第23話 儚い花
帰りの車の中で、子供たちは眠っていた。樹里の母親がそれを見て目を細める。
「可愛いね。子供の寝顔は幸せの象徴だよ。このシャーロットていう娘さんもいい子そうだし。2、3泊すると言っていたから、受け入れが大丈夫か様子を見ようね」
「樹里とこれだけ仲がいいんだ。バーベキュー中のふたりを見ただろう。きっと上手くていくさ」
「2人もたれかかり合いながら寝て。この幸せそうな寝顔なら、きっとそうだね」
車は高速道路を降り、一般道に入った。カーナビゲーションが音声で道順を告げる。その声で目を覚ましたシャルが、顔を上げた。
「起きた? 高速降りたから、もうしばらくで家に着くよ」
窓の外は日が暮れているのだった。灰色の空気に満たされた世界。車は街から住宅地へ向かっていた。
「樹里のお父さん、お母さん」
「なに?」
「今日はありがとうございます。おいしいもの、お腹いっぱい。私は幸せで泣きました。それはわかりましたか?」
「樹里と一緒にずっといたときかな? 僕は気にしていなかったよ」
「お腹いっぱいで泣くなんて面白いことを言う子だね。箸が転んでも泣きたい年頃だしね」
「箸、ころびますか。箸は怪我をします」
「そういう言い回しだよ。なんでも心に響くってことさ」
「はい。箸が転ぶ、わかりました」
「……ん、シャル?」
「樹里、起きました。箸が転ぶ、知りますか」
「なに、突然。父さん母さん、何を吹き込んだの」
お母さんは笑った。
「なんでもいいんだよ。もう家に着くから。外もいい塩梅だし、すぐに花火の準備をしてね」
「それにしても、バーベキューや花火がしにくくなったなあ。条例が厳しくなるばかりだ」
「昔を懐かしんでも仕方がない。今できることを楽しめばいいんだよ」
石井家の車が敷地内に入る。樹里はすぐに降りて、玄関に上がった。そして、線香花火の束を持って出てくる。
「それはなに、樹里」
「線香花火って英語でなんていうの? まあいいや、見ればわかるよ」
起きた弟も車から降りて、樹里の脇に立った。
「ほれ、好きなだけ持ってけ。どうせまたいっぺんに火をつけて落とすんだろ」
「悪いかよ。去年よりは長持ちさせてやる」
「シャルは、はい1本。ひらひらがあるほうをつまんで。母さん、あとは持っていて」
樹里は数本ほど取ると、残りの束を母親に渡して、ライターで1本に火をつけた。
「これが日本の夏、そして我がバーベキューの終わり」
ちりちりと、小さい火花が球を描く。シャルはその美しさに息を呑んだ。
「危ないからしゃがもうね。このライターで、シャルも火をつけなよ」
シャルもしゃがみ、線香花火に火をつける。それは打ち上げ花火のミニチュアのような、しかしシャルの国の豪快なものとは少し違う、とても繊細な火花だった。
「あ……」
花が小さくなり、ぽたりと地面に落ちる。
「一瞬なんだ。この心が日本的なものっていうのかな、風流でしょ」
「フウリュウ?」
「母さん、風流って英語でなんていうか、スマホで調べて」
「ううん、風流はフウリュウだね」
「シャル、Don't think ! Feel. これはわかるでしょ」
「わかる。わたしこの花火とても好き」
「はい、好きなだけやるといいよ」
樹里はシャルに、自分が持っていた束を渡した。
熱心に線香花火を眺めるシャルは、その火花より儚く見えた。小柄な身体で、咲いては落ち、また咲いては落とされてきた人生。彼女は困難に負けるたびに新たな人格を作って生きてきた。そうするしか、彼女には方法がなかった。樹里の胸に迫るものがある。気がつくと涙が流れていた。
「シャル……」
「いまは、だめ。花火、きれいすぎるから」
シャルも泣いているのだった。
「あ、もう無理。鼻水が垂れてきた。むしろ垂れてる」
「あんたたち、なに泣いてるの。感受性豊かだねえ」
樹里の母親はまったく嫌味なく笑い、2人の女の子の頭を撫でた。
「ほら、鼻水拭きなさい」
ポケットティッシュを渡す。
「母さん、鼻水より涙。涙を拭けって言ってよ、雰囲気的に」
「だって鼻ちょうちんになってるから」
「嘘っ!」
「嘘だよ。シャーロットちゃんもティッシュいる?」
「ほしいです。お願いします」
顔を上向かせたシャルには鼻ちょうちんができていた。
「ぶっ、これは本気のやつだ。早く鼻をかもう」
シャルは小さな音を立てて、鼻をかみ、線香花火をもう少しくれないか要求した。シャルが自発的に何かを求めるのは珍しい。伸ばされた手に、また数本の花火が渡される。小さな歌が聞こえる。シャルは何かの童謡を口ずさんでいるのだった。
「わたしの1人目のママ、歌っていました。とても優しい歌」
「そうだね」
お向かいの家も車が到着する。おじさんとおばさんが降りて、線香花火を楽しみ始めた。
「そろそろ煙たくなってきたね。僕たちは終わりにしようか」
「はい。さようなら、小さなお花」
シャルの手にある花火が、燃え尽きて最後の火の玉を落とした。
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