第2話

 ざぁざぁ、と絶え間なく雨が降り続いている。


 普段は木々や草が生い茂り、緑と茶が視界を覆う山中は、まるで滝のような大雨により、霧が発生していた。真っ白とはいかないが、白の世界が辺りを包み込んでいた。


 打たれたら確実に痛いだろう、という強い雨は地面の土を跳ねさせ、痛そうな音を立てながら柔らかくさせていく。


 そんな雨の中、とある木の下で黒髪の少年と、黄緑色の髪をした少女が雨宿りしていた。


 少年は、藍色のTシャツを脱ぎ、吸い取った雨を搾り取りながら、木々の間から見える空を恨めしそうに仰ぎ、少女は宙座りをしており何が面白いのか、雨に無残にも打たれ、散っていく土をじぃっと見つめていた。


 食料を探しに行った矢先、突然見舞われた豪雨。雨宿りしている木がたまたま枝も葉もたくさん生えていたおかげもあるが、少女が、雨が降る、と木の下まで誘導してくれなかったら、今よりも大分濡れていただろう。


(この調子だと、しばらく止みそうにないな)


 少年、ランは嘆息した。


 大した収穫もないのに、このまま帰ったら家で留守番している二人が煩い。


 葉と葉の間から零れ落ちた滴が、髪に落ちていき、耳に掛けてある長い前髪を鬱陶しげに払う。


 後ろだけじゃなく前も短く切り揃えようか、と思いながら、水分を絞ったTシャツ(まだ湿っているが仕方ない)を広げる。


 ふと、自分の隣にいる少女を横目で見下ろした。


 少女の髪は肩にはつかないほどの短い髪は鮮やかな黄緑色。だが、耳の後ろに生えている一部の髪は肩よりも長く、そこだけ三つ網をしている。先ほどまで開いていた目は、今は瞼で伏せられていた。その瞼の奥には、夕暮れにも似た鮮やかな赤色が広がっている。


 服は、胸の下から腰の部分まで帯が巻かれており、ワンピースかどうかは判断できない。


 スカートの部分は桃色の花をモチーフとしたものだが、胸の辺りは白くノースリーブ。両腕には、ユリ曰く「大きな腕巻」という白い布が巻かれている。首にはまるで牙のような赤い石が連なった首飾りをしていて、自分たちとは雰囲気が違うな、とランはいつも感じていた。


「センリ、眠たいのか?」


 少女…センリは重たげに瞼を上げると、ゆっくりと頭を横に振る。


「もうすぐ、雨止むよ」


 抑揚のない、落ち着いているような力の入ってない声音だ。


 この雨の中じゃ聞き取るのが難しいが、彼女の声は透き通っており、まるで声の形をした糸が雨音の間を通り抜けて、鼓膜に入ってくるような感覚で、すうっと入り込んでくる。


 ランは少し目を見開いた。


「この天気なのにか?」


「うん。止む」


 それだけ言って、センリはまた目を閉じてしまった。


 根拠も確信のない言葉だったが、センリが言うのならすぐ止むだろう、とランは再び空を仰いだ。


 センリの勘は良く当たる。


 雨が降るといったら本当に降るし、止むと言ったら本当に止む。今日は晴れといったらずっと晴れるし、雲行きが悪くても今日はずっとこんな感じとセンリが言えば、ずっと雲行きが悪く雨も雪も降らない。


 それは、彼女と共に過ごした中で学んだことだ。


(あぁ、そういえば、梅雨が明けて夏を越えれば、センリを拾って一年になるのか)


 センリは、去年の秋に森で倒れていたのをランが見つけて保護した少女だ。


 彼女は一人で、生きる術を持っていなかった。それを危なっかしく思い、共に過ごすことになったのだが、そうなってからまだ一年なのか。


(もっと、長い間一緒にいたような気がするな)


 そう思いながら再び、センリを横目で見やる。


 伏せられた瞳は開いていて、花弁がたくさんついた水色の花(ランの祖母がアジサイと呼んでいた)葉っぱの上に張り付いているカタツムリをじぃっと眺めていた。


 興味あるのかないのか、ただ暇だから眺めているのか知らないが、疑問に思ったことを訊いてみる。


「センリ」


「ん?」


「お前のことだから、今日雨が降ること分かっていただろ? なのに、どうして言わなかったんだ?」


「食料、もうないから。言っても出掛けると思って」


「言っても無駄だなと思ったのか?」


「かな…?」


「いや、訊かれても」


 困る、と言い切る前にセンリが腰を上げた。


 ランよりも少し高い背がしゃんと伸び、雨空を見上げる。


「晴れる」


 そう言った瞬間、あんなにも煩かった雨音がだんだんと小さくなっていく。


 やがて、雨音は完全に消え去り、霧が晴れる。そして雲の合間から光の柱が降臨し、そこから灰色の雲が散りばめていき、いつもの青空に戻った。


 通り雨だったのか、と彼は眩しげに空を見上げる。


「ね?」


 首を傾げ、ランの顔を覗き込むセンリ。ランは少し頬を赤くさせ、そうだな、と頷いた。


「食料集めを再開しないとな。ユリとダイスケがうるさい」


 そう言いながらTシャツを着て、木の下から出ようとした。

 が、くいくい、とセンリがTシャツの袖を引っ張り、立ち止まって振り返る。


「どうした?」


 センリはある方向に指を指し、ランはその先を辿って目を細める。

 少し遠い所だが、赤いものが点々と咲いているのが見えた。木苺だ。


「これで、二人、怒らない?」

「そうだな…」


 とりあえず、これで二人に怒鳴られずに済むだろう。




● ○ ● ○ ● ○ ● 




 木苺をランの背中を覆う、ある程度の大きさの籠(祖母の形見だ)に詰め込み背負って、辺りを警戒しながら二人は山の中を歩いていた。


「ラン、きれいだね」


「あぁ」


 太陽の光が木漏れ日となり、先ほどの雨の名残で草に寄り添っている水滴や、土の凸凹に出来た水溜りの水面がそれに反射して、キラキラと光っている。


 雨後の空気はとても清々しくて、気持ちが良い。


 肺の中を空気で一杯になるように息を吸い込んで、ゆっくりと息を吐き捨てる。それを見たセンリが真似をして、大きく息を吸って吐いて、うん、と満足した風情で頷いた。


 肌に触る冷気も心地良い。日差しは強いが、木陰のおかげでその程光を浴びていない。


 少し離れたところで、ぱしゃぱしゃ、と水溜りを蹴って辺りに弾け飛ばして遊んでいるセンリに、ランは溜息をついた。


「水溜りで遊んでいると、服が汚れるぞ」


「いつも汚れているよ?」


「仕方なかった時とかわざとじゃない時はいいけど、汚れると分かってするのとは話は別だ。ユリに怒られるぞ」


「怒られるの、イヤ…」


 センリは、水溜りから足を引く。


 ラン個人としては、別に汚れてもいいじゃないかと思っている。こんな生活しているのだ。服を汚すのは当たり前だというのに、ユリは服を汚れることを嫌う。


 汚れたら、無理やり脱がされて、こっちの言葉を無視し洗濯に行ってしまう。一々怒りはしないが、わざと汚れた場合だと雷が落ちたような怒声をあげて叱られるのだ。


 本人にどうしてそう汚れることを嫌うか、と訊いてみたら「服が勿体ないから」だそうだ。


(たしかに、この服は遺跡から保存状態の良いものを選んだもので、ここまで保存状態が良いのは中々ないけどな…)


 もし汚れたり、切れて着られなくなっても、状態が悪いものを着ればいい。


「センリ。もう少し、食料探してみようか」


「二人とも、怒らないのに?」


 センリは振り向き、不思議そうな顔をする。


「怒れないけど、文句は言いそうだな。これじゃ、腹は膨れないって」


「そうなの? 少ない?」


「少ないな。魚か肉があれば、多少は膨れるけどな…」


「だったら、取りに行く?」


「いや、川は増水しているから、危ない。肉を取るにも今は人手が不足している。それに道具がないから、罠は張れない」


「なら、どうするの?」


「果物、それか野菜を探すぞ」


「果物、野菜…わかった。がんばる」


 少し眉根を寄せ、辺りを見回す少女にランは少しだけ笑った。


 拾った時に比べて、大分感情が豊かになったと思う。


 当初、彼女は感情という感情がなく、食べ物も言葉も分からない子だった。


 今も感情は乏しいし、言葉はたどたどしいが、自分の意思を持つようになっている。


「! ラン」


 くいくい、とまた袖を引かれ、センリを見る。


「あれ、果物?」


 と、足元の草に指を指す。

 柳のようで違う、黄緑色の小さい莢。


「センリ、それは豆といって、果物じゃなくて野菜だ」


「野菜? 美味しい?」


「おれは好きだけど、ダイスケがあまり好きじゃないな。食べる物ないから、食べるけど」


「このままでも食べられる?」


「莢の中にある粒を食べるんだ。湯がいたほうがいいと思うが」


「ほうほう…」


 センリはしゃがんで、興味深そうに莢を眺める。何がそんなに物珍しいのか。けど、彼女にとっては新しい発見なのだろう。


「センリ、邪魔して悪いが、そろそろ取ってもいいか?」


「うん。取るときって、粒だけ?」


「いや、莢ごとだ」


「わかった。やってみてもいい?」


「あぁ」


 ランが頷いたのを確認してセンリは、鞘を吊るしている蔓を両手で千切り始めた。手伝いたいが、センリの事だ。全部自分でやりたい、と言うだろう。


(まぁ…この方がいいな)


 ランは目を細め、辺りを警戒する。人を襲う動物は大体が夜行性だが、猪は昼行性だ。自分のテリトリーに入った人間に突進する。オスだったら、牙の餌食になって大怪我するし、最悪の場合死に至る。メスだったらまだ被害はないが、それはオスと比べれば、であり、大怪我するには変わりない。


 それに最近は雨続きだ。今みたいな雨後は、餌を求め活発になっているだろう。


「これで、お腹膨れる?」


「…れないだろうな」


「なら、もっと探す?」


「……」


 この量だと、もっと探したほうがいいかもしれない。だが、今頃、家でお腹を空かして自分たちの帰りを待つ二人を考えると。


(家から飛び出して、おれ達を探すだろうな…擦れ違いになったら面倒だ。出なくても、遅ければ遅いほど煩い)


 それに、雨のせいで時間がロストしている。

 ランは首を横に振った。


「帰るぞ」


「うん」


 立ち上がって、取った莢をランが背負っている籠に中に入れる。手をぶらぶらさせ、莢に付いていた水滴と泥を払うと、残りの泥が服に付着しないようにか、腕を横に広げた。


「お腹すいたね」


「そうだな。さっさと帰って、みんなで食べような」


「うん。みんなで食べるご飯は、すごくおいしい」


 センリはそう言って、はみかむ。


 ランは頷いて、今、籠に入っている中身を頭で確認する。


 木苺は割と多めで、豆少々。これを四人分。物足りない気がするが、何もない日よりかはマシだ。


(これを運んで食べたら、また食料探しだな)


 雨後は、足が滑りやすく、川にも容易に近付けない。出来れば出たくないのだが、餓死するのは御免だ。


 その前に。


「センリ」


「ん?」


「今日はこのまま、ずっと晴れか?」


 センリは、うーん、と唸りながら、首を傾げて青空を仰ぐ。それで何が分かるのだろうか。雲の形で明日雨か曇りかどうか分かると、彼の祖母が言っていたが、それを教えてもらう前に亡くなったので、見極める方法を持っていない。


 もしかしたら、センリは知っているかもしれない、と彼女の天気予報の正解率にそう思ったが、どうやら違うらしく、直感のようだった。


 ユリがどうしてそんなに当たるの、と訊いた時、彼女は「…………なんとなく?」と答えたので、そうなのだと思う。


 やがて、センリは顔を戻し、ランに向き直った。


「しばらく経ったら、また降るよ」

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