第8話

「ドラゴン退治~?」


 そう胡乱げに声を出したのは、ダイスケだった。


 それは、ランも同じ気持ちだった。


 ドラゴンを退治する? そんな非現実なこと、とても信じられない。


 笑っているが、でも真剣な瞳。嘘や冗談を言っているようには見えない。


「ドラゴンって、古代人でも倒せなかったのに、私たちが倒せるわけないでしょ」


「やってみなきゃ分からないだろ? それに、こっちにはハカセがいる」


「そのハカセっていう人、すげぇのか?」


「古代人が書いた古代書も、遺産についても豊富な知識を持っている」


「すげぇ! なら、勝てるかも!」


 楽観視しすぎだ、と思いながら、確かにそれは凄いことだ、と心の中で素直に認める。


 古代人が使用したという、文字というものを自分たちは全く読めない。センリを除く自分たちは、祖母から教えてもらった知識が全てに等しく、その祖母から文字を教わったことはない。もしかしたら、祖母も知らなかったのかもしれないし、あるいは少しくらい知っていたのかもしれない。


 別に、文字が使えないことに不便と感じたことはなかった。必要性を感じなかったのだ。


「それは楽観視過ぎるわよ、ダイスケ」


 棘の含んだ声色を静かに出しながら、ユリは睥睨しダイスケを射抜く。


「たしかに、文字を理解することはスゴイわよ。でも、それだけじゃない。それが何だって言うの?」


 ユリの辛辣な意見に、アオイは苦笑した。


「最もな意見だ。けど、アタシらだって、それだけだったら、そこまで期待しないさ」


「つまり、勝てるかもしれない、という思わせる物があるってことか?」


「その通り! アタシらは少しでもドラゴンの情報を集めるために、各地を放浪していたんだ。そして、海の遥か彼方の大陸で、とある古代書を発掘したんだ」


「ある古代書?」


「うみって?」


「あたしも見たことないけど、すっごく大きい水溜りだって、聞いたことあるわ。それでいっぱい生き物がいるって!」


「生き物…? リスとか?」


「どちらかというと、魚?」


「…話を続けてくれ」


 話が逸らされそうだ。


 アオイが表情を変えず、口を動かす。


「その古代書は、元々はケンキュウジョっていう、施設の瓦礫に埋まっていたんだ。そして、その古代書っていうのが」


 アオイは一旦口を閉ざし、口角を吊り上げる。


 ダイスケはうじうじ苛々し、アオイを睨めつける。


「あんだよ。もったいぶらないで、さっさと話せよ」


「せっかちだねぇ。ま、時間ないし、ささっと話そうか」


「姉さん、最初からそうしてくれ」


「はいはい。その古代書には、ドラゴンについての古代書みたいでね」


「ドラゴンについて? つまり、ドラゴンの生態が書かれていると?」


「ドラゴンの細かい絵もあったし、そうだと思うよ。文字に関しては、紋様にしか見えないからなんとも言えないけどね」


 それは無理もない。

 文字の必要性が無くなった現代では、衰退しても仕方ない。


「ぱらっと見たハカセは、その古代書は重要な手掛かりになるかもって、今、それの解析をしているところさ」


「その間、俺らはいつか来る、ドラゴンとの決戦に向けて、戦力を集めるということになった」


「そういうことさ。だから、人を集めていた、というわけ」


「…俺たち、アンタたちから見たら、子供なんだが…その戦力は、俺らも含むってことか?」


 自分たちは約一四年間しか…センリは不明だが、恐らく二歳上…生きていない。


 ハカセという人の年齢や性別は知らないが、アオイとシオンは自分たちも身長も高く、体つきもいい。おそらく、十は歳が違う。


 彼女たちから見れば、自分たちは成熟しきれていない…まだ青い実だ。


 役に立つどころか、足を引っ張りそうだ。


 ランの視線を汲み取ったのか、アオイはそうだねぇ、と口を開く。


「アンタが言いたいことは、分かるさ。たしかにアンタらは子供…そちらの嬢ちゃんは、多少年上っぽいけど、ぽへーってしているし、不安要素はある。けど、人選するほど人がいるわけでもない」


「つまり、妥協するってことか」


「言い方が悪いと、そうなるね。もうこの辺を随分探したけど、生きている人間を見たのは、アンタらだけだ。アタシらは、アンタらにしか頼みの綱がないんだ。頼む、引き受けてくれないか?」


 真摯な瞳をして、アオイは深々と頭を下げた。


 ランは思案した。


 たしかに、このままドラゴンをなんとかしなくては、人類はいずれ絶滅するだろう。


 だが…あのドラゴンに勝てるだろうか?


 巨大で空も飛べて、遺跡すら一瞬で焼き払う炎を吐く相手に、本当に勝てるだろうか?


 その古代書も解明すれば、ドラゴンの弱点を見出せるかもしれない。けど、それはその保証は全くない。


 分の悪すぎる賭けだ。


 果たして、負けるかもしれないし死ぬかもしれない…いや、その可能性が高いだろう。


 それなのに、それに乗る価値はあるだろうか。


「やりましょう」


 静かだが、たしかにこの部屋に響き渡るくらいの強い声が鼓膜に行き届く。


 その声を発した少女、ユリに一同が視線を向ける、


 ユリの表情は、俯いていて見えない。膝の上で拳を握り締めた。


「おい、ユリ! お前、自分が何言ってるのか、分かっているのか!?」


 驚愕と怒気が混じりあった顔を浮かべ、ダイスケは立ち上がりながら、怒鳴り声を上げた。


 ユリは腰を上げ、顔も上げて、ダイスケをキッと睨みつけるような、力のある瞳で見据える。


「分かっているわよ! 死んじゃうかもしれない、いいえ、その方が高いってことくらい!」


「なら、なんで!」


「だって、いずれは誰かやらなきゃ、ダメじゃない!」


「それがオレらじゃなくても、いいじゃねぇかよ!」


「二人とも、声を抑え」


『無自覚は黙っていろ(いなさい)!!』


 無自覚って何のことだ。


 言い返そうとしたが、すっかり頭に血が上っている二人に何言っても無駄なので、言われた通りに黙る。


 この二人は、頭に血が上ると、もう止められないのだ。


 とりあえず、センリの手を引っ張って、座りながら後退する。


「オレらじゃなくても? そんなこと言っていられる程、人間はいないのよ!? それ、分かっている!?」


「んなこと、親も兄弟も親戚もいないオレらなら分かっている!!オレが言いたいのはな、どうせ無理なのに、やってみても無駄だって」


「やってみないと、分からないじゃない! ダイスケはいつから、そんなに臆病で弱虫になったわけ!?」


「んなっ!?オレは弱虫じゃねぇよ!」


「弱虫! 臆病者! 別に、付いて来てほしいって行っていないし、弱虫はここに残っておけばいいじゃない!!」


「…っあぁ、そうかよっ! そこまで言うんなら、さっさと行ってくたばってきやがれっ!!」


「生き残ってやるわよ、絶対にっ!!」


 憤りが収まらないまま、ユリは大股で歩き、勢いをつけて扉を上げて閉めて行った。


 バァン、という音が部屋の中に響き渡り、埃が落ちる。


 しばらくの沈黙。


 その沈黙を破ったのは、センリだった。


「わたし、ユリの所、行く」


「悪い、ユリをよろしくな。空と周りに気を付けて行くんだぞ」


「うん」


 センリは腰を上げて、ぱたぱたと駆けて、外に出て行った。


 さて、とランはダイスケの方を見やる。


 両の拳を力強く握り締めている…血が流れそうなくらいに強く。悔しそうに顔を歪めて、今でも泣きそうだ。


 予想通りの、顔だ。


「ダイスケ、お前の気持ちはよく分かる」


 ぴくっとダイスケの肩が揺れる、


 先程の怒りがまだ残っているが、年相応のあどけない、不安の籠った目で静かにランに視線を向ける。


 いつものダイスケを見れば、今のダイスケは少し情けなく、弱々しく見えた。


「仲間を失いたくない気持ちも分かるし、ユリを危険な目に遭わせたくない気持ちも、分かる。お前が怒鳴ってまで、ユリを止めようとしたのも分かっている。たしかにおまえの言う事も一理あるが、ユリが言った事も一理あるから、おれは何とも言えないが」


「……」


「お前も分かっていると思うけど、アイツ、意地でも行くぞ。そういう奴だ」


「けど、アイツが行っても、無駄死にするだけだぜ」


「覚悟の上だろうな。そこまで、アイツは馬鹿じゃない」


 ユリは良い意味でも悪い意味でも、決断力が早く、覚悟を決めるのも早い。


 一見、激情に任せただけのように見えるが、ちゃんと考えているのだ。


「オレだってよ、分かっているぜ」


 ダイスケが弱々しく、か細い声で紡ぐ。


「このまま、ドラゴンを放っておいても、オレたちは生き残れない。人間は皆いなくなっちまう。だから、誰かがやらなきゃいけねぇのはよ…けど…」


 ダイスケは俯く。


「オレ、本当の家族を知らねぇ。けど、オレたちって家族みたいなものかなって思うと、こう、なんていうか、上手く言えねぇけど。一人でも欠けたら駄目だなって…だから」


 苦痛と悲痛がグシャグシャに混じり合った鼻声に、ランは顔を歪め、アオイもシオンも眉目をひそめた。


「仲間を…家族をもう、失いたくないんだよ…っ!」


 ランは、そうだな、と呟くことしか出来なかった。


 祖母がいたが、分かりすぎて…言葉が見つからなかった。

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