第6話
突然、宙に浮いたような感覚に陥った。
熱風を掠めたが、そんなに熱くない。
何かに襟を掴まれて、息苦しい感覚もした。
そして、風を切るように走る感触も。
(…?)
怪訝に思いながら、ランはおもむろに目を開いた。
浮いている。
何かに掴まれ、自分には出せない速度で道を走っている。
地面には自分の影と謎の二つの影があった。
その正体を確かめる前に、視界が揺れ、すとんと何かに座られた。
茶色い毛が鼻に当たってくすぐったい。
(これは…馬?)
でも、どうして馬なんかに乗っているのだろうか。
「大丈夫か?」
すぐ近くから低い声が聞こえ、ランは後ろを振り返り、見上げた。
そこには、赤が混じった茶色い髪の青年が、無表情に自分を見下ろしていた。
少し垂れ気味の瞼の下には、青空を切り取ったような青い目が輝いている。
(人…?)
自分たちより、祖母やセンリよりも大きい人を見るのは始めてだ。
(この辺にまだ、人間いたんだな)
今、置かれている状況を忘れ、ランは青年を凝視した。
「……お前の連れは、俺の姉が連れて行った。安心しろ」
そうだ、ユリ!
ランは慌てて周りを見渡した。
まだ追いかけて来るドラゴン。
右方向の大分離れたところに、明るい茶色をした馬が疾走していた。それに跨っている、これも自分たちよりも大きい女性が、一つに束ねた長い赤みのある茶髪を靡かせている。その膝の上に、ユリがいた。
無事だと分かって、安堵の息を漏らす。
握りしめていたはずが、解かれて一瞬疑問に思ったが。
(思っていた以上に、おれはユリの腕を握っていなかったのかもしれない)
あんなに走ったのだ。知らず知らずに手が緩んでいたのかもしれない。
「安心するのはまだ早いぞ」
そうだ。まだ、ドラゴンの追跡は終わっていない。
顔だけ後ろに振り向かせ、ドラゴンを見る。
口から溢れ出る、火の粉…。
「また来る!」
「たく…どうやって、炎を出しているのやら」
青年は遠くにいる姉と視線を合わせ、うん、と頷く。
「二手に別れる。しっかり捕まっていろ」
言われた通り、馬の毛にしがみつく。
手綱を左に引っ張り方向転換させる。
その直後、ドラゴンの放ったブレスが横を掠め、突風のような熱風が纏りつく。
手綱を器用に片手で持ち直し、もう片方の手で長鞭(ランは今あることに気付いた)を持ち、それで馬の尻の横を叩いた。
馬の速度が上がる。
上体を上下に動かしながら、もう一回、長鞭を振るう。
ドラゴンはユリ達の方を優先したらしく、そちらに向けて飛んでいく。
「子を産める女の方を優先したか…」
それを確認した青年が、小さく呟いた。
ランには意味が分からなかった。子を産む方法を自分たちは知らない。
「ドラゴンはあっちを追いかけたが、連れは俺の姉がいるから大丈夫だ。こんな時の為に待ち合わせも決めてある。そこに行くぞ」
追いかけられるユリたちを心配げに見つめながら、ランはおもむろに首を縦に振る。
今は助けに行っても、どちらとも危険な目に合う。
なら、青年の姉と言う人を信じるしかない。
後ろ髪を引かれる思いで、ラン達は森に入っていく。
その後、ドラゴンは、ユリたちが入っていた森の方面の前に止まる。
そして、ドラゴンは炎を吐き、その一面を炎の海と化とした。
燃えやすい木はさらに燃え上がり、次々と燃え移り海が広がる。
それを見下ろし、ドラゴンはそのまま真っ直ぐに飛び去った。
「ユリっ!」
一連を見たランが馬から飛び降りようとするが、青年がそれを止めた。
「大丈夫だ。たしかあそこには、地下に続く洞窟があったはずだ。そこに逃げ込んでいるだろう」
「けど!」
「他の所にも繋がっている。そこから外に出ることを願うしかない」
ランはもう一度、炎の海に視線を向く。
こうしている内にも、炎の波を打って木々を飲み込んでいく。
あそこに向かっても、焼かれ死ぬ。
無駄死はしたくない。
大人しくなったランの頭を青年はぽんぽんと撫でる。
「良い子だ。とりあえず、今は俺の姉を信じてくれ」
「……あぁ」
「自己紹介がまだだったな。俺はシオン。お前の連れを連れていった俺の姉は、アオイだ」
「…ラン。そして、アイツはユリだ」
「ここにいるのは、アンタら二人だけか?」
「あと二人いる。食料と水を探している」
青年…シオンは何やら考え出し、やがて頷く。
「その二人も探してから、待ち合わせ場所に行くか」
「何故?」
「俺達は、生存している人間を探していたんだ。話をするために」
「話…?」
「合流してから、話す」
手綱を左に引っ張り、方向を示し横腹を軽く蹴って、発進を促す。
「ところで、二人が向かった方向は、こっちで」
「ラン―――!!」
「…探す手間が省けたな」
聞き慣れた声が聞こえた方に顔を動かす。
木々の向こうからダイスケ、そしてもっと離れたところにセンリがこちらに向かって駆け寄ってくる。
馬を立ち止まらせ、二人が来るのを待つ。
「ラン! 無事だったのか!」
息を切らしながら、馬の上に乗っているランを見上げ、ダイスケは声を上げた。
「ダイスケ、大声出すな。ドラゴンが来る」
「あ、わりぃ」
ダイスケは口を片手で包む。遅くやってきたセンリも、ダイスケの真似をして、両手で覆う。
辺りを見渡して、ユリがいないことに気付き、堪えるように声を震わせた。
「おい、ユリは…?」
不安と絶望を隠しきれない声音だった。
言葉が喉に詰まる。
どう、説明したらいいだろうか。
無事かもしれない、と言ってもダイスケは納得しないどころか激昂するだろう
。
「お前が付いていながら」とか喚き、冷静さを欠け、暴行を振るうだろう。
どうしたら良いものか。
と、思案していると、シオンが口を開く。
「ユリという子は、俺の姉が付いている。無事だ」
そこでダイスケは初めて、シオンのほうに視線を向け、驚いた顔を浮かべた。
「…誰? え、人間? いつからそこに…」
「初めからいたが……俺は影が薄いのか…?」
「薄くない、と思う……。ダイスケ、この人は、ドラゴンに追われていたおれたちを助けてくれたんだ。名前は、シオン」
「そうなのか! ランを助けてくれてありがとな…オレ、ダイスケ」
「センリ、名前と一言」
「センリ。えーと……なんて言えばいいの?」
「よろしく、でいいんじゃねえ?」
「うん。よろしく」
「よろしく」
シオンは馬の首を撫でる。
「ちなみにコイツの名前は、ソウ」
「馬にも名前つけるのか!」
「呼ぶ時、困るだろ?」
「そして馬って乗れるのか!」
「古代人は乗っていたというぞ。コイツは野生とは少し違う」
ダイスケはきらきらした目で、センリは興味深そうに馬を観察する。
ソウは黒い馬だった。額に縦長の白の紋様が浮かび上がっているように見える。
無表情のシオンの顔が少し困惑を滲みませている。
「うま…? ソウ…?」
「ソウだってよ」
「ソウ…よろしく」
センリが手を出すと、ソウは一歩後ずさった。
「ソウ、どうした?」
シオンが首を撫でても、ソウはセンリから離れようとする。
怪訝そうに首を捻りながら、シオンは小さく唸る。
「おかしいな…普段はこんなに怯えないのに…」
「シオンたちの人間を初めて見るからじゃないか?」
「人見知りか…。確かに、姉さんとハカセ以外の人間を見たことないから一理あるな」
「ハカセ? 誰だ?」
「それも、合流してから話そう」
大丈夫だから、とソウを宥め落ち着かせる。大分落ち着いたようだが、やはり瞳から怯えの色が消えない。
「ねぇ、あねとねえさんってなに?」
「兄弟いないのか?」
「きょー…?」
「おれ達は皆一人っ子だから…センリ、兄弟って言うのは、同じ親から生まれた人のことだ。姉と姉さんは同じ意味だ」
センリはきょとんとして、首を捻らせた。
「おや…? おとうさんとおかあさん? おとうさんとおかあさんは一人ずつなのに、生まれるのは一人じゃないの?」
「一人じゃない時もある」
「ほうほう…兄弟…あねはシオンの兄弟?」
「あねっていう名前じゃないが…そうだ」
「名前じゃないの? じゃあ、あねはなに?」
「姉は…なんていうべきか…」
「ソウで言うところの馬で、おれたちでいうところの人間をさらに細かく分類した感じ、か?」
「そんな感じ、だな。多分」
分かるような、分からないような説明だ。だが、センリはちゃんと理解したらしく、神妙な面持ちで頷いた。
「なるほど。じゃあ、シオンのあねの名前はなに?」
「アオイだ。後で合流するから、覚えておくといい」
「あお、い…アオイ…アオイ…」
口に出して懸命に覚えようとするセンリに、ダイスケは顔を歪めていて、ランはその光景に心が軽くなったのか微笑する。
「体力は回復したか?」
言われて、体が重たくなり、全体の筋肉が締め付けられるように痛くなった。
体と言うのは不思議なもので、時には痛いのに痛かったことさえ忘れてしまうのだ。
素直に首を横に振り、否定する。
「仕方ない。さっきまで、死ぬ思いで走ったんだからな」
シオンはソウの背中から降り、手綱を引いた。
「ここで話していても仕方ない。姉さんとの待ち合わせ場所に案内する」
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