチ(アオイの馬の名前らしい)がいる祠の前にユリとセンリはいた。

階段に座り、ぶつぶつと一方的に愚痴を言い続けているが、センリは嫌な顔もせず、ただ聞いているだけ。


「そりゃ、ドラゴンにケンカ売るって、頭がおかしいって考えるのも無理ないわよ。けど、やる前から諦めたら、そこで終わりよ! なによ、いつもならやる前でも諦めない、考えるよりもまず行動するする無鉄砲な奴が、どうしてこういう時には弱気になるのよ。まるで私のほうが無鉄砲みたいじゃない! 馬鹿に馬鹿って言われた気分…いいえ、実際にそうよ! あんな弱腰の奴、せいぜいこの土地でカラスの餌になればいいのよ!」


 それは、さすがに言い過ぎである。

 センリは腰を曲げ、ユリの目と合わせる。


「ユリは、ダイスケ、きらい?」


「っ嫌いよ、あんな奴! そういうセンリはどうなのよ?」


 センリはきょとんとなる。


「わたし? なんで?」


「だって、いつもダイスケに怒鳴られるじゃない。その度に、あたしかランの後ろに隠れるし…センリだってあいつの事、嫌いなんじゃないの?」


「どうして、嫌いになるの?」


「どうしてって…」


 ユリは言葉に詰まる。

 そんな、曇りない目で見つめられたら、言い淀んでしまう。


「ダイスケ、怖いけど、好きだよ? いつも助けれくれるし、心配してくれるから」


「心配……」


「ユリもランも、みんな大好き。ダイスケもきっと、そう」


「そう、ね…」


 ユリは頬付いて考えた。


 ダイスケは後先考えない奴で、短気ですぐ怒る。声も大きいし、鼾も大きいやら寝相が悪いやらで、すぐ思いつくのは悪い所ばかり。


 けど。


(私たちの中では、一番、仲間意識が高くて仲間想いなのよね…)


 ダイスケにはこれまで、何回も助けてもらった。ただ、不器用人間というくらい不器用な奴なだけで、悪い奴ではない。むしろ、良い奴に分類できると思う。


「さっき、ユリを怒ったのは、心配だったから」


(そうね。心配、とかアイツの口から出せるわけないわ。そこまで、アイツは素直じゃないし)


「止めたかったから」


(えぇ。アイツは、怒鳴ることしか止める方法知らないから)


「ユリ…本当に、ダイスケのこと、きらい?」


 瞼を半分伏せて、眉尻を下げて自分を窺う彼女に微笑み、頭を撫でる。


「うそよ…あたしも、ダイスケもセンリもランも、みーんな大好きよ」


 そう言うと、センリは花が咲くようにはにかむ。


 センリは不思議な子だ。いつも、そう思う。


 いつもぼんやりして、何考えているのか予想できない。言葉遣いも拙く、人の感情とか空気とか、そういうのを感じ取ることも苦手で。


 でも、変に鋭くて、人を良く見ている。


 いや、見ているというより、野生の勘に似たもので感じ取っているのかもしれないが。


 なんだか、この子には敵わない気がしてならない。


「ユリ…ケンカしたら…」


「分かっているわ…謝らなくちゃね。けど、ドラゴン退治には行くわ」


「…ユリ、死ぬの?」


「不吉な事言わないでよ…だいじょーぶ、まだ死ぬとは決まっているわけじゃないし。センリはどうするの?」


「え?」


「センリは、ドラゴン倒しに行く?」


「考えてなかった…」


「…まぁ、ドラゴンを見るのは初めてだから、しょうがないわね」


 よし、と勢い付けて、立ち上がる。

 にんまり笑って、階段を下りていく。


「すっきりした! 私だけすっきりするのは、癪だからダイスケもすっきりさせないとね!」


「がんばれ」


「ふふふ、ありがとう。センリはまだ此処にいる?」


「もう少し、ここにいる」


 じゃあ、あたし先に戻るから、と遺跡に戻っていくユリの背中を見送って、センリは振り向いた。


 ソウとダイチが寄り添いあうように、隅の方に縮みこませ、恐怖の色をした目で、センリを窺う。


「怖がらなくてもいいよ…?」


 二頭の馬の態度は変わらない。


「どうして、怖がるの…?」


 そう問うても、馬に返答は出来ない。


 ピィピィ


 鳥の声がした。


 センリは木の枝に顔を向ける。


 そこには、一羽の薄汚い茶色い小鳥がセンリを見下ろしていた。


「ぴーちゃん?」


 それは、春頃だったか、怪我していたのを拾って治るまで世話をしていた小鳥に似ていた。


 センリはその鳥がその時の鳥だと、確信したらしい。


 ゆったりと腰を上げて、手を伸ばす。


「ぴーちゃん、ぴぴぴぴ…」


 ぴぃっと鳴き、小鳥は翼を広げ枝から離れる。そして下降して、センリの指に止まった。


「ぴぴぴ」


 ぴぃぴぃ


「ぴぴ? ぴー?」


 ぴぃぴぃ


 まるで会話しているように、呼応し合う。


 そのしばらくその様子を見ていた、二頭の馬がおそるおそるセンリに近付く。


 それに気付いて、センリは空いている片手で、手招きした。


「おいで」


 馬たちは恐々と、センリに近付く。やがてその手にソウの鼻が触れた。

 湿っぽく、鼻息がくすぐったい。


 鼻の上をそっと撫でる。気持ちよさそうに目を細めた。


「仲良し?」


 ソウがぶるる、と鼻息を鳴らす。

 センリは、笑みを深くした。


「センリ!」


 センリは上半身をくねらせ、後ろを見やる。

 ランだ。


「ラン、どうしたの?」


「おまえが一人だと、心配だから」


 階段を上がり、ランは馬たちを見やる。


「懐いてくれたか?」


「かな…? 見てみて、ぴーちゃん」


「ぴー…? あぁ、春に助けた小鳥か」


「うん。元気でよかった」


 ぴーちゃんは飛んで、センリの肩に乗る。辺りをキョロキョロ見回し、落ち着かないように見える。


「ねぇ、ラン」


「ん?」


「むてっぽうって、なに?」


「誰が言ったんだ?」


「ユリ」


「あー…アイツ、おれらも分からない言葉をたまに喋るんだが…それもその一つで、分からない」


「どうして?」


 センリが心底不思議そうな表情を乗せる。頬を片方の人差し指で掻いて、ランは目を逸らしながら言い募る。


「おれたちの知識は、だいたい、おれのばあさんから教えてもらったものだが…ユリだけは違うんだ」


「なんで?」


「おれとダイスケは、赤ん坊の頃から一緒だから、大体知識は同じなんだ。全てばあさんから教えてもらった。けどユリは、六歳くらいの時だったかな…その時からの付き合いなんだ」


「ふんふん」


「この意味が分かるか?」


「分からない」


 ランは、溜息を飲み込んで、つらつらと説明する。


「ユリは、六歳まで親の許で育てられていたんだ。もう人同士の交流はなかったに等しい。だから、教えられた知識は、群れによって大だろうが少だろうが違ってくる」


「?」


「つまり…おれとダイスケは、ばあさんの知識しか持っていないけど、ユリはユリの親とおれのばあさんの知識を持っているっていうことだ」


「ユリの方が頭良いの?」


「別にそういうわけじゃないと思うが…その知識を上手く使いこなせるかの、問題だしな」


「なるほど」


 納得したのか、しきりに頷くセンリ。ユリの癖が移ったのだろうか。


 ソウがセンリの顔に鼻を擦り付ける。センリは片目を伏せて、くすぐったそうに笑い声を上げた。


「さっきまで怖がっていたのに…すっかり懐いたな」


「うれしい」


「そうか」


 センリが笑うとランも嬉しかった。センリの笑顔は、心の中が暖かくなる。


 最初は全く笑わなかったからなのか、余計に嬉しいと思うのかもしれない。


「ラン、人は、ドラゴンとも仲良くなれないの?」


 あまりにも唐突すぎて、ランは一瞬言葉を失った。

 ドラゴンと? あのドラゴンと?


「無理?」


「無理、だろうな…ドラゴンは人間を見境なく殺すし、家族をドラゴンに殺された人も少なくないと思う」


「殺すのに少ないの?」


「ドラゴンは夏しか現れないし、多分人間の死亡原因としては、餓死とか自然災害だとか、中毒とか野生動物に殺された、が大半だと、おれは思う」


 あくまでドラゴンは、人類の進化…いや、人類の繁栄を遮る生き物だと、ランは考えている。


(ん…?)


 胸の奥に何かが突っかかった。

 何に?


 ランは首を捻らせ、考えるが、その突っかかったものが何なのか、結局分からなかった。


 一旦、それは止めて、センリに向き直った。


「どうして、そんなことを訊くんだ?」


「んー…なんとなく?」


「はぁ?」


「なんか、訊かなきゃいけないって思ったから」


「その使命感みたいなの、どこから出てくるんだか」


「しめい?」


「何々をしなきゃいけないって、事だよ」


 しめい、しめい…。


 センリは瞳を閉じて、繰り返しそう言う。


 なんだか、いつもと違うし、前にも同じことがあったような。


(たしか、ドラゴンの事を教えたときだったけ)


 そうだ。その時の様子ととても、よく似ている。目を伏せて、単語を繰り返し言って覚える仕草は、いつも通りだ。だが、纏っている雰囲気がどこか違う。


「センリ…?」


「しめい…使命…使命」


「何か、思い出したのか…?」


 ランはおそるおそる、そう質問した。


 センリには、ランが拾った時以前の記憶がない。


 何処から来たのか、自分の名前すらも覚えていなかったのだ。


 だから、センリは無知なのだ。何も知らない子供のように、無知なのだ。


 センリが自分の事を思い出してくれたら、嬉しいと思う。けど。


 伏せられた目を開け、ランの瞳を見る。


「分からない…ただ」


「ただ?」


「わたし…何かやらなきゃ、いけない事があった…そんな気がするの」


「やらなきゃ、いけない事…?」


「出来れば、そこは思い出したくない…変、かな?」


「いや…誰も思い出したくない事くらいある、と思うから、変じゃない」


 そう答えると、センリは笑った。


 とても儚げに。


 その儚い笑顔に、ランは胸騒ぎがした。


 もし、センリの記憶が戻ったら…。


 それが、センリが自分たちから…自分から離れる原因になったら…。


 ランは頭を強く振った。


 どうしたの、とセンリに訊かれたが、なんでもないと返しておいた。


 そんなことない。大丈夫。


 センリは、離れない。ずっと一緒にいる。


 たとえ、記憶が戻っても、センリはセンリのままだ。


 何も、変わるわけがない…。


 そう思い込んでも、胸を過る不安が消し去るわけでもなく、埋火のようにずっと燻っていた。




● ○ ● ○ ● ○ ● 




 それから少し経った後、ランとセンリは遺跡の中に戻った。


「お、意外に早かったじゃないか」


 寝転がっていたアオイが上半身だけを起こす。


「ラン」


「なんだ?」


 ダイスケが何やら決意した顔つきで、ランと向かい合った。


「オレも行くことにした」


 ランは目を瞠る。

 マジマジとダイスケを凝視して、やがて口を開く。


「さっきまで反対だったくせに?」


「そうだけどよ…」


 ダイスケは右手で後頭部を掻いた。


「このメンバーで、一人だけユリを行かせたら、あのじゃじゃ馬どうなるか分からねぇだろ?」


「ちょっと、じゃじゃ馬ってなによ!」


「な?」


「…」


 オレとしては、二人を行かせる方が心配で仕方ないのだが。


 敢えてそれを言わず、溜息をつきながら代わりにこの言葉を口にした。


「…オレは行かないと、言った覚えはないんだが」


 今度はダイスケの目が見開ける。

 それを無視して、ランはセンリに顧みた。


「センリは?」


「皆が行くんなら、行く」


「決まりだな」


 ランは視線を戻し、ダイスケではなく、アオイに向けた。

 アオイは、やはり口角を吊り上げて笑った。


「よし、夜になったら、本拠地の遺跡街に案内するよ。それまで昼寝だ」


「今じゃねぇのか?」


「ドラゴンは、滅多に夜の時間帯には行動しないんだよ。山道を通らない予定だし、夜のほうがいいだろ?」


「たしかに…」


 その時。


 ぐぅ~


 誰かの鼻の虫が鳴った。


 目を追うと、顔を真っ赤にしてお腹を抑えるユリの姿が。


「ぶ…」


「しょ、しょうがないじゃない! 朝から何も食べていないんだから! ドラゴンにも襲われたし!」


 ダイスケが小さく笑声を上げので、ユリがダイスケに食らいつくように叫ぶ。

 その様子を見て、アオイは小さく笑った。


「ダイスケとセンリが獲った、李もあることだ。寝る前に食べることにしようか」


 反対する者はいなかった。

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