蝉時雨は止まない

空廼紡

第1話

「なぁなぁ、ばあちゃん。なんで人間は、俺ら以外にいないんだ?」


 好奇心旺盛のダイスケが、おれたちからすれば何でも知っているばあさんにそう訊ねた。


 あの日は確か、外がざぁざぁと雨が降っていた日で、雨がたくさん降る日が続いてジメジメする時期のことを梅雨っていうらしいよ、とばあさん得意の知恵袋とそれからダイスケが訊いたことに始まった昔話が印象的だったから、よく覚えている。

その時のダイスケの目は、とてもキラキラしていたように思える。期待に満ちた目だ。


 おれとユリもその話には興味があって、ばあさんに視線を向けた。


 たしかにそうだ。


 おれはダイスケとユリ、それからばあさん以外の人間に会ったことなんてない。それは、ユリ違うが、ダイスケもそうだろう。


 もっとも、ばあさんは違うけど。


 ユリとダイスケとは血は繋がっていない。けど、おれとばあさんは血の繋がりはある。つまり、ばあさんはおれら以外の人間(自分の家族)を知っているということになる。まぁ、その人間も死んだと聞くけど。


 ランプ灯(古代人の遺産らしい)の明りに灯された影がゆらりと踊るように揺れる。


 ばあさんは、そうだねぇそろそろ話さんとなぁ、と呟いて、枯れた枝のように細い腕を軽く組んだ。


「あたしも知らないけどね、今よりもうーんと昔は、あたしらみたいな人間がたくさん居たっていう話だ」


「えぇ? 今はいないのに?」


 そう驚いた声を上げたユリにばあさんは、そう言うのも仕方ないわなぁ、と皺くちゃな顔を深くした。


「その昔、たーくさんの人が大きな喧嘩をしていたらしい。『センソウ』って言ったかな?」


「ケンカ? どうして人間同士が喧嘩なんかするんだ?」


「ダイスケだって、たまにランと喧嘩するだろう? あれと同じじゃないかなぁ」


「う…」


「でも、『センソウ』? だっけ? どうして人がそんな大きいケンカしたの? 助け合えばいいのに」


「さぁ、なんでだろうねぇ。今じゃ、考えられないのは確かだ。なんだって、今は人間なんていないみたいなものだからねぇ。人がたくさんいた時代…昔の人の考えなんてあたしは知らないね」


「えぇ? ばあちゃん、しらねぇの?」


 今度はダイスケが素っ頓狂な声をあげる。


 ばあさんは珍しく、大声を出して笑った。


「ははははっ! たしかにダイスケ達から見たら、あたしは昔の人だろうけど、その話はあたしが生まれてくるうーんと、うーんと昔さ。だから、知らんってことさ」


 笑いが止まって、一つわざとらしい咳をする。


「さて話は戻って、その『センソウ』の途中で現れたのが、『ドラゴン』さ。夏になると、来るあの赤くてでっかい生き物の名前だ。これは分かるね?」


 おれたちは頷いた。


『ドラゴン』…夏…暑くなって、蝉が煩いくらいに鳴いて、雨もあまり降らない時期の事を夏っていうらしい…になると、現れる大きくて恐ろしい怪物だ。


 馬のような頭だけど、それよりも横に裂けた口(最も馬も熊も一飲み出来そうだが)に二本の角に触角。蛇のように長い首に尻尾。胴体は背中に苔と岩みたいなものが生えていたと思う。前にたまたま発見した古代書の動物(この辺りにはいない動物だった。文字というものは読めないから、なんていう動物かは知らない)の二つのコブを小さくした感じ。足は短足だけど図太く、鋭い爪が光っていた。


 大きさは、おれたちがいる土地の山の半分くらいがそれ以上。


 その巨体は夕暮れよりも深い、どちらかといえば血の色に近い赤で、違う色があるとすれば、その背中に生える大きくて黒い、蝙蝠のような翼くらいだ。目の色は知らない。何度か見たことがあるが、かなり距離が空いている所だったし、真上の空で飛んでいたのを見たけど、当然目を見れるわけではなく(目が合ったら殺されるし)、近付くと殺されるから近寄らず遠ざけていた。


「その『ドラゴン』は、突然『センジョウ』に現れて、口から出る炎で人や『センジョウ』を一瞬で焼き尽くしたという」


「『ドラゴン』って炎を出せるの?」


「おうとも。お前たちは見たことないだろうけど、あれで人を焼き殺すのさ。私の夫は、野生動物に殺されたけど、ランの両親は『ドラゴン』が吐いた炎で死んでしまったのさ」


「りょうしんってなんだ?」


「あぁ、ダイスケは拾った時は赤ん坊だったから覚えていないだろうけど、あたしたちには親と言ってね、自分を産んでくれた人の事をそう呼んで、みんなには必ず親がいるんだよ。死別していてもね。さらに詳しく言うと、男の方がお父さん、女の人がお母さんだね」


「二人しかいねぇの?」


「あぁ。どの動物も同じだけど、人が産まれるのには一つの男と一つの女が必要なのさ。それ以外は何もいらん」


「でも、やり方もあるんでしょ? どうしたら、赤ちゃんは生まれるの?」


「お前たちにはまだ早い」


 えー、と不満の声を漏らすユリをばあさんは無視して、先を進めた。


「それからというもの、『ドラゴン』は人間を見つけると、執拗に追いかけて人間を殺すまで追い続けるようになったのさ」


「なんで『ドラゴン』は人を殺すのさ?」


「それは分からん。人だけを殺すというのを見ると、何か理由があるのかもねぇ」


「理由?」


「まぁ、理由はないかもしれんが」


 ばあさんがそう言ったのにも関わらず、二人は理由を考え込む。


 考えるのもええことやけど話終わってもいいかい、という言葉に二人は考えるのを止めて、話の続きを促すようにばあさんのほうに真っ直ぐ見つめた。


「ともかく、『ドラゴン』だけのせいじゃないが、人間の数が激減してのう、かつて栄華を極めた文化も技術も失われてしもうたのじゃ。あるのは、その遺跡だけ」


 あたしはそう聞かされたけど、とばあさんは溜息を交わらせた声を発する。


「本当の事かどうかは分からん。けど、事実『ドラゴン』はいるし、人を殺すのに躍起になっとる。だからね、ドラゴンに見つけられないよう、気を付けるんだよ。焼き殺されたことないけど、きっとすごく熱くて苦しいだろうからねぇ。あたしは、お前たちにそんな死に方をしてほしくないね、出来ればだけど」


「おばあちゃんったら貪欲ね。焼き殺されないとしても、熊に襲われて殺されて食べられるかもしれないし、崖で足を滑らせて転落死するかもしれないし、川で溺れ死ぬかもしれないわよ」


「ここら辺の川って浅いやつばっかじゃん」


「あら、深い所もあるし、捻挫して泳げなくて溺れ死ぬかもしれないじゃない」


「まぁ、ユリの言う通りだわな。寿命を考えると、あたしが先に逝くことになるけど、あんた達が先に死ぬかもしれない。弱い者が死んで強い者が生き残る。馬鹿な奴は死んで賢い奴が生き残る。世の中はこんなもんさ」


「なら、ダイスケは早死にして、ランは生き残るの?」


「おいこらユリ! 何気に俺を馬鹿にしているだろ!」


「いや、何気にじゃなくて、明らか様だったろ」


「ラン、お前もかぁ!」


「ダイスケが馬鹿ってことは今更さ」


「ば、ばあちゃんまで」


 ダイスケは、項垂れた。


「でも、ダイスケには体力がかなりある。もしかしたら、ランの方が早死にするかもしれんよ?」


「けど、ばあさん。生き残るのには結局、運が良い奴だろ」


「たしかにランの言う通りさ。結局一番強いのは、運さ」


 でもね、とばあさんは、一人一人を見やりながら、目を細める。


「けど、それは大事な事じゃない。本当に大事なことは、お互い欠点を補って、支え合って助け合うことが生き残る秘訣さ」


「つまり、おれが頭で二人を助けて、ダイスケが体力的な面でおれらを助ける。そしてユリは、家事でおれらを支えるってことか」


「そういうことだよ。この土地の人間はあたしらしかいないかもしれない。けど、もしあたし達以外の人間に会ったら、たとえ、そりが合わなくても、助け合って生き延びるんだよ。きっと、寄り添って集まれば、あたし達は『ドラゴン』の脅威でも負けない気がするんだよね…」



 それが二年前の事。それからしばらく経った日、朝起きたらばあさんは冷たくなっていて、何度呼びかけても二度と瞼を開くことはなかった。


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