第5話
遺跡が密集している平らでかつ、木がなく広大な土地を、彼らは遺跡群と呼んでいる。
そこはかつて、古代人の町、あるいは村があった場所だと、祖母が教えてくれた時の事を、ランは軽く思い出していた。
ランとユリは今、とある遺跡の中にいる。
普通の住宅だっただろうそこは、色々な物が散乱していた。
白い何かが出ている人の形を模したもの、破れている上に色褪せて何が描かれているか分からない紙の束、その他小物が床一面に散らかっている。
と、言っても天井や柱が崩れているので、それに比べたら大した障害物ではない。
崩れ落ちた天井から漏れる太陽の光が眩しくて、目を細める。崩れていようが、この中が薄暗いことには変わりない。だから、大した光でもないのに、眩しく思う。
雨で濡らされた遺跡の中は湿っぽく、腐臭が漂う。腐った柱に茸が生えているのを見かけて、これは毒茸だな、と判断して見なかったことにした。
風化が進んだ遺跡は、少し触れるくらいで崩れて、砂のような粒子になって手の隙間から零れ落ちそうだ。
それなのに、ユリはお構いなしで、木の箱に付いている取っ手を掴んで乱暴に引いて、その中を覗き込んでいる。
「あ、ラン! これ見て!」
弾んだ声を出しながら振り返り、ユリは棒を取り出した。
ただの棒ではないようだ。持ち手だろうそこは丸く曲がられており、布みたいな物が巻かれている。
布の柄は大分色褪せているが…それでも保存状態は良い。元々は、紫色だったのだろう。
「これ、ここを押すと…」
と、バッという音と共に、棒に纏っていた布が円型に広がった。
「これ、熊と出会った時に使えそうじゃない? 今のようにすれば、逃げていくわ、きっと!」
「そうだな。でも、それどうやって、元に戻すんだ?」
「うーん…あ、ここを引くみたい」
それは縮んでいき、やがて元の形に戻る。
カチッと小さな音を鳴らし、ユリはそれをゆらゆらと揺らせ、元の形に戻せたと確認すると、胸を張り誇らしげな表情でランを見やった。
「それは使えるな。夏には使えないが、雨が降った時にも使えそうだ」
「なるほど! これを差して移動したら、濡れないわね!」
良い物見つけた、とユリははしゃいだ。
もっと見つけようと、再び木の箱の中を覗き込んだのを見て、ランは辺りを見渡した。
大体見たが、目ぼしい物はない。
ふと、足元にある紙の束が目に入り、しゃがんでそれを取る。
先日の雨で、すっかり濡れたそれは、水分を吸い取って重かった。
落ちる水滴が服に垂れないよう注意して紙の束を開いた瞬間、異臭が鼻腔を震わせ、思わず眉をしかめる。
(これは…なんて言うんだっけな)
昔、祖母と一緒に遺跡に入った時、これと同じような紙の束(紙という単語も祖母が教えてくれた)を手に取って、名前を教えてもらった記憶がある。
(たしか…ザッシ、だったな)
祖母は言った。
《これはザッシといってだね、古代人の娯楽の一つだったものさ。そのザッシを読んで、古代人は情報を得ていたのさ》
祖母の知識が正しいのなら、古代人はこれを見て、どんな情報を身に付けたのだろうか。
毒が入っていない食べ物についてか。明日の天気を見極める雲の動きだろうか。熊と猪の対策だろうか。罠の張り方だろうか。
それとも…ドラゴンについてだろうか。
ランは小さく頭を振る。
古代人の情報にそれは必要ないことだ。
いや、ドラゴンについての情報は流していたのかもしれない。ドラゴンは人類を滅亡寸前に追い込んでいる怪物だ。古代人すら倒せなかったのだから、ドラゴンの対策法がこのザッシにあったかもしれない。
もしあったのなら、ぜひとも参考にしてみたいものだが、残念ながらザッシの中身も色褪せていたり滲んだりと、とても読めた物ではない。もし読めても、自分たちは文字を読めないので、意味がないわけなのだが。
「もう! ランも探してよね!」
「あぁ、悪い。だが、ここは粗方探した。他の遺跡を探したほうがいいと思う」
「それもそうね…よし、他の所に行きましょう!」
木の箱を元に戻さず、ユリは腰をぴんっと伸ばし、ワンピースについた埃を払う。
そして二人は歩き出した。
柱の上を跨いで、尖った物を踏まないように気を付けながら、出入口を目指す。
そして、出入口に到達して潜り抜けようとした。
「よし! どっちの遺跡にい、く…」
元気良く放たれた声が、語尾につれだんだん弱々しくなり、ついには消えた。そのまま固まって、外を凝視している。
ランは訝しく思いながら、ユリ、と名を呼んだ。
「どうしたんだ? ユリ」
「……が……」
「え?」
か細く小さくて聞き取れなかったので、再度促す。
ユリの視線は外に向けられたままだが、今度は聞き取ることが出来た。
「ドラゴンが…飛んでいる…」
「ドラゴン!?」
ランは慌ててユリの手首を引いて、一緒に出入口の影に隠れる。
背中を壁に向け、おもむろに外を覗き込んだ。ユリも掌くらいの穴からこっそりと外を窺う。
真っ青な空を嘲笑うかのように、それは優雅に空を泳いでいた。
炎のような血のような巨大な真紅の体躯に、蝙蝠の翼。蛇のように長い首と腹に尻尾。馬のような頭だが、横に裂けている口から覗く牙。日本の触角と角。四本の短い足についた鋭い爪。
間違いないドラゴンだ。
ドラゴンがこっちに向かって、飛んで来ている!
「どうして、ドラゴンが来たのよー! なんかいつもより早くない?」
多少は混乱しながらも、ちゃんと小声で言葉を放つ。
こうなるんだったら、山に近い遺跡に赴けばよかった。
舌打ちをしたい衝動を堪え、ランは目を凝らし、ドラゴンの様子を窺った。
そして、ある異変に気付く。
「………ユリ」
「…………なんでございましょうか、ラン殿」
「おれの見違いじゃなければ…ドラゴンの口から、炎のような赤いものが零れているように見えるのだが」
「奇遇ね。あたしもそんな風に見えるわ」
二人は互いの顔を見合わせる。
お互い、顔が青褪めているのを確認して、頷く。
『こっちに気付いている!!』
二人が同時に叫んだ瞬間、ドラゴンの口が開かれた瞬間、そこからまるで渦巻いているような巨大な火柱が、一直線に、二人が隠れている遺跡を襲った。
ランは壁から離れ、ユリの手を引っ張る。
出入口から出ず、横の壁に走る。
そして、ユリを抱き抱え、壁に体当たりをした!
風化され腐り、ボロボロになっている壁は、ランの体当たりでも簡単に壊れ、二人は地面に倒れこんだが、外に出ることに成功した。
脱出した直後、遺跡は炎に包まれ、崩れ落ちる音を立てながら、崩壊していく。
二人は即座に起き上がって、先程まで自分たちがいた遺跡が燃えて消える有様を唖然と見つめていた。
熱い。熱い。
あのまま、この遺跡の中にいたら。考えるだけでぞっとする。
だが、それを最後まで見守る余裕なんて、二人にはない。
ランは竦み上がる足を叱咤させ立ち上がり、まだ唖然としているユリに叱咤した。
「ユリ! 森まで走るんだ!」
「む、無理よ。森までどれくらい距離があると思っているのよ」
「諦めるな!! 行くぞ!!」
すっかり怯え震えきっているユリの腕を引っ張り立ち上がらせ、森に向かって走り出す!
たしかに森まで距離はある。だが、諦めたらそこまでだ。
視界の端で、ドラゴンが追いかけて来るのを確認する。
どうやら、炎出すにはそれなりの時間があるらしい。炎が零れていないことをそう認識し、視線で辺りを見渡す。
遺跡は至るところにあるが、密集しているわけではない。
密集しているところには密集しているが、していないところはしていない。
ここは密集していない。だが、少し離れたところに、その場所はある。
体力が持つかどうか分からないが、炎対策として、それを防壁にした方が良さそうだ。
遺産が燃えるのは、大変勿体ないが、それよりも生き残ることが先決だ。
(幸い、ドラゴンは遅い。逃げ切れる方法は、ある! 炎に気を付ければ、あるいは…)
ランはユリの腕を掴んでいる手を、さらに強い力で握った。
それに応えるように、ユリの走る速度が上がる。
「ねぇ、ラン! この棒でさっきのように使えば…」
「それで逃げたら、古代人は苦労しなかった! 自分より小さい物が少し大きくなったくらいで、驚くか!」
「だね!」
ドラゴンを一瞥する。
口から炎が零れている。
第二弾が来る!
ランは急いで速度を上げ、比較的近くにある遺跡の影に隠れた。
呼吸を整え、ドラゴンを見る。
そして、第二の炎が放たれた。
その隙を見計らって、遺跡がそれに直撃する前に、次の遺跡へ走り出す。
炎を出す間、ドラゴンはそこから動かない。
出来るだけ距離を空くように、全力で走るしかない。
炎を出し切ったドラゴンが、また、二人を追いかける。
密集した遺跡の間に入ってその間を走り抜ける。
そして、第三の炎が密集した遺跡を襲った。
熱風が肌に纏わりつき熱い。この辺は密集した地域が続く。防壁はある。が、ドラゴンはこれらを全部焼き払う力を持っている。
ここで隠れるわけにもいかない。
また平らな土地に出て、しまった、と一瞬足を止める。が、また走り出す。
この先、森までの遺跡がない。
いや、あることはあるが、距離が長い。
大分距離は稼げたが、先程、火柱を出したばかりだ。
距離的に間に合わないかもしれない。だが、引き返す時間もないし、立ち止まるわけにもいかない。
階段を下り、最後の力を振り絞る気で、足にも腕にも喝を入れるつもりで力を入れた。
心臓がばくばくと波打っている。
息が乱れ、涎とか気にしなくなる。
体全体が熱くて、汗が溢れ出ている。
手も足も痛い。
頭がボーっとする。
気をしっかり持っていないと、倒れそうだ。
森までまだ距離がある。
ドラゴンを一瞥する。
口から溢れる、炎の残滓。
第四弾が来る。
だが、森まで間に合わないし、近くに防壁となりそうな遺跡もない。
(ここまでか…っ)
諦めても走りながら、ランは目を閉じた。
第四の火柱が放たれた。
その時。
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